骨折する音楽、Palais SchaumburgとHolger Hiller
初版 2025/01/10 22:17
とうとうこの日が来ました。そうです。今までに何度も出てきたPalais SchaumburgとHolger Hillerを中心に、今回は書いて行こうと思います。多分、私が初めて聴いたのは、友人が聴かせてくれたPalais Schaumburgの12インチマキシ・シングルだったと思いますが、第一印象は、骨折した音楽、即ち、骨折ファンクでした。

Palais Schaumburg
それで、先ずは、Palais Schaumburgの変遷について書き、その中から重要人物てあるHolger Hillerについても書きたいと思います。それで、先ずは、Palais Schaumburgの結成から書いていきます。このバンドは、1980年に、Timo Blunck, Holger Hiller, Thomas Fehlmann, F.M. Einheitによって結成されており、バンド名は、冷戦時代のドイツ首相の邸宅だったボンのシャウムブルク宮殿から取られています。それぞれの略歴を少し書いておぎます。Timo Blunckは、ハンブルク生まれで、9歳の時にフルートを始めています。1978年に、彼は、学友のDetlef DiederichsenとSkafighterと言うバンドを始め、そのバンドは、1980年には、Ede und Die Zimmermännerと改名し、Zick Zackからファーストシングルを出します(この時にはバンド名は単にDie Zimmermännerになっています)。それで、Blunckは、Palais Schaumburgのベーシスト/バッキング・ヴォーカルとして加入します。ただ彼のベースのスタイルは、古典的なスケールとは違い、幾何学的なパターンを弾いていた為、このバンドの骨格は独特のスタイルになっています。多分、私が「骨折ファンク」と感じたものと思われます。次にHolger Hillerですが、彼もハンブルク生まれで、芸術大学に通っている時に、Walter ThielschとThomas Fehlmannと出会い、その時に、初めて自分達の音を録音しています。それで、Fehlmannと共に、Palais Schaumburgを結成し、Hillerは、ヴォーカリストになりますが、同時に、彼はソロアーティストとしても活動を始め、ヨーロッパで最初にサンプラーを使ったアーティストと言われ、その後も彼のメインの機材になります。それで、Thomas Fehlmannですが、彼は元々スイスのチューリッヒ生まれで、後に独に移ってきました。勿論、先述のように、Palais Schaumburgの創設メンバーですが、その後、ベルリンに住んで、ジャーマン・テクノの源流として、The OrbやSun Electricのメンバーであったり、レーベルKompaktを運営していたりします。F.M. Einheitについては説明するまでも無く、元Abwärtsのメンバーで、その後、Einstrüzende Neubautenに加入したパーカッショニストですが、彼はPalais Schaumburgには1981年半ばまでしかいませんでした。彼等は、米国のThe Residentsのように、アヴァンギャルドなダンスミュージックにダダイスティックな歌詞を乗せた新しいスタイルの音楽を目指していたようです。
と言う訳で、第一期Palais Schaumburgは、先述の3人にRalf Hertwigが加わって、安定し、先ず、独Zick Zackよりファースト・シングル"Telefon/Kinder Der Tod"とセカンド・シングル"Rote Lichter/ Macht Mich Glücklich Wie Nie"を1981年に出します。
Palais Schaumburg "Telefon" live

Palais Schaumburg single "Rote Lichter/ Macht Mich Glücklich Wie Nie"
その後、シングル"Wir Bauen Eine Neue Stadt"をPhonogramから出していますが、時期はハッキリしません。1981年に、バンドは英国Mute Recordsと契約し、Depeche Modeのサポートをしていますが、英国David Cunninghamのプロデュースで、ファースト・アルバム"Palais Schaumburg"をVirgin Recordsから1981年にリリースします。

Palais Schaumburg 1st album "Palais Schaumburg"
Palais Schaumburg 1st albumよりA2 "Der Freude"
このアルバムには、Timo Blunck (B), Ralf Wertig (Drs, Perc), Holger Hiller (Vo, G, Piano), Thomas Fehlmann (Synth, Trumpet, Sax)に加えて、Wigbert Zelfel (Sax)も参加しています。その後、直ぐに、Holger Hillerが脱退し、代わりにWalter Thielsch (Vo)が加入します。この第一期は、それこそ、「骨折ファンク」と私が呼んでいるようなアヴァンギャルドなダンスミュージックで、カクカクとしたノレないファンクであったと思います。
そうして、第二期Palais Schaumburgが始動します。彼等はNYCのDanceteriaやManchesterのThe Haciendaでも演奏しており、1982年には、Kurtis Blowと共に、ヨーロッパツアーもやっています。それで、同年中頃、バンドは、セカンド・アルバム"Lupa"をMercury Recordsからリリースしています。
Palais Schaumburg 2nd albumより"Europa"
このアルバムには、Walter Tielsch (Vo), Thomas Fehlmann (Synth, Trumpet), Timo Blunck (B), Ralf Wertig (Drs)に加え、Stefan Bauer (Vibraphone, Trombone, Piano)も参加しています。ヴォーカリストも替わり、音楽性もジャジーでラテン系のノリも取り入れたモノになっています。
その後、1983年に、ヴォーカルのWalter Thielschが脱退した為、ドラムのRalf Wertigが専属のヴォーカリストになり、ドラムには、Moritz von Oswaldが加入します。これが、Palais Schaumburg第三期で、この編成で、サード・アルバム"Parlez-Vous Schaumburg?"を1984年にリリースします。
Palais Schaumburg 3rd albumより"Name The Cats"
このアルバムには、Ralf Wertig (Vo), Thomas Fehlmann (Synth), Moritz von Oswald (Drs)の他に、Jo Dvorniak (B), Alex von Oswald (G), Hired Help (Horns), Stefan Will (Synth), Inga Humpe (Backing-Vo)もゲストで参加しています。このアルバムは、英国のGareth Jonesと他、Neonbabies/DÖFで既に実績のあったInga Humpeもアレンジやプロデュースに加わっており、またまた音楽性が変わってしまっています。よりビッグバンド風と言うかラテン的な音楽になっており、商業的にも成功するかと期待していたのですが、同年、バンドは解散してしまいます。しかしなから、2011年に、Palais Schaumburgは再結成され、ライブもやっています。メンバーはHolger Hiller, Thomas Fehlmann, Timo Blunck, Ralf Wertigの4人で、何と2012年には来日公演もしているようです。

再結成したPalais Schaumburg
Palais Schaumburgは独逸音楽史上、重要なバンドで、各主要メンバーは解散後、大きな音楽的転換期に必ず名前が出てくる位、有名です。Holger Hillerは、ヨーロッパで最初にサンプラーを使ったアーティストとして、脱退後もソロ活動で有名になり、アヴァンギャルド・エレクトロニクスの第一人者となります。

Holger Hiller
また、Thomas Fehlmannは、ちょっと書きましたが、初期テクノのパイオニアにして、ベルリンの伝説的テクノのクラブTresorのレジデントDJ、そして、アンビエント・テクノのThe Orbのメンバーでもあります。

Thomas Fehlmann
当たり前ですが、F.M. Einheitは、Einstrüzende Neubautenの頭脳として活動し、現在はソロで活動しています。

F.M. Einheit
また、Moritz von Oswaldは、1990年代初期のダブ・テクノやミニマル・テクノを開発したアーティストとなり、Basic Channelとしても活動しています。

Moritz von Oswald
このように、テクノの文脈から見ると、Palais Schaumburgって凄いバンドなんだなぁと感心してしまいます。
それで、ここからは、Holger Hillerについて深掘りしていこうと思います。彼の最初のソロEP"Holger Hiller"は、5曲入りでATA TAKの前身レーベルWarning Recordsから、1980年にリリースされていますが、これは割と普通のテクノ・ポップ風です。
Holger Hiller 1st solo single "Holger Hiller"
その後、Walter Thielsch /Holger Hiller名義で、コラボシングル"Konzentration Der Kräfte"を自主出版していますが、これは多分、Palais Schaumburg結成前のセッション時の録音だと思います。

Walter Thielsch/Holger Hiller single "Konzentration Der Kräfte"
また、Hiller (Synth, Vo)は、当時DAFに在籍していたMichael Kemner (B, Vo)、それに偶々居合わせたS.Y.P.H.のUli Putsch (Drs)から成るTräneninvasion名義で、セルフタイトルのシングルを1980年にFehlfarbenのレーベルWelt-Rekordから出していますが、当時のシーンの柔軟性故に可能だったかと思います。音はミニマルなテクノ・ポップですが、このユニットはこれ1回で終わっています。B面は、Hillerのファーストソロシングルにも収録されていた"Herzmuskel"の別テイクですね。
Träneninvasion single B面 "Herzmuskel"
また、Holger Hiller/Thomas Fehlmannのコラボ・カセット作品"Wir Bauen Eine Stadt"も自主出版していますが、これも恐らく、バンド結成前のセッション録音の一部だと思いますが、収録されている曲は、1930年に作られた子供のピアノとヴォイスの為のPaul Hindemithの曲のようです。後に、この作品は、2006年になって、Gargarin Recordsより片面LPとして再発されています。

Holger Hiller/Thomas Fehlmann cassette "Wir Bauen Eine Stadt"
この作品でも、シーケンサーとシンセをバックにHillerが歌っている、所謂、ちょっと変なテクノ・ポップ風の曲が収録されています。その中の一部の曲はPalais Schaumburgでも演奏されていますが、全く違う音楽のように聴こえます。1982年には、HillerとWalter Thielschは、企画物として、自分達のテクノポップな音楽に、近所のベトナム人姉妹Vu Thi Khieu, Vu Thi Thu Ha, Vu Thi Thu Phuongの歌を無理クリ乗せた12-inch Maxi-Single "Hát Với Quê HươngををZick Zackから出しています。
Walter Thielsch/Holger Hiller 12-inch maxi-single "Hát Với Quê Hương"
タイトなRalf HerwigのドラムとHillerのヘンテコなSEシンセに合わせるでもないリバーブの掛かった姉妹のVoが乗ると言う凄い内容になっています。是非とも皆さんに聴いて欲しい1枚です。
Holger Hiller 1st solo album "Ein Bündel Fäulnis In Der Grube"より"Blass Schlafen Rabe..."
その後、1983/1984年に、ファースト・ソロアルバム"Ein Bündel Fäulnis In Der Grube"をATA TAK/Cherry Red Recordsより出しますが、この時に、ゲストとして、Catherine Lienert (Sampler [Emulator]), Jürgen Keller (B), Moritz von Oswald (Drs)が参加しており、恐らくここら辺から、Hillerもサンプラーに興味を持って、使い始めたのではないかと想像します。噂では、バンドで出来なかったことが、漸く出来るようになったと言っていたとか。確かに様々な音楽や音のサンプリング音を縦横無尽に配置し、かつポップネスも待ち続けている奇妙バランスを保った実験ポップミュージックです。このアルバムからは、"Johnny (Du Lump)"がシングルカットされ、クラブヒットまでしています。

Holger Hiller single "Johnny"/ "Das Feuer"
その頃(1984年)には、Hillerは、ギターの弟子だったAndreas Dorauと、コンセプチュアルなシングル"Guten Morgen Hose" (ジャケ写はAndreas Dorauの項目も参照)をATA TAKから出していますが、これは人妻ルーシーをめぐって、父親と絨毯とズボンが争うと言う音楽劇のような作品になっています。そして、この作品を高く評価したオランダでは、このシングルの内容に対する映像作品も作られており、言葉の分からない私には、その映像作品と一緒に見聴きして、初めて筋が分かるような気がしました。とにかく前衛的作品です。
Holger Hiller & Andreas Dorau single "Guten Morgen Hose"の映像作品
そして、Hillerは活動の拠点を英国に移して、1986年にはセカンド・ソロアルバム"Oben Im Eck"をMute Recordsから出しています。

Holger Hiller 2nd solo album "Oben Im Eck"
Holger Hiller 2nd album "Oben Im Eck"より"We Don't Write Anything On Paper Or So"
このアルバムでは、HillerはVo/Sampler/Programmingを担当していますが、ゲストに、The AssociatesのBilly MacKenzie (Vo)や小林泉美 (Sampler Kbd/ Programming), Moritz von Oswald (Drs, Xylophone)も参加しており、作詞にはDie Tödliche DorisのWolfgang Müllerも協力しています。内容的には、更にサンプリング、特に生楽器等のサンプリングを上手く組合せて、全く別次元のポップソングと言うか空想の映画音楽のような曲を作り出しており、彼の才能が開花した作品となっています。日本盤は"Hyperprism"と言うタイトルで出ていますが、別ミックスで曲順も変わっていますので、印象がかなり違います(別物として聴いた方が良いですね)。

Oh! Ho Bang Bang 12-inch maxi-single "The Three"
この年に、Hillerは、Renegate SoundwaveのKarl Bonnieとビデオアーティストの羽田明子とで、Oh! Ho Bang Bangと言うAVユニットを結成し、1作だけ作っています。12-inch Maxi-SingleとCD Videoと言う2種類のフォーマットでMute Recordsからリリースされていますが、残念ながら、CD Videoの方は、今では規格が無いので、再生出来ません。その後、1987年には、Holger Hiller featuring Billy AacKenzieとして、シングル"Whippets"を出していますが、これは前アルバムでの絡みで実現出来たのでしょう。

Holger Hiller feat. Billy MacKinzie max-single "Whippets"
内容的には、Hillerお得意のオーケストレーションのサンプリングによる音の上に(The Associatesの)Billy MacKanzieの歌が乗ると言うもので、個人的には、何だか伊福部昭氏の音楽を思い出しました。ちょっと間が空いていますが、1991年に、サード・ソロアルバム"As Is"を同じくMute Recordsより出しており、それまで以上に、多種多様の音をサンプリングして、作製されたアルバムとなっています。
Holger Hiller 3rd solo album "As Is"よりKönignnen"
ゲストには、Stefan Van Campenhout (Drs)が参加している他、小林泉美がプログラミングで、Renegate SoundwaveのKarl Bonnieがアレンジでも協力しています。また、クリア盤で、ジャケもクリアプラスチックになっており、大変凝った作りになっています。内容の方も、更にサンプリングとその構成に磨きがかかり、丁度、理路整然とした何か機械の頭脳(中枢部)の中を覗いているようなシャープな音作りになっています。因みに、編集には、Hillerと後にlaptop noiseの第一人者にもなるRassell Haswellが携わっています。
Holger Hiller 4th album "Demixed"より"Egg (demixed by Kitschfinger)"
そして、翌年1992年には、4枚目のソロアルバム"Demixed"が出ますが、何と、これはHolger Hillerの曲をリミキサー達がリミックス(ここではデミックス)したトラックを集めた作品になっています。なので、ジャケの装丁もクラブミュージックっぽくなっていますが、ただ新曲は1曲だけで、他10曲は前作等の既存曲が原曲となっています(まあ、当たり前と言えば当たり前か?)。そうしてリミキサーとしては、Kitschfinger(キッチュフィンガー)名義でAndreas Dorauや、当時のHip Hop界隈やダブソニック界隈で知られていたA.J.ことAlex AngorやJulian Briottet, そして恐らくRassell Haswellも参加しています。しかしながら、Hillerの原曲の個性が強過ぎるからか、「やっぱり、これはHolger Hillerだな」と思ってしまう位の余韻があり、改めて、Hillerの音楽の普遍性を感じずにはおれませんね。クラブ・ミュージックでもあるので、踊ったりするのも良いかも?その後、1995年には、Hillerは、妻の小林泉美とは家庭の事情で離れて暮らしており、彼女との間の息子に対する想いを綴ったアルバム"Little Present"を出しています。

Holger Hiller 5th solo album "Littele Present"
これには子守唄や街の雑踏などの音がサンプリングされた「見られたら恥ずかしい日記」のような内容とのことです(私は未聴です)。2024年現在での、最新作は、2000年にMute Recordsから出たソロアルバム"Holger Hiller"ですね。

Holger Hiller 6th solo album "Holger Hiller"
ただ、私は未聴なので、コメントは控えておきますが、1〜2曲だけ視聴した印象は、サンプラーも使いながらも、以前のように難解では無く、ポップになったなぁと言う感じです。多分、音楽活動を始めた頃の初心に戻ったかのようです。
と言う訳で、Palais Schaumburgを初めて聴いた時の衝撃からHolger Hillerの足跡までをザッと追ってみましたが、骨折ファンクは、第一期Palais Schaumburgのマジカルな化学反応であったのだと痛感しました。そうして、先述のように、2011年に、オリジナルメンバーで、Palais Schaumburgは再結成されています。
再結成したPalais Schaumburg (live)
