戦前 客船 鹿野丸

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鹿野丸(国際汽船:8572総トン)

国際汽船が建造した2形式目の高速貨物船で、ニューヨークライナーの標準的サイズ(Lpp450ft)を確立した。姉妹船「小牧丸」とは細部の相違が多い。太平洋戦争では海軍運送船として行動したが、42年7月29日キスカ港外で米潜「グラニオン」の雷撃を受け航行不能となり、港内に曳航されたが以後の空襲で全損となった。なお「グラニオン」は本船の反撃で撃沈されたといわれており、艦長の遺族を中心とする探査チームが2006~7年に船骸を発見撮影している。

戦前にこの船に副操縦士として乗船していた親族がいました。
当時戦前の珍しい写真です🎵
特にエンジンルーム等が写っています。とても珍しいのではないでしょうか。また、ニューヨークのセントラルパーク、ニューヨークのビル群や乗客等です🎵
いろいろ鹿野丸について調べましたが、当時の写真が見つかりませんでした。
鹿野丸は、戦争が始まると、すぐに海軍に接収されてしまい、その姿が全く変わってしまいます。

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