常用カメラ の想い出

初版 2021/09/17 10:55

改訂 2021/09/17 10:55

 ジャスピン コニカの愛称のコニカC35AFは 妻の親友の結婚式の日1977年11月30日に発売になりました。前日カメラやさんから届いた このコニカC35AFを持ってその結婚式に出席しました。つぎがキャノンA1です。


 1978年4月に長女が生まれ、そのスナップ用に35mmF2、85mmF1.2の2本のレンズ、ストロボ199Aを一緒に揃えました。


 ニコンF2も2台持ってはいましたが子供用にキャノンA1を購入しました。ところが長女が 生まれたとき 私は今でも 反省している一言を言ってしまいました。 妻はその 一言に 怒って 退院後 半年の間 実家に戻ったきりになってしまいました。私は この間に出た給料とボーナスで ライカM5を買ってしまいました。


 レンズはライカM4Mに付けていた50mmと35mmのズミルックスです。ライカM5はカメラを縦につるすタイプで非常に使いやすく、この後、ミノルタα9000+28-135mmズーム、4000フラッシュ、キャノンEOS RT、ニコンF5も縦につるして使いました。ただし、α9000はできたばかりの東京ディズニーランドに行ったとき、縦につるしていたストラップが抜けてしまい落してしまいました。その後 メモカメラらしいものはとくになく、1988年のLHSA(ライカ ヒストリカル ソサエティ オブ アメリカ)の20周年記念のライカM6が散歩用カメラとなりました。このカメラは初め20台限定で作られるという案内がだされましたが、期日までに支払いを済ませば希望者全員に頒布するということになったものです。結局43台が作られたようです。私のM6のナンバーは20-01、つまり 1番でした! 普通なら こういう番号は会長とか顧問とかが初めから取って置くのではないでしょうか。 なんという フェアな考えをもったクラブでしょう!このことをLHSAの機関誌ヴューファインダーに投書したところ掲載され そのしばらくあとに カナダの会員から「知人が持っているM4-PとR-4のエベレストを買わないか」と手紙を頂きました。私はカメラは使うもので飾っておくものではないと考えておりましたので、一度は要らないと返事を出しました。ところが「知人の会社が倒産してどうしても処分したい。ただし箱から一度も開けていないので写真はない。」というのです。ライカの一眼レフは使うには良いでしょうが、どう考えても私は使いません。それでM4-Pだけ引き取ることにしました。」 着いたのは まったく開けていないM4-Pとこのときの(カナダのエベレスト登山隊の成功)記念のポスターでした。このポスターは後年ロンドンに行ったときにP.H.vanHasbroeckにあげてしまいました。たいていの方と同様に私も普段はカメラは使うために買いますが このM4-Pともう一台使う目的がないのに買ったことがあります。それは カメラショー20周年記念に日本の各メーカーが各20台の限定で 東京と大阪の会場で販売したもので 私はニコンFEを購入しました。このボディは黒色塗装で茶色のトカゲ革仕様、裏ブタにはTT-1~TT-20のプレートが貼られていました。このカメラも一度も使ったことがありません。このLHSA M6ボディには35mmズミルックス アスフェリカルをつけて ずいぶん使いました。私がこの会 LHSAに入ったのは 1979年9月22日に開かれた 中川一夫さんの写真工業社刊「ライカの歴史」出版記念講演会で たまたまお隣に座っておられた 大阪からお見えのTさんに勧められたからです。サンノーカメラのスタッフの方々の協力で開かれました。講演会の後サンノーカメラで売られているライカを見ましたが、その中に スウェーデン軍用の黒のⅢfが50mmレンズつきでありました。店を見た後 希望者は中川さんと共に山王飯店で食事をしました。当日 私はライカM4Mに35mmのズミルックスを付けて講演会に出席しました。モーターの具合が悪く(歯車が噛んでしかまい)動かなくなってしまっていたので(?)使っている最中にモーターが止まってしまったらどうしたらいいでしょうかと尋ねたところ 「簡単だよ 電池をプラスマイナス逆にしてシャッターを切ればいい」と教えていただきました。実際に 家に帰ってから試しますと 見事に生き返りました。このモーターは もともとM2のモーターライズド ボディについていたもので、M4Mと両方のボディにつけて使っていました。評判はよくありませんでしたが 私は非常に気に入っていて これも随分使いました。ちなみに 35mmズミルックスも開放で逆光のときのゴースト、フレアーで ひどく評判が悪いですが 私がライカを気に入った第一の理由は このレンズの高性能にあります。光が一点に集まる、毛糸の質感、赤色の発色 すべてに驚いたものです。ニコンF2に初めて多層膜コーティングされた発売直後の35mmF1.4のニッコールを付けて使っていましたが、始めのレンズはガラスの中にオカリナのような形の気泡が一個入っていました。熔融が難しい新種ガラスのために気泡ができる、性能には問題ない。と言われましたが 買った店で取り替えていただきました。この店は東京駅の地下街にあり初めて寄ったところでした。たまたまショーウィンドウを覗いたらそのレンズが置いてあったのです。おもわず買ってしまいました。このレンズでもズミルックスのような感動は得られませんでした。確か 中川さんが あの講演会で「非球面にしなければ ゴーストは消えないよ」と言っていたと思います。それから20数年後、2枚の研削非球面レンズを使った35mmズミクロン アスフェリカルが登場しました。このレンズは 現行製品であるのに とくに手に入れるのが困難で、銀座のLに予約を入れてありましたが、新橋のUで偶然にもシーベルの新品を見つけたので即購入しました。それ以来 あのLHSA 20周年記念のM6につけて愛用していました。




#思い出

Author
Aiymnm53

ldnakkun

小児歯科医。いまだにメディカル-ニッコール120㎜を使っています。以前はライカと関連用品の希少な物を集めていました。現在は接写写真撮影に興味を持っています。

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