44年前大学病院に勤めたときの先輩のカメラは、ライカ、ハッセル、ローライその他でした。
初版 2020/06/04 16:09
1976年、大学の小児歯科の医局に残ったときにカメラが好きな先輩が三人いました。一人は当時助教授だったG先生(後ちに長崎大学教授となられ先ごろ退官され名誉教授になられました。)、一年先輩で立川市で歯科医院を開業されているS先生で、お二人ともカメラを始めメカに強く、当時 G先生はライカ、S先生はSプラナー120mm付きのハッセルブラッド500ELMとローライSL66をメインにニコンも使われていました。教室にはライツの顕微鏡撮影装置アリストフォトがスクリーン交換式のビゾフレックスⅢ型とライカM4-2と共にありました。そのようなカメラ環境の中で 私のメモカメラはミノックス35ELになっていました。後年、弟の妻のお母さんがこのカメラが入っているのに気づかずリュックサックを洗濯機で洗ってしまい駄目にしてしまったことがあります。ミノックスの代理店は当時三田にあったエルモ社で炎天下受け取りに行った覚えがあります。
このカメラも随分使いました。絞りの形がよくありませんが とにかくよく写ります。 こんなによく写るのなら あの小さなミノックスも いいかもしれない と S先生が香港にいらしたときに ミノックスCを買ってきていただきました。
もう お一人は 4年先輩のY先生で 後に横浜市で小児歯科医院を開業され、現在 日本小児歯科学会でご活躍される一方 ミノックスの研究もされていると お聞きしています。中村君 これあげるよ と35mmフィルムから ミノックスサイズのフィルムを 切り出す カッターをいただきました。
後年 G先生、Y先生、S先生の皆が かなり ライカを収集されています。昨日もG先生から「ライカM4-Pの70周年記念ボディを買ったよ と電話をいただきました。G先生はレンジファインダーニコンにも興味がおありで、本来のニコンSP,S2以外に、2000年に発売になったニコンS3の復刻版もお持ちです。私の持っているS型ニコン用の105mmF4にも関心があるようで、50mmF1.1(外爪)をお譲りしたとき そのうち こちらも お譲りするように言われていました。ところで 私のミノックスCですが 4-5回も使ったでしょうか 技術の未熟さも手伝って なかなか 使い切れず メモカメラにはなりませんでした。それよりも むしろ 中古で買った ライカⅢbの方を多く使っていました。もともと付いていたのはシュナイダーのクセノン5cmF1.5でしたが普段使っていたレンズは富士越で買った50mmF2.8のエルマーでした。
G先生に このレンズはハズレだったねとよく言われました。富士越を通してシュミットで点検していただきましたが 良くはなりませんでした。
大学に残った次の年に結婚して台湾に新婚旅行に行きました。台北では元医局員の魏富雄君に会いました。彼は医局にいるときペンFにポジフィルムを入れて使っていました。台中では学生の時に夏休みの宿題の何かの課題をしに日比谷公園で会った藍采敏さんの実家の眼科医院を訪れ采敏さんの部屋に泊まりました。まるで高級ホテルのようでした。夜は江戸前のすし屋(シャリが少しでも大きいと築地のすし屋の名前を出しそこではその半分ぐらいだと握りなおさせていました。)や中国料理の店、ここも飛び切りおいしかったです)に行きました。采敏さんのお母さんは若い時に順天堂に留学していたと聞きました。
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