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1990年代 BYRNING SPEARS 9'0"
・サーフィンを始めたけれども、結局サーフィンというスポーツにのめり込むというよりもむしろ、単に海や旅が好きという気持ちが勝っているからだろう、サーフィンに行く道中が楽しかったり、行く先々の温泉だとか食べ物とかを楽しんだり、海にパドルアウトしても波間にプカプカ浮いているだけで幸せなので当然いっこうにサーフィンはうまくならない。 ・なのに板だけは増えていく。とは言えサーフボードというものは、長さ、幅、厚み、レール(サーフボード側面の丸み)形状、ロッカー(サーフボードの反り)等、非常にいろんな要素が関連して乗り味が千差万別なので、板が増えていくと、板それぞれの特性を楽しむのもサーフィンの楽しみになってくる。友達の長めのサーフボードなんかを借りたりするとちょっと長いサーフボードもコレクションに含めたくなるものだ。 ・2002年の2月だったかと思うが、グアムにダイビング旅行した時に現地のサーフガイドにガイドしてもらい初めてロングボードに挑戦したら案外面白くてロングボードも欲しいなあと思ったりしたが、そんなある日、その当時通っていた南紀のポイントでサーファーがフリーマーケットをしていた。フリーマーケットと言っても大規模なものでは全く無くて、というかむしろ端的に言えば、1人のサーファーが勝手に所持品の断捨離をポイントでしていたようなものだ。 ・そこに黄ばんだ古びたロングボードも陳列されていて物欲しそうに見ていると一万円で譲ってくれると言う。一万円は当時でも破格というか良いプライスポイントをついていて二つ返事で購入したのがこのサーフボードである。 ・バーニングスピアーズという名前は詳しくは知らないけど聞いた事があるしクラシックなカラーブラシも気に入ったのでBoy Meets Girlの類いだと思う。 ・このような短絡的な出会いでコレクションに入る事になったこのボードは結局一万円で購入したとは思えないほど活躍してきた。 ・下手くそなリペアだらけだし海水も相当吸ってしまっていて重く、考えようではただの粗大ゴミだが、とにかく波の小さな日に活躍したり、サーフィンを体験したいという友達に貸してあげたりといまでも割と使っている。 ・ここに掲載する機会にインターネットで調べてみると案外興味深いブランドだった。シェイパーの名前としてKurokoshiとあるのでByrning Spearsで検索をかけると同社を1990年に立ち上げた黒越清隆氏の事だった。 ・氏はチャネルボトムのパイオニアであるAllan Byrne氏に師事して1990年にByrne氏とライセンス契約を締結してByrning Spears Japanを立ち上げた。なのでおそらくそれ以降のシェイプだと思われる。こういう板の生い立ちを知るとさらにこの板に愛着が湧く。
ロングボード BYRNING SPEARS 10000円detch.surf
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1970's MICKY KAWAI SINGLE FIN 6'6"
・確か1998年頃、サーフィン の盟友である"いとやん"から、自宅近くのゴミの不法投棄の中にサーフボードがあるという話を聞き、夜中に取りに行った。元々二枚不法投棄されていたらしいがすでに一枚は誰かが持ち去っていたようで一枚しか残っていなかった ・とにかくおそらくそこに数年放置されていたのではないかと思われるくらい真っ黒でクルマに載せるのも躊躇する程度だった ・帰宅して浴室で温水を使って汚れを落とすと、川井幹雄さんのサインのデカールが現れた。 ・どうせ無名の価値の無いサーフボードだろうと思っていたのに日本のサーフシーンの歴史を語る上で避けて通れない貴重なサーフボードに出会えた事に感謝した ・未だにいつシェイプされたのか不明だが、全体のシェイプから1970年代半ばではないかと推測する ・ミッキーさんは1948年生まれの日本のサーフィンのパイオニア=レジェンドである。 ・ネットで調べると20歳の頃からシェイプを始められたようだ。つまり1968年くらい ・ネットで見ているとスティンガーもシェイプしているが、おそらくこの板は全体のアウトラインから見てもスティンガーをシェイプする前にシェイプされたように思える。 ・スティンガーはベンアイパが1970年代半ばに考案しているのでミッキーさんがスティンガーを削られるのは少なくともそれ以降だと思われるし、今と違い情報伝達スピードの差を考えるとミッキーさんのスティンガーは1978年とか、そのあたりからかと思われる。 ・つまりこのシェイプを始められた時期からスティンガーをシェイプし始める間くらいかと推定 ・署名に1191 とあるので多分1191枚目のシェイプ。68年からの計算だと1975年だとすると年平均170枚くらいシェイプしている事になるがそこまで不自然ではない。 ・シングルフィンなのでコネコネは動かないが、じっくりと腰を入れてターンすると気持ちが良い ・浮力がロングボード並みにあるので小波でも使える ・拾ってきた時にはレールに大きなダメージが、あり、フィッシュテールの片側も欠損していたので自分でリペアした ・リペア後は相当気に入って乗っていた。四国の中村へのトリップにも持っていって冬の季節外れの台風波でいまだに記憶に残るライディングができた思い出がある
川井幹雄 MICKY KAWAI 不法投棄detch.surf
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1983 GIBSON LES PAUL LEO's VINTAGE
・大学入学祝いの軍資金を使って1984年6月に中古で購入。正直、このために大学入試を受けたようなもの。。 ・念願の本物のレスポール。当時はギブソンカスタムショップラインもヒストリックコレクションもなかったので1番オリジナルバーストに近い仕様の59ビンテージというモデルを探していた。新品は59万円もするので明らかな予算不足であったため大学入学以後毎日大学通学帰路に大阪梅田界隈の楽器屋を物色して新古品のようなモノを探し回っていた ・ある日とうとう梅田ナカイ楽器古書の街店でドンピシャのタマに巡り会ったのだが、ひとまず一晩考えてから購入しようと思ったのがまずかった。翌日購入のために店に向かうとすでにその個体は売れていた。(野村義男氏の主張どおりギターは欲しいと思った時に買わないといけない) ・買う気満々になったのに購買対象が消えてしまった反動で近隣の楽器屋に電話しまくった結果、阿倍野区昭和町の楽器屋に59ビンテージの中古の在庫があると知り即向かうと、買われてしまった個体がまた再販されているかと思ってしまうほど瓜二つの個体に遭遇し即購入。試奏しないの??と驚く店員。。実はほとんど弾けない当方は、とりあえず1弦解放だけペーンと鳴らして"これを買います"と二つ返事で購入した。 ・個体に傷が付くのが嫌だったので実戦投入は購入してから10年くらい経過してから。このまま使わずに死んでしまうのか?と思いたったのが実戦投入の動機。 ・前述のとおり、購入当初は当時日本ギブソンから販売されていたレスポール59ビンテージというモデルだと思っていた。店側も59ビンテージとして販売していたが、後日シリアルの体系が全く異なる事に気づき、偽物疑惑が個人的に浮上。 ・いろいろ調べ回している中、ある楽器店で同じ体系のシリアルのレスポールの中古に遭遇。店員に聞くとレオズというカリフォルニアの楽器店の特注品だと判明。 ・未だに謎が多いモデルで今でも情報を収集しているが、それがとても楽しい。 ・この個体のシリアルはLI03●● ・ギブソンのナッシュビル工場製 ・ネット上の情報などでは総製作本数800本程度とあるが個人的な調査ではそこまで多くないと分析している。カラマズー工場製で300本未満、ナッシュビルでおそらく200本程度と推定する。 ・Facebookで偶然このギターのルシアーと知り合いになった。これも何か不思議な巡り合わせ。彼によるとこの個体は1983年2月8日製作 ・長い付き合い、上記のようなストーリーから1番大事なコレクション ・音はイマイチ。。40年近い歳月を経てだいぶ枯れた音にはなってきたがまだいまいち抜けない音。おそらく木が若いうちにもっと鳴らしておくべきだった。あとボリュームを絞ってもなかなか音量が小さくならずアンプの歪み具合をボリュームで調整しにくい。 ・パーツはフルオリと思われる。ピックアップは割といまでは人気があるNewPAFだが個人的にはパワーがありすぎて好きではない。音的にはバーストバッカーに換装したいところだがコレクターなのでオリジナル性重視で何もいじっていない。ほとんど何もわからない素人が試奏もほとんどせずに買ったわけだが極めて良い状態を購入時から現在までキープしているのは幸運だと思っている ・家宝にしてきただけあってニアミントコンディション。ウェザークラックも全く無い
electrical GIBSON 関西楽器社 大阪市阿倍野区昭和町detch.surf