①沼に足を踏み入れるまで
初版 2023/11/11 21:50
改訂 2023/11/11 22:00
いつだったろうか、両親が持っていた水晶を見たのは。
幼稚園児の頃だから、4、5歳の時か。父親が鞄の中からおもむろに取り出したのは、巾着に入れられた単結晶だった。それを「水晶」だと教えられ、母親にも持っているかを聞いた。
母も、水晶の珠を持っていた。15mmほどの丸玉だったように思う。印傳の黒い巾着に入れられていたのを覚えている。
幼少の自分には、大きな衝撃だった。
池袋のサンシャインシティだったか。5歳の年だ。休みの日に買い物をした時、今で言うパワーストーンショップで、母に勧められてタンブルを買ってもらった。
特に紫水晶に惹かれた。今でもだが、母もその色を好んで「アメジストがいい」と話してくれた。母は今でもアメ「ジ」ストと言う。長い時間、ガラスの容器に入れられたアメシストのタンブルを眺め続け、「虹色に光るところが綺麗」という理由で一つ選んだ。
この、青のクラックに心が惹かれた。
その頃から少しずつ、透明なものや、綺麗な石を好んで集めるようになった。和菓子屋の練切、小箱に詰められた宝石のような飴。園庭の蛇紋岩、駐車場の石英脈が見られる石、河原のチャート…石に関しては、どんなものかは分からない。ただ美しいから、集めた。
その熱を感じてか、秩父から帰ってきた父親が、タンブルの詰め合わせを買ってきてくれた。オレンジ色の瑪瑙や、鮮やかな桃色をしたロードナイトシリカに目を奪われた。
確実に覚えているものはこの5つ。
印傳に包まれた水晶玉も、いつしか家族全員が持つようになっていた。都心の何処かのデパートで買ったものだ。
当時のもの。今でも美しい。
気が付けば、我が家の収納椅子の中は、石で満たされていた。
小学生になってからは、石以外にも熱が伝播し、コレクションをする行為自体に楽しみを見出していた。遊戯王カード、貝殻、プロレスのDVD。行く先々で入手しては、楽しんでいた。
群馬に行った時に、珪化木を拾った。まだあの収納椅子に入っているだろうか。
旅行先でも石を手に入れた。日光でブラジル産の紫水晶を買った。500円で、4cmほどのクラスター。2004年10月23日、新潟で大きな地震があった日だから覚えている。揺れに怯えつつ、車の中で石を眺めて落ち着こうとした。
初めての水晶原石がこのアメシスト。
石好きを知った同級生が、タンブルをくれたこともあった。小学5年生の時だった。いくつか貰ったが、今では確実にこれがそれだ、と言えるのはこの一つのみ。何の石かは分からない。それでも宝物だ。
手紙付き。しっかり残しています。
何かあるたびに石を手に入れ、それぞれに思い出を残していた。
とはいえ、ここまでであれば一般的な少年の範疇。石を持っている、というだけだ。
大学時代。それ以前から気にはなっていたのだが、メンタル面で不調が度重なった。理由はともあれ、悩みから何か救われないかと模索していた。
時を同じくして、アルバイトを始めてお金を稼ぐようになった。買うものは遊戯王カードくらいしか無かったが、そんな時母親から言われた。「地元のパルコに石売ってるよ」と。
これが一番大きかった。
パルコの入口、入ってすぐ左。ジュエリーショップと思いきや、ヒマラヤの水晶原石も売られていた。しかも僅かなバイト代で手に入れられる安価帯。
救われた気がした。
その日から、バイトの給料が貯まる度、それは水晶に交換されていったのだった。
その店で購入した初の原石。
ここまでが、国産水晶を手に入れるまでの私のお話。
水晶好きな松ちゃん
「都内某所の松ちゃん鉱山」鉱山主の松ちゃんと申します。
日本各地で採取された水晶の魅力に取り憑かれ、その美しさと希少さを広めるため、日夜現金採取をしております。大量の標本があることから、「鉱山」と標記しております。
館長のきまぐれで撮影、展示となります。
現在、四国島の香川県産水晶、産地が明確に分かる徳島県の水晶を探しております。(2022.10.30)情報をお持ちの方、連絡をお待ちしております。
ご質問や展示依頼は、当館のメッセージ、またはTwitterのDMにて随時受け付けております。
https://twitter.com/Matchan_Mine
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