-
2010 (21TH) SPARK LOTUS T127 J.TRULLI
チーム・ロータスの復活?? LOTUS T127 ヤルノ・トゥルーリ 2010年新規参戦チーム イギリスF3のライトスピードが母体となり デザイナー マイク・ガスコインと提携 更にジェームス・ハントの弟 デビット・ハントと契約して彼が所持する チーム・ロータスの名称使用権を得た 当初は新規3チームの選考から漏れたが 新規参戦予定のチームUSF1が消滅 また急遽トヨタのF1から撤退もあり 最終的にロータス・レーシングとして エントリーが認められた ドライバ―はトヨタ撤退でシート失った ヤルノ・トゥルーリとマクラーレンから 移籍のヘイキ・コバライネンの F1ウイナーコンビ(どちらも生涯1勝) 同年に新規参戦したHRTとヴァージンには 差をつけ既存チームのテールエンダー トロ・ロッソに迫ったもののポイント獲得はならず トゥルーリの決勝最高はR16日本GPの13位 予選ではチームメイトのコバライネンに 勝ったものの決勝では大きく負け越し 年間順位もトゥルーリ21位 コバライネン20位(決勝最高12位) 翌2011年もチームに残留 ロータス・レーシング→チーム・ロータスに 名称を変更するもロータス・ルノーとの間に ロータス名称問題が勃発する
230521 J.TRULLI 2010 18FW12C
-
2010 (22TH) SPARK HRT F1-10 K.CHANDHOK
走るマハラジャ カルン・チャンドック F1デビューは新規参戦 HRT F1-10 カルン・チャンドック インド出身 同国出身のF1ドライバーは ナレイン・カーティケアンに次ぐ2人目 下位カテゴリーGP2は2008年 年間10位が最高 2010年新規参戦チームHRTよりデビュー チームメイトはÁ・セナの甥 ブルーノ・セナ B・セナとは2008年GP2でもチームメイトで 2014年のフォーミュラEで3度目のコンビ HRTは新規3チームの中でも戦闘力が乏しく 資金難でどのGPにも同じリアウイングを装備 その中で10戦中8戦完走 決勝最高14位2回 ブルーノ・セナの最高位14位1回を上回った しかし持ち込み資金の不足もあり R11ドイツGPよりリザーブドライバーの 山本左近にシートを奪われた 翌2011年はロータス(マレーシア)の リザーブドライバ―となり ヤルノ・トゥルーリの代役で10ドイツGPのみ 1戦限りで出走 自身最後のF1出場となった チャンドックは知的でF1の知識も豊富 名前をもじり カルンペディアとも呼ばれていた #F1-2010年
230520 K.CHANDHOK 2010 20FW12C
-
2010 (25TH) SPARK VIRGIN VR-01 T.GLOCK
新規参戦チーム 2010年 ヴァージン VR-01 ティモ・グロッグ 2010年 F1は新規3チームが参戦 ロータス(マレーシア) HRT(スペイン) ヴァージン(イギリス) 元々マノー・F1チームと名乗っていたが 2009年のチャンピオンチーム ブラウンGPのスポンサーであった 多国籍企業のヴァージンが タイトルスポンサーとなり名称が変更 風洞実験を行わず数値流体力学(CFD) によるシミュレーションのみでデザイン これには1994~1995年に参戦した シムテック代表ニック・ワースの会社 ワース・リサーチがサポートしていた グロッグは2009年まで所属のトヨタが 急遽撤退により新規ヴァージンでの参戦 チームメイトはルーカス・ディ・グラッシ グロッグは前半8戦中6戦でリタイア 決勝最高もR16日本GPの14位 ディ・グラッシも決勝最高位14位であったが 2番目の決勝成績差で敗れて年間25位 (ディ・グラッシ15位 グロッグ16位) 新規3チームを含むフル参戦ドライバ―で 最下位ではあったもののエースとして 翌2011年もヴァージンに残留 モデルはスパーク R2オーストラリアGP仕様 予選21位→決勝はリタイア 新規3チームともスパークで発売 モデルカーケースのスリーブも ヴァージン仕様となっている
230519 T.GLOCK 2010 24FW12C