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1971 2ND QUARTZO MARCH 711 R.PETERSON
ロニー・ピーターソン 初入賞 独創的フロントウイング MARCH 711 前年度プライベータでF1デビューした ロニー・ピーターソン(スウェーデン)は 1971年はマーチのワークスでエントリー マーチはエンジンをコスワースDFVと アルファロメオをドライバーで使い分け ピーターソンは主にコスワースDFV車 ティートレイと呼ばれた フロントウイングは楕円形の独特のもので フロントノーズ先端から支柱を伸ばした形 ピーターソンはR3モナコで2位初入賞 その後優勝はなかったものの 2位4回 3位1回の表彰台4回で33P 参戦2年目ながら年間ランキング2位 マーチ711の車体でピーターソン以外の ワークスドライバーは全てノーポイント ウイリアムズで711を使用した アンリ・ペスカローロが2度入賞をしている モデルはQuartzo R3モナコGP仕様 予選8位→決勝2位 ピーターソンの初入賞&初表彰台 キャリア表彰台は26回 入賞は42回 QFC品番のQuartzoの後期の発売モデル 台座に直接 車体名等がプリントされている https://muuseo.com/FW12C/items/1901?theme_id=34513
240306 R.PETERSON 1971 17FW12C
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1977 14TH PMA TYRRELL FORD P34 R.PETERSON
ティレル6輪 P34 2NDシーズン 苦戦のロニー・ピーターソン 1977年ティレル6輪 2シーズン目 マーチよりロニー・ピーターソンが移籍 パトリック・デパイユはチーム残留 P34はトップスピード向上のため エンジンまで覆うカウルを開発 FIRST NATIONAL CITYの スポンサーが付きコックピット周りは 白のアクセントのカラーに変更 移籍のピーターソンは6輪に馴染めず 開幕より4戦連続のリタイア R7ベルギーGPでシーズン唯一の表彰台3位 R15アメリカでFLを記録するものの 他の入賞は2回にとどまり年間14位 R17日本GPは予選18位 決勝は6周目にビルヌーブ(フェラーリ)と 絡みリタイアに終わる ピータソンは翌1978年はロータスに戻り これが最後のシーズンとなってしまう モデルはミニチャンプス 1977年のP34のモデルは 先にモナコGP仕様が発売され 後にGP仕様表記の無い仕様が発売された 珍しいパターンでフルカウルの再現と ドライバ―フィギュアが改良されている
231229 R.PETERSON 1977 1回FW12C
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1978 2ND QUARTZO LOTUS 78 R.PETERSON〖🏆2〗
ロータス復帰 ロニー・ピターソン 最後の乗車マシン LOTUS 78 1978年ロニー・ピーターソンは 1976年の開幕戦以来のロータスに復帰 チームメイトはマリオ・アンドレッティ 序盤戦は前年度のモデルLOTUS 78で参戦 モデル仕様のR3南アフリカGP 予選は11位に沈むも 決勝は徐々に順位を上げ ファイナルラップでトップ走行の P・デュパイエ(ティレル)を 激しいサイドバイサイドの競いを制し 最後は0.4秒差での逆転の勝利を飾る LOTUS 78はR6戦まで使用して PP 1回 優勝1回 入賞4回 FL1回 後ニューマシンLOTUS 79が導入された 運命のR14イタリアGP ピータソンは決勝前のウォームラップで LOTUS 79をクラッシュさせてしまい 決勝には旧車のLOTUS 78で出場 スタート直後の事故に巻き込まれて 後日 帰らぬ人となってしまい LOTUS 78が最後の乗車マシンとなった https://muuseo.com/FW12C/items/1334 #F1-1978年
230317 R.PETERSON 1978 3回FW12C
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1978 2ND PMA LOTUS 79 R.PETERSON〖🏆2〗
SUPER SWEDE 無冠の帝王 ロニー・ピーターソン 散る 1978年ロータスの復帰した ロニー・ピータソン チームメイトはマリオ・アンドレッティ 本格的なグランドエフェクトカーLOTUS79 この年の待遇は表面上は同等であったが 実際はマリオにマシンの優先使用や GYのスペシャルタイヤの提供があった ピーターソンはR3南アフリカと R12オーストリアでこの年2勝 チームオーダーもありマリオは6勝 逆転チャンピオンの可能性が残された R14イタリアGP スタート直後の 多重クラッシュにより両足に重度の骨折 命に別状は無いと思われたが 翌日の足の手術後に急変し帰らぬ人となった 享年34歳 その後年間2位が確定して 獲得51Pとともに生涯ベストリザルトとなった ピータソン亡き後スウェーデンドライバ―の 勝利者は無く 同国でのF1開催も現在まで無い 🏁ロニー・ピーターソン (スウェーデン) 【決勝出走回数】122回(入賞42回-表彰台26回) 【予選最高位】 PP(14回) 【決勝最高位】 優勝(10回) 【ファステストLAP】 ( 9回)
221229 R.PETERSON 1978 6FW12C
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1976 11TH+α PMA MARCH FORD 761 R.PETERSON
ロータス離脱のR・ピーターソン 古巣マーチに復帰 MARCH FORD 761 1976年ロータスのニューマシン77に 失望したピーターソンは開幕戦後に ロータスを離脱して古巣マーチに復帰 復帰初戦のR2南アフリカGP 予選10位→決勝15周目リタイア インダクションポッドが高い位置に あるこの形状はR3アメリカWESTまでで R4スペインGPからは レギュレーションで禁止となった このGPはまだスポンサーがついておらず ピータソンの母国のスウェーデンの 国旗をモチーフとしたカラーとなっている #F1-1976年 #1976 #F1 上段 1976年ピータソン開幕戦仕様 https://muuseo.com/FW12C/items/681?theme_id=35914 下段 1976年ピーターソンR13イタリアGP仕様 https://muuseo.com/FW12C/items/914?theme_id=35914
R.PETERSON 1976 1回 2.544FW12C
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1976 11TH PMA MARCH FORD 761 R.PETERSON 〖🏆1〗
ロニー・ピーターソン マーチ復帰 29戦ぶりの勝利 MARCH FORD 761 1976年R2南アフリカGPからマーチに復帰 前半戦は予選のシングルグリットの獲得も 決勝の結果に結び付かないレースが多く 後半戦はR11オーストリアGPで 予選3位の好位置から→決勝6位初入賞 R12オランダGPは自身40戦ぶりの ポールポジション獲得も決勝はリタイア R13イタリアGPは予選8位から 決勝はJ・シェクター(ティレル)を 11周目に抜いてトップに立ち P・ドュパイユ(ティレル)の猛追を防ぎ 1974年イタリアGP以来の優勝 モデルはイタリアGP WINNER仕様 ピーターソン29戦ぶりの通算8勝目 コンストラクターのマーチとしては 通算3勝目で最後の勝利となった ◆R16日本(富士SW)予選9位→決勝リタイア◆ 1976年様々なカラーリングのマーチ ピーターソンのマシンは ファーストナショナルシティ 現在のシティバンクがスポンサー 古巣マーチ復帰のピーターソン 入賞は2回のみで年間順位は11位 翌1977年はティレルに移籍します #F1-1976年 #1976 #F1
R.PETERSON 1976 1回 3.024FW12C
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1976 11TH+α2 SPARK LOTUS 77 R.PETERSON
1976年チーム・ロータスは 前年のLOTUS76の失敗と72老朽化に伴い LOTUS 77を開幕のブラジルGPから導入 コース特性に合わせてホイールベースや トレッドを調節することが可能な アジャストカーをコンセプトに設計 R・ピターソンはロータス4年目 ブラジルGPは予選18位 TMのM.アンドレッティは予選16位 決勝は2人ともリタイヤに終わる LOTUS 77に失望したピターソンは このGPをもってロータスを離脱 古巣のマーチに移籍 わずか1戦のみのモデル John Player Specialのタバコ仕様 PLANEX COLLECTION 別注 #F-1976年
R.PETERSON 1976 5 1/43FW12C
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1975 13TH QUARTZO LOTUS 72E R.PETERSON
1973年のコンストラクター制覇の ロータス72Eもさすがに2年落ちで 1975年は経年劣化は否めず ロニー・ピーターソンは マシンに苦しみ 最高順位はモナコ予選4位→4位 ポイントは6Pのみで年間12位 チームメイトのJ.イクスは R9フランスでチームより離脱 その後はJ.クロフォード J.ワトソン B・ヘントンが乗るも 大きな成果に繋がらなかった チームは1971年以来の4ぶりの未勝利 コンストラクター7位に終わり 名車 ロータス72Eも終焉を迎えます #F1-1975年 #F1
R.PETERSON 1975 5 1/43FW12C
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1973 3RD TSM LOTUS 72E R.PETERSON 〖🏆4〗
#F1-1973年 #LOTUS
R.PETERSON 1973 2 1/43FW12C