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1956 (28TH) SPARK GORDINI T32 A.PILETTE
F1親子鷹 アンドレ・ピレット 最後のゴルディーニ GORDINI T32 アンドレ・ピレット ベルギー出身 息子のテディ・ピレットも 1974年ブラバムでF1参戦している F1界では3番目のF1親子鷹の父の方 アンドレは1951年よりスポット参戦 1954年ゴルディーニで自身唯一の5位入賞 1年空けて1956年はゴルディーニと 地元ベルギーではフェラーリで参戦 モナコGPとベルギーGPはともに6位 1956年は5位まで入賞の為 惜しくも入賞はならなかった 1950年から参戦しているフランスの ゴルディーニはこの年限りでF1撤退 T32が最後のマシンとなった モデルはスパーク モナコGP仕様 決勝6位 ピレットはこのGPで予選に出場しておらず 決勝でエリー・バイヨル(フランス)と 車両を共有しそれぞれ44周走行 100周のレースでトップから12周遅れ 優勝はスターリング・モス(マセラッティ) https://muuseo.com/FW12C/items/1548?theme_id=34513
231210 A.PILETTE 4 1/43FW12C
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1999 16TH PMA PROST PEUGEOT AP02 O.PANIS
オリビエ・パニス F1 6年目 フレンチチームと決別 PROST AP02 前年度ノーポイントに終わったパニス 1999年もヤルノ・トゥルーリと共に プロスト グランプリに残留 R2ブラジルGPで予選13位から 2年ぶりとなる6位入賞を果たすと R7地元フランスGPでは予選3位と健闘 途中完走率の高いパニスは7戦連続の完走と 粘りの走りを見せたものの R10ドイツGPの2度目の6位と 入賞は僅かに2回に終わり シーズンで2ポイント 16位に終わった 1994年リジェ~プロストと6年過ごした フランスチームから離脱 翌2000年はウイリアムズからのオファーが 単年であったこともあって断り マクラーレンのテストドライバーとして契約 この時のテストドライバーしての働きが 再びパニスの評価を上げて 2001年はBARでF1に復帰する モデルはミニチャンプス タバコ ゴロワーズはバーコード仕様 何故か台紙の車体表記が PROST GRAND PRIX 1999 となっている
231023 O.PANIS 1999 18FW12C
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1999 15TH PMA SAUBER PETRONAS C18 J.ALESI
ザウバー2年目 ジャン・アレジ チーム不振で批判合戦 SAUBER C18 1999年ザウバー2年目のアレジ チームメイトはペドロ・デニス ザウバーは新規でXトラック製の 7速ギアボックスを導入したが これが裏目となりトラブル多発 フェラーリV10エンジンとの相性も悪く シーズン当初から問題に悩まされた それでもアレジは予選では1発の速さを見せ R5スペイン予選5位 R7フランス雨を利用して予選2位 しかし決勝はR3サンマリノ6位 最終R16日本6位の2度の入賞のみで 1989年のデビュー以来最悪の成績 チームメイトのペドロ・デニスにも 1ポイント差で敗れ年間15位 チームオーナーのペーター・ザウバーとも チームとドライバ―批判合戦で 不仲となりザウバー2年目で離脱 翌2000年はプロストに移籍 ミニチャンプスの1999年モデルより ドライバ―フィギュアが各段に良くなり ドライバ―の腕が独立していいる
230826 J.ALESI 1999 11FW12C
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2022 12TH SPARK ASTON MARTIN AMR22 S.VETTEL
数々の最年少記録 4度のチャンピオン セバスチャン・ベッテル引退 2022年セバスチャン・ベッテルは アストンマーチン2年目 チームメイトはランス・ストロール 開幕2戦を欠場し参戦した20戦中 予選Q3進出が4度のいずれもが9位 決勝10度の入賞があったが最高位は6位 ベッテルが表彰台に上がらなかったのは 途中参戦デビューした2007年以来 R13ハンガリーGP前に 自身のインスタグラムを開設し 2022年限りでの引退を発表した 最終戦のアブダビGPで10位入賞 これはベッテル通算219回目の入賞で キミ・ライコネンと並び歴代4位タイとなった 4年連続ワールドチャンピオン F1において数々の最年少記録を樹立 通算勝利数53回は歴代3位 前人未踏の連続優勝9回 奇跡のワンダーボーイ ベッテルは静かにF1から去った 🏁セバスチャン・ベッテル(ドイツ) 【決勝出走数】 298回 〖入賞219回-表彰台122回〗 【予選最高位】 PP (57回) 【決勝最高位】 優勝(53回) 【ファステストLAP】 (38回) 【ワールドチャンピオン】4回 2010年 レッドブル 19戦 5勝 2011年 レッドブル 19戦11勝 2012年 レッドブル 20戦 5勝 2013年 レッドブル 19戦13勝
230526 S.VETTEL 2022 5FW12C
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2000 16TH PMA ARROWS SUPERTEC A21 P.DE.LA.ROSA
キャリアベストタイ 予選5位 ペドロ・デ・ラ・ロサ ARROWS A21 前年度アロウズに貴重なポイントをもたらした デ・ラ・ロサはアロウズに残留 チームメイトはヨス・フェルスタッペン 高速重視のマシンであった ARROWS A21 レース中の最高速をデ・ラ・ロサは3回記録 フェルスタッペンとあわせてチームで7回 R6ヨーロッパGPでシーズン初6位入賞 R10オーストリアGPでは 一時3位走行(最終リタイア) R11ドイツGPキャリベスト(タイ)で予選5位 決勝もシーズン2度目の6位入賞 印象的な走りを見せたものの マシンの信頼性の不足もあり 完走は17戦中6回 完走率は37.5%は フル参戦ドライバーの中では最下位 デ・ラ・ロサはアロウズを離れ 翌2001はプロストのテストドライバー シーズン途中よりジャガーにて参戦する モデルはミニチャンプス フランス通信大手Orangeがスポンサー ブラック/オレンジのカラーリングが 印象的な2000年シーズンを彩った1台
230326 P.DE.LA.ROSA 2000 18FW12C
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1997 18TH PMA PROST MUGEN HONDA JS45 S.NAKANO
日本人フルタイム5人目 中野信治 F1デビュー PROST MUGEN HONDA JS45 父 中野常治氏も全日本F2参戦したドライバ― 中野信治はフォーミュラニッポンでの 優勝経験がなかったものの(年間6位が最高) 無限ホンダの後押しもありリジェと契約 しかし1997年チーム名がプロストに変わると 早々に翌1998年からエンジンがプジョーに 変更が発表されるなど立場が微妙になり ルーキーながらTESTもままならない状況 R7カナダGPでは7位走行中に チームメイトのO・パニスがクラッシュ 赤旗中断となりレースはそのまま終了 これにより6位に上がりF1初の入賞 R11ハンガリーGPでは E・アーバイン(フェラーリ)との激闘を制し 自身2度の6位入賞 年間2Pで順位は18位 中野は1年限りでプロストを離脱 翌1998年は開幕直前にミナルディのシート獲得 #F1-1997年
221120 S.NAKANO 15 1/43FW12C
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1996 15TH PMA LIGIER MUGEN HONDA JS43 P.DINIZ
ブラジル実業家の子息ペドロ・ディニス F1初ポイント獲得 リジェ JS43 1996年資金難であったリジェは 10億円ともいわれるスポンサーマネーとともに フォルティからP・ディニスを向かい入れた 当初はそのドライビング能力が疑問視されたが デニスはトム・ウォーキンショーや フランク・ダニーが認めるほどの勤勉 R7スペインGP R14イタリアGP どちらも荒れたレースを生き残り 6位入賞を果たしている デニスの生涯入賞回数は8回 R11ドイツGPでは予選でこの年唯一の TM O・パニスに勝利で11位を獲得 デニスに対する評価は徐々に変わり始める スポンサーのブラジル食品ARISCO ブラジル アイスメーカーKibon イタリア乳製品メーカーparmalatは デニス関連の持ち込みによるもの デニスはその豊富な資金ととも 翌1997年はウォーキンショーが 率いるアロウズに移籍する #F1-1996年 #1996年 #リジェ #F1
P.DINIZ 10 1/43 LIGIERFW12C
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1992 15TH+α SPARK LOTUS 107 J.HERBERT
LOTUS 37戦ぶりの新車LOTUS 107 ジョニー・ハーバートにより出走 1992年ロータスはR5サンマリノGPより 待望の新車LOTUS 107を投入 旧型の102シリーズは1990年開幕より 実に36戦に渡り使用された 107のデビュー戦はハーバートのみに 与えられたが予選はギリギリの26位で通過 旧マシンで出走のTM M・ハッキネンは予選落ち この時のLOTUSの代表はP・コリンズで ハーバートを1989年ベネトンでの デビューの道を作った人物 ゆえにハーバートに先に ニューマシンが与えられた 107のマシンではR8フランスGP 予選12位→決勝6位入賞 入賞はこの1回のみ(モデル仕様) 4年目にして初のフル参戦であったが ハーバートは年間2ポイント15位 TMのハッキネンは年間11ポイント8位 F1ライト兄弟とも呼ばれた2人は ハッキネンはマクラーレン ハーバートはロータス残留と明暗が分かれた #F1-1992年 #LOTUS
J.HERBERT 12 1/43 LOTUSFW12C
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1994 23RD ELIGOR LARROUSSE FORD LH94 E.COMAS
ラルースは念願のメインスポンサー フランスのビールTOURTELを獲得 前半戦は姉妹ブランドのKronenbourgの 赤と白のカラーリングでも出走(画像1~4) エリック.コマスはラルース2年目 当初エンジンはフランスのプジョーが 噂されたがマクラーレンに奪われ ランボルギーニは撤退 フォードHBに落ち着く LH94のベースは1992年のLC92で レギュレーションを合わせたもの コマスはR2パシフィックとR9ドイツで 6位入賞を獲得したがチームは年間11位 次年度FOCAからの輸送費が受けれなくなった セカンドドライバ―は例年のごとし ①オリビエ・ベレッタ ②フィリップ・アリオー ③ヤニック・ダルマス ④野田 英樹 と変わり コマス自身もR16オーストラリアでは ジャン・デニ・デレトラーズに代わっている 4人の日本人ドライバ―をデビューさせた ラルースは資金難で1994年で活動停止 コマスも次年度シート無くF1から引退 所持のF1ミニカーでは唯一 このモデルのみELIGOR社製 #1994
E.COMAS 20 1/43 LARROUSSEFW12C
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1992 15TH SPARK LOTUS 102D J.HERBERT
#1992
J.HERBERT 12 1/43 LOTUSFW12C
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1989 25TH PMA TYRRELL 018 JON.PALMER
ティレル3年目の ジョナサン・パーマー TMはアルボレート アレジ ハーバートのF1WINNER 1989年は6位入賞2回 ブーツェン初優勝のカナダGPで 自身唯一のファステスト記録 この年で引退 その後マクラーレン のテストドライバーになり MP4/5B 4/6 4/7の開発に携わった
JON.PALMER 4 1/43 TYRRELLFW12C
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2002 15TH PMA PANASONIC TOYOTA RACING TF102 M.SALO
PIT STOP DIORAMA ミカ サロ #2002 #F1
M.SALO 24 1/43 TOYOTAFW12C
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1986 17TH PMA BRABHAM BMW BT55 R.PATRESE
#F1-1986年 #ゴードン・マレー
R.PATRESE 7 1/43 2PFW12C