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BAR・ホンダ 005 鈴鹿別注 通称青箱
現地に行けなかったのでお店で購入。日本GPの時に鈴鹿で売られたが、深い青のチェッカー台紙が特徴の一台。モデルカーはテストカー仕様でカーナンバーは無く、どうせだからとラッキーストライクのデカールを自分で貼りました。
佐藤琢磨 ミニチャンプス 麻布、GPコレクション 2004.4.16ゆーじ
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ルノーR23 ルノー別注
02年、テストドライバーを務めて03年は正ドライバーに昇格したアロンソ。開幕戦のオーストラリアGPで7位、F1初入賞。続くマレーシアGPでは21歳236日、F1最年少での初P•P。決勝でも3位、初表彰台を手にした。第5戦地元スペインでは投入されたばかりのF2003GAと張り合って自己最高2位。そして13戦ハンガリーGPではポールトゥウィン。22歳26日の優勝はこれも最年少だった。1勝、2P•Pで55ポイント、ランキング6位というすばらしいルノー1年目だった。
F•アロンソ ミニチャンプス 麻布、GPコレクション 2004.4.16ゆーじ
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フェラーリ F399
16年ぶりにコンストラクターズタイトルを手にしたフェラーリだが、第8戦イギリスGPでミハエルがクラッシュにより骨折したことで混戦になった1999年。アーバインは開幕戦のオーストラリアGPで初優勝し、トータル4勝でチャンピオン争いに加わった。しかしオーストリアGPではマクラーレンの同士討ちに助けられ、ドイツGPでは代走のサロに優勝を譲ってもらった。P•Pはなく、鈴鹿の予選ではクラッシュしてハッキネンを自ら助けてもらうなど、とてもじゃないがチャンピオンを掴み取る実力はなかった。
E•アーバイン ホットウィールマテル 麻布、GPコレクション 2001.1.12ゆーじ
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ウィリアムズ•スーパーテック FW21 オートスポーツ別注
これは福袋に入っていた1台。オートスポーツ別注とはいえ、あまり価値は無さそう。台紙は特徴あるんですけどね。しかし福袋の中身はぶっちゃけハズレ。それだけは記憶に残っている。
R・シューマッハー ミニチャンプス 麻布、GPコレクション 2001.1.12ゆーじ
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フットワークアロウズ・ハート FA16
資金難でシートを失ったモルビデリに代わって資金を持ち込んでF3000からパピスがシートを手に入れた。結局7戦でノーポイントで逆に資金難に陥ってF1から去った。FA16は様々なスポンサーロゴが並ぶものの、非力なマシンであまり目立つ走りはできなかった。
M•パピス オニクス 麻布、GPコレクション 2001.1.12ゆーじ
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スチュワート・フォードSF-1
新規参戦のスチュワートグランプリ。トップチームへ移籍できなかったバリチェロが賭けをするように加入した。しかし17戦で3回の完走という信頼性の低さを露呈した。だが雨のモナコでは次々と他のマシンを抜いて2位ポディウム獲得という奇跡をやってのけた。時折魅せる予選での上位進出はルビーニョらしいアピールだったのだと思う。
R•バリチェロ ミニチャンプス 麻布、GPコレクション 2000.8.7ゆーじ
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ザウバー•メルセデスC13 200GP カナダ
チェザリスの200GP参戦のモデルカーにもサイドポンツーンに200の文字がもちろん入っている。負傷したベンドリンガーの代役として出走した。その後208戦まで出走した。壊し屋と言われた彼だが、晩年は地味に仕事をしながら堅実な走りを見せていた。
A•Dチェザリス オニクス 麻布、GPコレクション 2000.8.7ゆーじ
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ティレル・ヤマハ022
懐が寂しかったのかブランデルを買った022。ハーベイポスルスウェイトの設計のシンプルな022。ヤマハエンジンもJTからの資金提供で開発も加速した。スペインGPでは3位でポディウムに上がった。8ポイントでランキング12位は立派だった。
M・ブランデル ミニチャンプス 麻布、GPコレクション 2000.8.7ゆーじ
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ティレル・ヤマハ023
右京が再び迷走した95年のマシンは023でした。結局リタイアが多くノーポイント。ポルトガルGPではスタート直後にバドエルと接触して宙を舞った。無事だったが酷いシーンだった。オニクス製の023は今ではおもちゃのレベルです。
片山右京 オニクス 麻布、GPコレクション 2000.8.7ゆーじ