東日本大震災からもうすぐ10年
初版 2021/02/07 22:09
東日本大震災の時は仙台に住んでいて、会津若松に単身赴任中の自分。仙台の実家に帰れたのは大震災の6日後の早朝4時でした。足がなくて後輩の自転車で20時間かけての仙台までの移動は寒さとのたたかいでした。この場では大震災の信じられない記憶を書くのは控えておきます。まず実家に帰ってから住んでいた社宅に帰ると室内はめちゃめちゃ。モデルカーを保管していた部屋は中の本棚が倒れていて開けることすらできず、ドライバーで扉のビスを外して中に入ると不思議と柔らかい物がクッションになっていてモデルカーはケース以外無事でした。携帯が使えるようになると多くの仲間から連絡が来ました。その時に気にかけていただいたのが中野ブロードウェイにあるシグナルの河村店長でした。この画像のケースは買取をしたけど商品として使えないので、割れたケースの代わりにしてくださいと山のようにいただいた物のあまりです。少し落ち着いての突然の来店にもかかわらず、なにか力になりたいと思う気持ちを今でも忘れてはいません。お付き合いが続けているのもこんな心遣いがあったからだと思います。東日本大震災の記憶は風化させてはいけないのです。
#思い出