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ピンクレディーベストヒットアルバム
01 UFO (アルバムバージョン) 試聴 02 レディーX 試聴 03 ウォンテッド (指名手配) 試聴 04 逃げろお嬢さん 試聴 05 渚のシンドバッド 試聴 06 パパイヤ軍団 試聴 07 ゆううつ日 試聴 08 カルメン'77 試聴 09 パイプの怪人 試聴 10 S・O・S 試聴 11 ピンクの林檎 試聴 12 ペッパー警部 試聴 13 乾杯お嬢さん 試聴 14 インスピレーション 試聴
ビクター平碆 善幸
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ピンクレディーペッパー警部
人気絶頂の頃はあまりにも多忙を極めていたためオリジナルアルバムを制作できなかったピンク・レディー。 本盤は、まだ海のものとも山のものともわからない時期に作られたファーストアルバムです。 ”モンスター”に化ける前の、初々しい二人の歌声に耳を傾けてみましょう。 評者のお勧めは「乾杯お嬢さん」~「ゆううつ日」~「S・O・S」の流れ。 「乾杯お嬢さん」は「ペッパー警部」のB面で、「ペッパー警部」のあまりのぶっ飛びぶりに腰を抜かしたレコード会社のお偉いさんがAB面差し替えの検討はできないかと言ったと伝えられている曲です。 差し替えたら差し替えたで、当時19歳の二人が♪ワインなんか飲んでみました~とテレビで歌ったら、それこそ問題になったでしょう。 ♪ジンと胸に迫る恋でも~は、デュオ名がカクテルから取っているため、お酒の「ジン」とのダブルミーニングとも考えられます。 「はいからはくち」は「ハイカラ白痴」と「肺から吐く血」の意味を持っているように。 その意味でも「ペッパー警部」でのデビューは正解でした。 しかし音楽的には優れた一曲です。 ズーンと低いベースから始まり、水がお湯になり沸騰していくように音程がかけあがり、華やかなストリングスが追っていくイントロ。 声質が異なるミーとケイの絶妙なハーモニー、最後の♪そんな言葉をかける誰かが現れる~は輪唱の形になっています。 今のアイドルはあれだけの人数がいても、全てユニゾンですね。 「ゆううつ日」は、後年の快進撃しか知らない人にもぜひ聞いていただきたい作品です。 ストーリーは太田裕美さんのファーストアルバム「まごころ」に収録されている「グレー&ブルー」(太田さんの自作)に近いですね。 阿久悠さんが太田さんのアルバムまでご存じだったとは思えませんが。 阿久さんにしてはかなり繊細な表現が織り込まれていて、ボーカルはやや粘度が高いきらいもあるものの、歌の世界観をしっかりと表現しています。 ♪ひとり手紙など書いて…は、翌年に阿久さんが書いてヒットさせ、今では一般用語にまでなっている「思秋期」の♪絵葉書なんか書いている…のプロトタイプともみなせます。「ゆううつ日」のヒロインはやや自嘲気味に自らの境遇を嘆き、阿久さんらしくありませんが、本作で描けなかった「別れの悲しみを受け止めて、前向きに歩んでいく姿勢」を一気に表現しきった作品が「思秋期」と考えれば、さらに味わいが深まります。同様に、「乾杯お嬢さん」が♪秋の日暮れセンチメンタル~で始まるのは、前年阿久さんが「感傷的な十七歳」という詞を書いたところ、カタカナのタイトルを続けるほうがよいと占い師に言われたという理由で「センチメンタル」に改題されたことをふまえているようにも思えます。 LPレコードではB面に相当する後半は、デビュー当時大人気だったベイ・シティ・ローラーズのナンバーの日本語版。 評者も「S・A・T・U・Y、D・A・Y、 Night!」と拳を振り上げた世代ですから(この曲は収録されていません)、今でも懐かしく思い出します。「二人だけのデート」は後年河合奈保子さんがファーストライブで、同じ日本語詞で歌ったことも付け加えておきましょう。 ジャケットも、背景のいちょうの鮮やかな黄色と、二人の深紅の衣装のコントラストが見事です。 今でこそ当たり前になりましたが、当時は飛び抜けて新鮮な色彩でした。 撮影日は寒かったのではないでしょうか。
ビクター平碆 善幸
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桜田淳子ベストコレクション75
1 はじめての出来事 2 特別な気持 3 花占い 4 白い貝がら 5 気になるあいつ 6 黄色いリボン 7 三色すみれ 8 あなたのひとりごと 9 花物語 10 わたしの青い鳥 11 天使の初恋 12 天使も夢見る 13 16才の夏 14 悲しき雨音 15 恋のフィーリング 16 青いカナリヤ 17 シンデレラ 18 北風の町 19 出来事 20 もしも僕の背中に羽根がはえていたら 21 風がはこぶ愛 22 小さな日記 23 木の葉のベッド 24 幸せの鐘が鳴る
ビクター平碆 善幸
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金沢明子民謡ベストアルバム
3人兄弟の末っ子(姉と兄がいる)[1]。津軽民謡を得意とするアマチュアの民謡歌手であった父の影響で子供の頃から民謡を始める。 1970年に16歳で日本民謡協会主催の第19回全国大会個人優勝杯戦優勝。この大会で『秋田船方節』を歌った[1]。 1975年にアルバム『若い民謡』(ビクターエンタテインメント)でデビュー。デビュー当時のキャッチフレーズは「民謡界の百恵ちゃん」であった。1979年にゴールデン・アロー賞新人賞芸能部門受賞、芸術祭優秀賞受賞。 原田直之と共にNHKの番組『民謡をあなたに』の司会を務める。出演時にはジーパン姿で民謡を歌うという当時としては異例でもあったが、逆にそれが新鮮に映り彼女の人気と知名度の向上に繋がった。しかし当初はジーパン姿での出演には苦情の方も多くあったという。津軽民謡を得意としたが三味線奏者の本條秀太郎に師事したことによりレパートリーを広げ、民謡のレパートリーは300曲とも言われ、その場でリクエストに答えて即座に歌うコーナーもこなしていた。結果、1979年から2年連続『NHK紅白歌合戦』に出場。1日に3時間しか睡眠時間が取れなかった事もあった程の売れっ子歌手となり民放でも大活躍したが、フジテレビの社員と結婚後、人気が急落してしまった。この社員とは後に離婚し、歯科医師と再婚をする。 1982年に大瀧詠一プロデュースの「イエロー・サブマリン音頭」がヒットした。この曲はビートルズ結成20周年記念として企画された。現在でも自身の代表的な持ち歌となっている。 1991年6月21日に発売された、民謡をハウスミュージック風にアレンジしたアルバム『金沢明子HOUSE MIX(I・II)』がヒット。発売元のビクター発表で発売から約2か月で約5万5000枚(2作計)を売り上げた[3]。 寺田創一によるomodakaにボーカルとして参加している。 清酒大関のCMのほか、ロウソクの炎を揺らさずに歌う日東あられ(現在は廃業、商品の一部は越後製菓などに譲渡)のCMでも当時話題になったが、その後充電期間を置きながらも地道に歌手活動を続ける。現在は民謡よりも演歌を主体にしており、ラジオパーソナリティーとしても活躍している。 他の活動では1984年に自身初のヌード写真集を発売している。 インターネットのヘビーユーザーでもあり、公式サイトのBBSの返答は本人自ら書き込みを行なっている。
ビクター平碆 善幸
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荒木一郎 全曲集
空に星があるように 2. 今夜は踊ろう 3. ギリシャの唄 4. 紅の渚 5. ひとりの時も 6. 君に捧げん 7. ブルー・レター 9. いとしのマックス 10. 朝まで待とう 11. マックスへの手紙 12. 海 13. あなたに寄せて 14. ごめんね一人にして 15. 涙の風景
ビクター平碆 善幸
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青江三奈スーパーデラックス
恍惚のブルース A2 眠れぬ夜のブルース A3 この恋なくしたら A4 伊勢佐木町ブルース A5 札幌ブルース A6 長崎ブルース A7 新宿サタデー・ナイト B1 池袋の夜 B2 国際線待合室 B3 夜の瀬戸内 B4 昭和おんなブルース B5 日本列島・みなと町 B6 旅路にひとり B7 女の夢
ビクター平碆 善幸
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ムラヴィンスキー バルトーク管楽器打楽器とチェレスタのための音楽
ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによるバルトークの≪弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽≫(1965年2月 モスクワ音楽院大ホールでのライヴ)を聴いてみました。 ムラヴィンスキーらしい、峻厳な演奏であります。そのような演奏ぶりは、この作品が持っている透徹した音楽世界を描き上げるに当たって、誠に相応しい。 そのうえで、とても精緻な演奏となっている。強靭でもある。そして、冷徹であるとともに、沸き立つような激情が秘められている。そう、とても峻烈な演奏となっているのであります。 それはもう、全編を通じて、どこまでもが透徹され切っている演奏が繰り広げられています。更には、研ぎ澄まされた感性によって描き上げられている演奏だとも言えそう。 しかも、運動性に満ちている。音楽が、うねりにうねっています。火花を散らしながら驀進しているとも言いたい。そのような観点からすると、実にホットな演奏になっています。そして、この作品が持っているシリアスな切迫感も、容赦ない形で描き出されている。 そんなこんなもあり、「音楽的な美感」の頗る高い音楽が奏で上げられている。 作品の性格と、ムラヴィンスキーの特質とが、高次元の領域で結びついている演奏。そんなふうに言えるように思えます。 いやはや、聴いていて震え上がってしまうほどの、なんとも素晴らしい演奏であります。
ビクター平碆 善幸
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阿川泰子 ラブバード
銀座の「ファンファン」でジャズと出会い1973年、ジャズ・クラリネット奏者の鈴木章治を紹介され、ジャズ・ボーカリストに挑戦、翌年「鈴木章治とリズム・エース」の専属シンガーとなる。後にソロ・シンガーとなり、六本木や赤坂のライブ・スポットで脚光を浴びる。1978年に「ヤスコ/ラブバード」で歌手デビュー。ビクターのバックアップのもと、トミー・フラナガン、ローランド・ハナ、ジョージ・ムラーツ、ロン・カーター、セルジオ・メンデス、ネイザン・イースト、ジョー・サンプルなどの著名ミュージシャンとセッションを行う。1981年には、自らのバックバンド「フラミンゴ・ビッグ・バンド」を結成。
ビクター平碆 善幸
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オイストラフのブラームスヴァイオリンソナタ第3番
穏やかさは影を潜めて、暗く内省的な部分と激しく高揚する部分とが交錯する、まさにブラームスの本領発揮の曲です。構成も4楽章でスケールが大きく、聴き応え充分です。
ビクター平碆 善幸