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【1985/12/20】内閣制度100年記念郵便切手
内閣制度100年を記念して昭和60年12月20日に60円郵便切手が発行されます。 明治18年、我が国は、中央行政機構の大改革を行い。従来の太政官制度を廃し、内閣総理大臣及び諸大臣を中心とする近代的な行政機構として内閣制度を確立しました。 以来、この内閣制度は、明治、大正及び昭和の3代にわたって100年の歳月を経て今日に至っています。 本年12月22日の内閣制度創始100周年の時に当たり、内閣制度の移り変わりと、この間72代にわたる歴代内閣の足取りについて、国民の幅広い理解を求めることは、極めて重要な意義を有するものです。
20枚(縦4枚・横5枚) 縦22.5mm・横33.0mm 内閣の公印と桐の紋章windsurfcafe
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【1987/08/07】木曽三川近代治水100年記念郵便切手
昭和62年が木曽三川の近代治水工事が開始されてから100年目に当るのを記念して、昭和62年8月7日に60円郵便切手を発行しました。 木曽・長良・揖斐の三川は、我が国でも屈指の河川で、古来からその豊かで清浄な流れは農業、舟運、発電等の幅広い用途で利用され、中部圏の経済、文化、風土等と深いかかわりを築いてきました。 この木曽三川において、明治20年に近代的な河川改修工事が内務省により始められ、今年が100年に当ります。 この間、国の直轄による河川改修、砂防事業は下流部から上流部へと区域を拡大するとともに、県による支川改修も始まり、木曽三川治水事業、水資源開発、環境整備等の諸施設が講ぜられ、中部圏の発展の基礎づくりを果たしてきました。 この木曽三川の治水事業が、我が国における近代治水の祖となりました。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦22.5mm・横33.0mm 木曽三川windsurfcafe
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【1987/03/26】さようなら鉄道郵便記念切手
さようなら鉄道郵便を記念して昭和62年3月26日に60円郵便切手が2種発行されます。 我が国における鉄道による郵便物の輸送は明治5年(1872年)新橋・横浜間に初の鉄道が開通した時に始り従来の人力や馬による輸送から安定した郵便物の輸送が可能になりました。当初は職員が乗務してませんでしたが翌年4月から乗務させ郵便物の積下しを行うようになりました。明治25年(1892年)4月から車内での郵便物の区分を開始しこれにより郵便物の区分・輸送の骨格が形成されました。鉄道輸送開始当初は僅か2kmだった鉄道郵便線路も昭和30年頃には約38,000kmに達しピークを迎えました。しかしながら110余年の鉄道郵便輸送の歴史の間における道路交通網や航空路の発達とお客様のスピード指向により鉄道輸送ではお客様のニーズにこたえ切れなくなったため昭和61年10月1日をもって郵便物輸送の主流をなしてきた鉄道郵便車による郵便物の輸送は、その歴史を閉じました。
20枚(縦4枚・横5枚) 縦22.5mm・横33.0mm A)明治時代初期の鉄道郵便車 B)郵便現業絵巻windsurfcafe
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【1989/03/24】横浜博覧会記念郵便切手
横浜博覧会を記念して、平成元年3月24日(金)に60円郵便切手が発行されます。 横浜博覧会は、平成元年3月25日から10月1日までの191日間、「宇宙と子供たち」をテーマに、横浜市で開催されます。 この博覧会は、横浜市が今年で市政100周年、横浜港開港130周年を迎えることを契機に、横浜の歴史的意義を確認するとともに、来るべく21世紀の望ましい姿を希求し、また姉妹都市・友好都市をはじめ、海外の国々、人々との交流の促進を図り、国際文化・情報都市横浜の姿を広くアピールし、経済及び文化の発展に貢献することを目的としています。 意匠に取り上げた横浜絵は、芳虎作の「魯西亜婦人港嵜遊覧」の一部をレイアウトしたものです。背景に描いた美術館は、横浜市美術館で、会場内に建設されています。 横浜絵とは、江戸時代末期、鎖国から開国へと転換期を迎えるに伴って開港された横浜港を通じ、日本へ入ってきた外国人や異国の風俗習慣を主として画題とした浮世絵のことをいいます。 芳虎は、歌川国芳の門人で、最も多く横浜絵を描いた絵師であり、本姓を永島、俗称を辰五郎といい、錦朝桜、一猛斎、猛斎、孟斎と号します。
20枚(縦4枚・横5枚) 縦25.0mm・横33.5mm 横浜絵の少女と美術館windsurfcafe
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【1988/12/05】世界人権宣言40周年記念郵便切手
世界人権宣言40周年を記念して、昭和63年12月5日(月)に60円郵便切手が発行されます。 世界人権宣言は、1948年12月10日に国際連合第3回総会で採択されました。この宣言は、すべての人間の自由と平等、労働の権利など、人権および基本的自由を世界に宣言したものです。国際連合では、12月10日を「人権デー」として定め、毎年世界中で世界人権宣言採択を祝う行事が行われています。 我が国では、12月4日から12月10日までを「人権週間」と定め、人権に関する色々な行事を行っています。 意匠は、広く国民の皆様に、人権に関する理解と認識を深めていただくことを目的として実施した「世界人権宣言40周年記念切手デザインコンクール」において郵政大臣賞を受賞した作品です。 この作品は、北海道札幌市に住むデザイナーの斎藤正秋さんいよるもので、斎藤さんによると、このデザインは、「人間の生命と様々な自由や権利を躍動感ある色々な形(デザインに描かれている人間の様々な動作)で表した」ものとのことです。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦33.0mm・横22.5mm 地球と人間windsurfcafe
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【1988/03/11】青函トンネル開通記念郵便切手
青函トンネル開通を記念して、昭和63年3月11日に60円郵便切手が発行されます。 青函トンネルは、青森県の津軽半島(東津軽郡今別町浜名)と北海道の松前半島(上磯郡知内町湯の里)を結ぶ、全長53.85キロメートルの世界で最も長いトンネルです。 陸上部が30.55キロメートル、海底部が23.3キロメートルで、最深部は水面下約140メートルの海底のさらに100メートル下を通ります。昭和46年9月に本工事を開始して以来、約16年の歳月を経て、昭和63年3月13日に、津軽海峡線として開通することになりました。津軽海峡線は、在来線の津軽線中小国駅と江差線木古内駅をつなぎ、青森・函館間の160.4キロメートルを約2時間で結びます。今までの青函連絡船に比べて約1時間50分の短縮となります。 切手の意匠には、青函トンネル専用に改造されたED79形機関車と青函トンネルの地図を描いています。ED79形機関車は、奥羽本線などで使用されている耐寒、耐雪、耐塩害設計のED75形機関車を改造した青函トンネル専用機関車で、トンネル内の長い下り坂に対応するための特殊なブレーキを新設するなどの改造を行ない、青函トンネルを運行するために更に安全性を高めた機関車です。描かれた機関車はED79形の1号機(ED791)で、大阪・函館間を走る特急「日本海」のプレートを付けたものです。 トンネル開通を記念した切手は、関門(昭和33年3月9日)、北陸(昭和37年6月10日)、関越(昭和60年10月2日)があります。
20枚(縦4枚・横5枚) 縦22.5mm・横33.0mm 青函トンネル専用機関車と地図windsurfcafe
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【1987/10/16】近代水道100年記念郵便切手
近代水道100年を記念して、昭和62年10月16日に60円郵便切手が発行されます。 近代水道とは、沈殿させろ過した水を鉄管で有圧によって給水する水道です。蛇口をひねれば水が出る。この近代水道が我が国で初めて横浜に誕生したのが、明治20年(1887年)10月17日で、今年で100年になります。 神奈川県から横浜上水道設計の依頼を受けたイギリス陸軍工兵中将のヘンリー・スペンサー・パーマーが、明治18年に着工、水源を現在の津久井湖上流に求めて、明治20年に完成しました。 意匠は正式には「獅子頭共用栓」と呼ばれるものです。明治20年の水道創設当時は、数戸の家で共同で使う公設の共用栓が大部分で、この獅子頭共用栓が横浜市内の各所に143基設置されました。この「獅子頭共用栓」はイギリスから輸入され、材質は鋳物で、東部の横に鍵をさしこんで回すと、獅子の口から水が出るようになっています。使う家々に一軒ごとに鍵が支給され、当時はこの共用栓が今の水道の蛇口同様、使用者になじみの深いものでした。現在は、水道記念館(横浜市保土ヶ谷区の西谷浄水場内)に展示されています。
20枚(縦5枚・横4枚) 縦35.5mm・横25.0mm 日本最初の共用水道蛇口windsurfcafe