-
Messerschmitt Bf-109E 3/4
Bf-109Eは、第二次大戦中のドイツ軍の主力戦闘機です。愛称はエミール。1934年バイエルン航空機製造で開発が開始され、翌35年に生産が開始されました。メッサーシュミットと呼ばれるのに表記がBfなのは、この製造会社のバイエルン社の社名がつけられているためです。最も、バイエルン社は後にメッサーシュミット社と社名を変更します。大戦中全期間を通して主力戦闘機として活躍したので、派生型が多く製造されています。E3型は主武装のMG17の振動問題を解決するためにNG FFに換装し翼内装備にしています。E4型はバトルオブブリテンに備え主武装の弾薬を更に協力なものに換装しました。このモデルはドイツの撃墜王ハインツベア搭乗機にマーキングできるデカールが付属しています。 #アカデミー #戦闘機 #ドイツ軍
2214 FA211 航空機 1/72ちょこ大佐
-
Fockewulf FW190A 6/8
FW190A(フォッケウルフ)は、ドイツのフォッケウルフ社が開発し、第二次大戦で活躍したドイツ空軍戦闘機です。愛称やヴェルガー(モズ)。設計者は第一次大戦に従軍経験のあるクルト・タンクで、戦争経験のある彼の設計は、余裕のある機体、パイロットに負荷をかけない操作性能、整備の容易さなど非常に実践向きであり、また実践においても優れた性能を発揮し、第二次大戦での最高の傑作機と呼ばれています。また、当時液冷式エンジンが主流だったドイツ戦闘機の中で、唯一空冷式エンジンを採用した単葉戦闘機です。 #アカデミー #戦闘機 #ドイツ軍
FA085 ? 航空機 1/72ちょこ大佐
-
イギリス海軍 駆逐艦E級
1931年度計画で建造されたイギリス海軍のE級駆逐艦は、1934年11月までに9隻が完成。12㎝45口径MkⅨ単装砲4基に加え、53.3㎝4連装魚雷発射管2基、対潜水艦探知装置アスディックを装備するなど対潜能力が高められているのが特徴です。第二次大戦がはじまると戦艦ビスマルク追撃戦やマレー沖海戦など数多くの海戦で奮闘しました。 #タミヤ #駆逐艦 #イギリス軍
31909 ウォーターラインシリーズ909 艦船 1/700ちょこ大佐
-
フランス陸軍UEトラクター
第二次大戦のフランス軍で前線への物資補給は勿論、軽火砲のけん引や迫撃砲の運搬など幅広い任務に使われたのが、小型装甲車UEトラクターです。平面構成でボルト複合式の車体やガータービームでロードホイールを支える足回りなど、手堅い設計で2名の乗員用には鋳造製のドーム状ハッチを備えていました。また、後部の荷台は車内操作で後斜が可能でけん引されるトレーラーと合わせて1トンの物資を運搬できました。UEトラクターは大戦勃発前の1931年から対ドイツ戦の1940年までに改良型も含めて4900両が生産されました。 #タミヤ #トラクター #フランス軍
35284 MM284 戦車・AFV・歩兵 1/35ちょこ大佐
-
ドイツ 駆逐戦車ヘッツアー(中期生産型)
大戦中、優秀なソビエトのT34やKV-1戦車に対抗するため、ドイツ軍は様々な駆逐戦車を開発しました。そのうちのひとつがこのヘッツアー(Sd.Kfz.138/2)です。シャーシはチェコ製の38t戦車のものを使い、砲塔には48口径75㎜砲を搭載しました。が、生産性が最優先されたため、全面こそ60㎜の装甲をそなえていましたが、側面及び後面は申し訳程度の装甲しか装備していなかった。そのため、実はヘッツアーは戦車ではなく、多少の装甲を施した突撃砲に分類されるもので、本来ならば砲兵科で運用されるものである。しかし、グデーリアンの強い要望により、機甲科で運用できるように駆逐戦車に分類された。 低い車高のため戦闘室内の環境が狭く悪く、また主砲が中心線を外れて装備されているため重量バランスも悪く、死角の車体右側から側面を狙われて撃破されるパターンも多かった。 しかし、その生産性の高さから運用しつつ改良が加えられ、終戦まで2800両も生産、ドイツ軍の重要な駆逐戦車となっていました。 #タミヤ #駆逐戦車 #ドイツ軍
35285 MM285 戦車・AFV・歩兵 1/35ちょこ大佐
-
信長最大の危機 第2版
元亀元年、大軍を率いて朝倉討伐の途についた信長のもとへ義弟である浅井長政が突如寝返ったとの報が届いた。四方を敵に囲まれた信長、絶体絶命…。 「信長最大の危機」は元亀元年、第一次信長包囲網の結成から本能寺の変で信長が倒れる天正十年頃までの十数年に渡る信長と反信長包囲網の熾烈な戦いシミュレートした本格戦略級ゲームです。武田信玄、上杉謙信、羽柴秀吉、明智光秀、徳川家康、柴田勝家、足利義昭、浅井長政、朝倉義景、毛利輝元、小早川隆景、吉川元春、」宇喜多直家、本願寺勢などのオールキャスト総登場。天下統一を成し遂げるのは、信長か、それとも…。 名デザイナーふ~ら~中村渾身の名作。 #織田信長
ルール(34P) ユニット400個 マップ1枚 フルカラーカード64枚 1本 ゲームジャーナル別冊#4 戦略級ちょこ大佐
-
東部戦線冬季戦41-42
1941年6月に発動されたバルバロッサ作戦は、ドイツ軍の思惑通りにソ連軍を駆逐して進んでいった。しかし、ヒトラーの鶴の一声によりモスクワを目指していた中央軍集団が、南方軍集団の支援のために資源豊富なウクライナ地方に転身、貴重な数か月を浪費してしまう。ウクライナ地方を制覇して中央軍集団が再びモスクワを目指したのはモスクワの厳寒な冬季を目前とした9月も終わりの頃だった。果たしてこの迂回はどちらの軍に微笑むのか…。 「東部戦線冬季戦41-42」は1941年9月から始まったドイツ軍による東部戦線におけるタイフーン作戦を再現するゲームです。原作は1983年にアドテクノスが制作、シミュレーションゲームブックスのひとつとして朝日出版社から発売されました。早すぎた傑作と言われ、その出版形態からあまり普及したとは言えず、待望の再販です。そのシステムはシンプルながらタイフーン作戦の展開を無理なく再現しており、特に戦力差によりドイツ軍が連隊、ソ連軍が師団のスケールで再現されるゲームが多い中、どちらも師団規模でデザインされ、質のドイツ軍、量のソ連軍という特徴が実感できる点が唯一無二の良ゲームとなっています。 #東部戦線 #バルバロッサ作戦 #タイフーン作戦
2本 旧アドテクノス再販企画第三弾 作戦級 1Turn=1週間 1へクス=28㎞ 1Unit=師団ちょこ大佐
-
シンガポール陥落
1941年12月8日、連合艦隊による真珠湾攻撃が行われていた頃、アジアでもマレー半島、香港、フィリピンに対する奇襲攻撃が始まった。マレー侵攻作戦の任にあたった山下中将率いる第25軍は、マレー半島北部に上陸作戦を敢行するやひたすら南に向かって前進した。目標は連合軍が保有するアジア最大の戦略拠点にしてイギリス東洋艦隊根拠地であるシンガポール。第25軍先遣隊は上陸からわずか1週間で西海岸の要衝ペナン島を攻略し、1か月後にはクアラルンプールを占領した。イギリス連邦軍は優勢な戦力を有しながらも、日本軍の機動戦に翻弄され効果的な防御戦を展開できなかった。そして開戦から2か月後の2月8日、遂にシンガポール攻略作戦が始まった。 「シンガポール陥落」は、第25軍によるマレー半島上陸からシンガポール陥落までを扱った作戦級ゲームである。システムは「ブタペスト’45」をアレンジしたシステムで、少数精鋭、神出鬼没の日本軍と、数は多いが部隊間の東征に難のあるイギリス連邦軍の特徴を見事に再現している。後退しながら日本軍の作戦重点を探らなければならないジレンマに、イギリス連邦軍は苦しむことになるだろう。 #シンガポール陥落 #マレー電撃戦
1 無し 作戦級 1Turn=1週間 1へクス= 1Unit=大隊~連隊ちょこ大佐