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グリーンホビー 箱庭シリーズNo.7 渡し場
「渡し場」は、今は無き河合商会が発売した箱庭シリーズの第7弾です。箱庭シリーズとは、別売の芝生の種を蒔いて水をかけると芝生が生えて楽しめるというプラモデルで、当時としては物珍しい、際物です。が、その特殊性ゆえ人気はそこそこあった記憶があります。現在「箱庭シリーズ」は、同じ河合商会の「風物詩シリーズ」と共に版権を買い取ったマイクロエースから再販されています。 #河合 #建物
KG7 箱庭シリーズNo.7 その他 1/60ちょこ大佐
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九七式 日本陸軍97式中戦車チハ
97式中戦車は、日華事変から太平洋戦争までの全期間に渡って日本の主力戦車として活躍しました。歩兵の支援を主な任務として昭和11年から開発され、主砲には短砲身57㎜砲を搭載、全備重量15トン、世界に先駆けて空冷ディーゼルエンジンを採用する等世界でも一流の新鋭戦車と言われていました。昭和14年のノモンハン事件から実践に参加し、太平洋戦争初期には目覚ましい活躍を見せましたが、その後はアメリカ軍のM4シャーマンなどの新型戦車に特に火力性能で大きな差をつけられ主砲を長砲身47㎜に換装した改良型を開発しましたがその基本設計の古さから終戦まで苦しい戦いを強いられることになりました。なお生産台数は改良型を含めて2123両でした。 #タミヤ #中戦車 #日本軍
35075 MM75 戦車・AFV・歩兵 1/35ちょこ大佐
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天空に輝く金の鯱鉾 名古屋城
金のしゃちほこで有名な名古屋城は、天下を取った徳川家康が大阪方面への備えとして築いた城です。完成は1612年、初代藩主は9男義直で以後およそ250年の間尾張藩主の居城として栄えました。築城にあたり動員されたのは旧豊臣系20の大名で、戦力や経済力を減らす目的もありました。完成した名古屋城は、大天守、小天守を持つ本丸の他に二の丸、三の丸も作られ、大天守の上には一対の金のしゃちほこが輝き、勇壮な姿をしていました。天守は昭和20年に空襲で焼失しましたが、昭和34年に市民の熱望により復元しました。 #童友社 #城
JJ3 ジョイジョイコレクション3 その他 1/700ちょこ大佐
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日本の名城 安土城
安土城(あずちじょう)は、近江安土山に丹羽長秀を普請奉行として工事に着手しました。工事は昼夜兼行天正7年には五層七重の天守が完成しました。この安土城こそ我が国における本格的な近代城郭の第一歩となっています。天守の瓦は金箔が貼られ、最上層は内外とも金、柱は朱に塗られ、壁面は白亜漆喰と紫色に近い美しい色彩に塗り分けられていたといいます。しかし、この華麗な安土城も3年にして本能寺の変で灰燼と化してしまいました。現在は石垣なdの一部の建造物を残すのみとなっています。 #童友社 #城
JJ10 ジョイジョイコレクション10 その他 1/540ちょこ大佐
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日本の名城 姫路城
現存する姫路城は、国宝、重要文化財、特別史跡に指定されているものが多く、わが国で最もよく保存されている城です。この城は1346年、播磨国の守護職だった赤松貞範の築城に始まります。1580年には羽柴秀吉が入城、三層の天守閣を完成させました。現在残されている城が築かれたのは関ケ原合戦後のことです。1601年徳川家康の娘婿の池田輝政が五層七階の大天守閣を築いたのをはじめ、その三代後の城主本多氏の時代に現在みられるような城の全容が完成しています。 #童友社 #城
JJ1 ジョイジョイコレクション1 その他 1/800ちょこ大佐
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日本の名城 国宝 松本城
美しい日本アルプスの連峰を背景に信州松本平に聳える国宝松本城は、およそ500年前に小笠原貞朝が築き深志城と称されていました。この地は北陸道、越後路に通じる交通の要所で戦国武将たちにとって地勢的に極めて重要視されていました。天文19年(1550年)武田信玄がこの城を奪い城代を置くこと32年、天正10年(1582年)織田信長に攻略され城代が置かれたが、信長没後は上杉影勝が領し、まもなく小笠原貞慶が旧領を回復して築城、松本城と改称しました。同18年(1590年)石川数正とその子康長の2代に渡って増築、堀を深くし本丸に石垣を築き現在の天守閣が築かれました。現在、城の周囲は公園となり、その端正な姿は日本アルプスの背景とよくマッチして名城としての威厳を保っています。 #童友社 #城
JJ9 ジョイジョイコレクション9 その他 1/430ちょこ大佐
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日本の名城 江戸城
江戸城は、武蔵国豊嶋郡江戸に築城された城です。江城(こうじょう)または千代田城(ちよだじょう)とも呼ばれますが、江戸時代には江城と呼ばれるのが普通だったようです。徳川家康が入城し、江戸幕府が開幕してからは、徳川300年に渡り徳川家の居城となり、大規模な拡張工事が10年に渡り行われた結果、他の日本の城とは比較にならないほど強大で最強の城へとなりました。場内では江戸幕府の業務が一手に行われており、武士5千人、大奥に1千人が常駐し、約6千人が勤務していたようです。その威風堂々たる姿は江戸幕府の繁栄にふさわしい雄姿でしたが、明暦の大火により天守閣を含む多くの建造物が焼失し、続く安政大地震、関東大震災、東京空襲によって残った建物、門、石垣なども失われ、現在は僅かな建物と桜田門、田安門、清水門などの門、一部の石垣が残存するのみとなっています。 このモデルは旧版からのパッケージリニューアル版となります。 #童友社 #城
? ジョイジョイコレクションシリーズ4 その他 1/700ちょこ大佐
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ドイツ空軍 戦闘/爆撃機 メッサーシュミットMe262A-1a/A-2a
Me262(メッサーシュミット)は、ドイツのメッサーシュミット社が開発し第二次大戦末期にドイツ空軍が運用した世界初の実戦配備されたジェット機です。愛称は、戦闘機型はシュヴァルベ(つばめ)、爆撃機型はシュトゥルムフォーゲル(みずなぎどり)と呼ばれました。最高速度869㎞にも達するその速度は圧倒的で、一撃離脱戦法を取るとプロペラ機の敵ではありませんでした。通常、速度が30㎞差があると空戦で圧倒的有利を取れるといわれていますが、当時のプロペラ機の最高速度700㎞程度と比べると正にうさぎとかめ状態でした。しかし、ジェット黎明期のためジェットエンジンの不安定さ、航続時間の短さ(30分~1時間)、一旦低速になると再び高速になるのが難しいなど、数々の欠点を抱えており、その速度を活かす戦場は数少なかったようです。 #ハセガワ #戦闘機 #爆撃機 #ドイツ軍
51351 AP51 航空機 1/72ちょこ大佐
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戦艦日向
戦艦日向(ひゅうが)は、三菱長崎造船所で初めて建造された戦艦でその起工は大正4年5月6日、進水は大正6年1月27日、竣工は大正7年4月30日です。新造時の要目は伊勢と同じで基準排水量29,900トン、23ノット、36センチ砲12門、8センチ高角砲4門でしたが昭和9年10月24日から11年9月7日にかけて呉工廠で近代化大改装を行い、性能、外容とも一新しました。日向は、長門級竣工までまでの大正時代の約2年間は最新鋭戦艦として連合艦隊旗艦、お召し艦などに使用される光栄をにないました。太平洋戦争においては、ミッドウェー海戦に参加、その後航空戦艦に改装されました。昭和19年のレイテ湾海戦では、空母艦体に属し出撃、搭載機を持たぬ囮艦隊として使用されました。エンガノ沖海戦においては敵空母機の集中攻撃を受けましたが、これを切り抜けて生還しました。エンガノ沖海戦後、日向は呉にありましたが米英空母機動部隊の呉空襲において米空母タイコンデロガ搭載機の攻撃による11発の命中弾を受けて大破着底しました。終戦後引き上げられて解体され、その生涯を閉じました。 #ハセガワ #戦艦 #日本軍
43015 ウォーターラインシリーズ15 艦船 1/700ちょこ大佐
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ドイツ 野戦憲兵セット
ドイツ軍の各師団にはそれぞれ小隊規模の野戦憲兵隊が配属されていました。進撃路や輸送路の交通管制と検問、占領地の治安維持、捕虜や脱走兵の管理などがその任務です。野戦憲兵は任務への厳格な姿勢とゴーゲットと呼ばれる鎖付き標識版を首から下げた姿によって一般兵士からは「チェーンドッグ」と呼ばれて敬遠されていました。 #タミヤ #歩兵 #ドイツ軍
35320 MM320 戦車・AFV・歩兵 1/35ちょこ大佐
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イギリス L.R.D.Gデザートシボレー
LRDGとは、第二次大戦中北アフリカの砂漠を舞台にドイツ軍の後方かく乱や情報収集に活躍したイギリスの特殊部隊(Long Range Desert Group/長距離砂漠集団)です。その頑強な足として使用されたのが、このデザートシボレーです。カナダシボレー製30cwtトラックを改造、ルーフを取り去ってオープントップ型とし、幅の広いランフラットタイヤ、ラジエーターの水の蒸発を防ぐ復水器、緊急脱出用のサンドチャンネルなど、砂漠用の特殊装備を備え、ルイス機関銃やビッカーズ機関銃などで武装。何よりも大きかったのが、砂漠行動でありながら4輪駆動ではなく2輪駆動を採用したことで、車両の軽量化、低燃費を実現したことにありました。砂漠での燃料消費の少なさは長距離偵察や長期の作戦行動を可能とし、北アフリカでのイギリスの勝利に大きく貢献しました。 #タミヤ #偵察車輛 #イギリス軍
35092 MM92 戦車・AFV・歩兵 1/35ちょこ大佐