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奉天決戦1905
1905年2月21日、ロシア軍が動くより一足先に、満州軍揮下の鴨緑江軍が進軍を開始し、清河城に籠るロシア軍を攻撃、それを攻め落とした。日露戦争最大にして最後の陸戦の始まりである。日本軍24万、ロシア軍36万が参加したこの戦いは、世界史上稀に見る大規模な会戦となった。鬼気迫る日本軍の突撃にロシア軍が戦略的撤退の名のもと、得意の撤退戦術を繰り返したため、瀕死の日本軍は多数の犠牲を出しながらも次々と拠点を占拠し、遂には3月10日、ロシア軍が撤退した奉天になだれ込み、奉天会戦は一応の決着を見ることになる。しかし、奉天会戦に負けたとしても未だ数百万の余剰兵力を持つロシアは日露戦争継続の意思を持ち続けており、最終的には5月の日本海での日本艦隊VSバルチック艦隊の結果を待つことになる。 「奉天決戦1905」は、2月23日に開始され、3月1日から3月10日まで本格的な激戦が行われた日露戦争最大の激戦を扱うゲームです。 #日露戦争 #奉天会戦
ルールブック1冊(4P) カウンター126個 マップ1枚 カード32枚 1本 無し 作戦級ちょこ大佐
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奉天会戦
「奉天会戦」は、日露戦争後期の1905年2月23日から3月10日までの16日間に渡り、中国東北部の奉天周辺で行われた日本軍とロシア軍の激戦を再現するシミュレーションです。 1904年2月8日に、旅順港にいたロシア旅順艦隊に対して日本軍駆逐艦による奇襲攻撃で開戦した日露戦争は、日本軍の快進撃によって進んでいた。しかし、戦いは優勢ではあったが、ロシア軍の頑強な抵抗や要塞の堅牢さにより、日本軍もまた損害がかさみ、兵は疲弊していった。そして1905年2月23日、日本軍はロシアの拠点であった奉天に攻撃を開始する。戦いは日本軍有利で進みつつもロシア軍の撤退により双方決定的勝利を収められないまま旅順は陥落した。膨大な損害を出しながら進撃する日本軍、膨大な損害を出しながら撤退戦術を駆使し、決定的な敗北を避けるロシア軍、両軍は疲労の頂点に達し両国民の間でも厭戦感が蔓延していたため、アメリカ大統領ルーズベルトの提案した和平提案に乗り、9月5日のポーツマス条約により講和が成立し、日露戦争は終結したのだった。 #日露戦争 #奉天会戦 #ポーツマス条約
1本 無し 作戦級 1Turn=1日 1へクス=4㎞ 1Unit=旅団ちょこ大佐