ちょこ大佐のゲーム三昧2
初版 2019/10/25 18:57
『デジタルとアナログ』
日本でアナログのボードゲームが流行ったのは、1981年~1990年の間でしょうか?日本のシミュレーションゲームをけん引したHJ「タクティクス」が1981年12月に発刊、同じく当時のけん引雑誌、レックカンパニーの「旧シミュレーター」が1982年発行なので、この頃から国内で盛り上がってきていたと記憶しています。
私が初めてAHのバルジを購入したのも82年か83年ぐらいでした。本場アメリカでは1970年代から隆盛だったので約10年遅れで日本にブームが来た感じですかね。
そしてその後、約10年間のブームは過ぎ去り、今では当時あったゲーム会社はほぼ倒産か吸収の憂き目にあい、ボックスゲームを発売する会社は日本に皆無という現在の斜陽っぷりになっていくわけです。まあ、雑誌付録ゲームを発売してくれるだけで感謝なんですけど。
今から考えると、10年というのはひとつのホビーの流行としては長いのか、短いのか、とっても微妙な期間です。ブームとしては長いのですがひとつの遊びのジャンルとしては短く、結局定着しなかった、ということですかね。また、その趣味としては早すぎる衰退に一役買ったのは、同時期に興ったコンピューターゲーム、いわゆるパソコンゲームの隆盛であることは間違いないでしょう。
牽引車だったHJ「タクティクス」が1990年3月に月刊誌から季刊となったころにはもう衰退の影が大きくなっていたと思います。この時のコンピューターゲームに目を向けると、1983年に光栄からPC用「信長の野望」が発売されています。その他PC98用やPC88用、FM-7 用、少しマニアックにシャープのX-1用などにバンバン人気ソフトが発売されます。私の記憶にあるのは、「夢幻の心臓」「スターアーサー伝説」「ハイドライド」「ザナドゥ」あたりです。
そして、対戦相手と時間、広いスペースが必要なボードゲームは敬遠されていきました。
ですが、決して彼らパソコンゲームを責めているわけではありません。彼らもまた後輩たちによってその短いブームを終えたのですから。そう、後輩の名前は家庭用ゲーム機。1983年に任天堂がファミコン発売、そして1986年にはFCソフト「ドラゴンクエスト」が登場します。
栄枯盛衰とはよく言ったもので、鳴動と衰退の時期がかぶりながらも少しずつムーブメントは移っていくわけですね。
今現在、ボードゲームのシミュレーションゲーム人口は果たしてどのくらいいるんでしょうかね?かなり少なくなっていることは確かだと思うのですが。
それでも、実際にユニットに触る、美麗なマップを愛でるという楽しみは決してモニター越しにはできないことであって、ボードゲームの良さであると思うのです。
そして今日も私は目標の365個を目指して、過去に失ったゲームを購入していくのですよ。
(1995年任天堂から発売されたVB。こいつも立派にデジタルゲーム機。赤いやつは3倍速い。このマシンを知っている人はどのぐらいいるだろうか…。答えは下に。)
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