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営業100キロ突破記念~千代田線バージョン
営団地下鉄の営業100キロ突破記念乗車券の千代田線バージョン。 昭和44年12月20日に北千住-大手町で開通した千代田線は、6000系が竣工していなかった関係で、東西線と同様の5000系で営業をスタート。 この乗車券の絵柄を見ると長めの編成に見えるけど、開通当初は3両編成(10編成:計30両)でした。 しかし1年後の昭和45年12月14日には中間2両を増備し5連化。 ただ編成数は変わらず10編成。 昭和46年になり3月20日の大手町-霞ケ関延伸開業と、4月20日の北千住-綾瀬延伸及び常磐線直通運転をもって10連化されました。 5000系は5連2本を繋げ10連化(10連×5本)し、6000系は13編成新造し、千代田線は両系列合わせ18編成の陣容となりました。 千代田線の5000系は東西線のお古ではなくレッキとした新造車で、製造年も6000系と2年しか違わないにも関わらず、乗客からは「ハズレ」的な印象で見られていたようです。 代々木上原開業後も残っていましたが、小田急への直通はありませんでした。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #千代田線
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和44年showa_express
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未来の電車だった千代田線6000系
昭和44年に北千住-大手町で開通した千代田線。 当時は6000系の竣工が間に合っておらず、東西線と同様の5000系での運転でした。 2年後の昭和46年3月20日に大手町-霞ケ関開通で6000系投入。 ちょうど1カ月後の4月20日に北千住-綾瀬が開通して常磐(緩行)線に直通を開始し、発行されたのがこの3枚セットの記念乗車券です。 大雑把なイラストが多かった当時の記念乗車券にあって、デザイン的にも現代に通じる新しいものになっています。 6000系はかっこよかったですね。 子供のころ、初めて6000系を見たときのインパクトは忘れません。 あれは未来から来た電車でした。 非常ドアがオフセットされた先頭車の窓デザインが異次元でしたもん。 だから、千代田線の駅で電車を待っていて国鉄車(103系1000番台)が来たときのがっかり感は半端なかったです(これだって新車なんですけどね)。 営団の車両は爆弾ドアと言われ、6000系は客室窓やドア窓が小さいことから監獄電車とも呼ばれていましたが、今でも好きな車両です。 ところで、知り合いから聞いた話で恐縮ですが、その人の親類が千代田線の建設現場で何かの親方をやっていたらしく、現場で10万円入り財布を生コンの中に落として、後日「千代田線のトンネルの中には10万円埋まってるぞ」と吹聴してたらしい(笑)。嘘かホントか知りませんが。 いやしかし、話が本当だとして当時の10万円って。 落としたのは大手町より北の工区ということで、着工は昭和41年で開通が昭和44年の1期分。 とりあえず昭和45年の大卒初任給が2万3000円というデータだから・・・なかなかヤバいですね。 #記念乗車券 #帝都高速度交通営団 #千代田線 #昭和レトロ
記念乗車券 帝都高速度交通営団 昭和46年showa_express