明治のアバンギャルド ~ 武田五一作 芝川又右衛門邸
初版 2024/08/24 00:02
改訂 2024/10/12 16:41
3丁目、坐漁荘の近くにある芝山叉右衛門邸に来ました。
明治44年に西宮に建てられた大阪の豪商、芝川又右衛門(1853~1938)の別荘です。現在の建物は木造2階建てのスペイン瓦葺き。1階は開放的なベランダに、外へ張り出したボウウィンドウを設けるなど洋風の造りになっています。
又右衛門邸を設計したのは、後に「関西建築界の父」といわれる建築家の武田五一。当時、武田は30代でしたが、東京帝国大学卒業後、ヨーロッパに留学し、その時に触れたウィーン・ゼツェッション、アール・ヌーヴォーなど最新の造形運動を日本に紹介したことで知られています。
創建当初の写真を見ると、杉皮張りの外壁であったことが分かります。完成当初、この家は「まるで洋館らしさがない」と言われ、芝川家の方々にはあまり評判は良くなかったようです。
関東大震災後の昭和2年に、高齢の又右衛門の生活に支障がないよう平屋の住宅が増築されます。こちらも武田五一が設計しました。生活の場を意識して殆どの部屋が和室でしたが、外観はスパニッシュ様式でまとめられました。又右衛門邸の外観についても、震災での家屋損傷もあって増築部分に合わせスパニッシュ様式への変更が行われたようです。
いよいよガイドツアーの始まりです。
私よりやや年上の男性の方がガイドをして下さいました。こちらは一階ホールの暖炉。スパニッシュ風の明るいタイルが素敵ですね。
当時の一階ホールの古写真。ダイニングテーブルと椅子が置かれています。
一階ホールの壁は洋風の漆喰です。
しかし、上を見ると網代と葭簀(よしず)の格天井。伝統的な数寄屋建築の手法がとられています。武田は大学卒業時には茶室をテーマに論文を書き、京都や奈良の古社寺の修理保存にも携わりました。「欧米の新しい造形と日本の伝統的な造形に共通点を見出し、それらを融合して新たな造形原理を創造しようと模索した」と言われる武田の面目躍如です。
明るい玄関ホール。
丸い凹凸を用いた個性的な金メッキの壁。
風呂場は肩上がりの屋根で開放的。換気口がまた個性的な形状になっています。
二階の座敷です。
網代と竿縁を交互に組み合わせた不思議な和天井。こんな和室は一度も見た記憶がありません。
銀色に輝く縦長の襖。
襖を開けるとそこには暖炉が!アバンギャルドな和建築です。ガイドさんが武田のことを「ちょっといっちゃってる建築家さんですね」と笑いながらお話しされていましたが、私はこれは「褒め言葉」だと思いました。
二階階段ホールです。
一階階段ホールから上を見上げると、一階、二階、三階の天井が、それぞれ異なった作りになっているのが分かります。
晩年の又右衛門夫妻。お二人はこのサンルームがお好きだったようです。
玄関ホールの小型のかわいらしいステンドグラス。明るい雰囲気の家にピッタリ。
ライトの幾何学的なステンドグラスデザインとは異なります。
この家の移築はあの天災がきっかけでした。
平成7年(1995)の阪神淡路大震災後の芝川邸の損傷。屋根も壁もボロボロです。
この被災で建物は半壊し解体を余儀なくされ、同年に芝川家から明治村に寄贈されました。平成17年(2005)に博物館明治村の開村40周年記念として復原事業を起こし、平成19年(2007)に竣工、同年9月より展示公開がはじまりました。上は明治村での再建途中の様子です。
一軒の家を再生させるために多くの人の苦労があったことと思います。見学させて頂いて、本当にありがたい気持ちになりました。
1990年3月に行ったロンドンで、初めてエドワードグリーンのドーバーを購入しました。以来、ここの靴の虜になりました。質の良いしっとりとしたカーフ、美しい木型、無い物ねだりと分かりながら、この時代のエドワードグリーンの靴を今も追い求めてしまいます。
他に古い靴も修理して履いています。特に戦前の英国靴は素晴らしいと実感しています。
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