-
LOTUS 102B #11 MIKA HAKKINEN 5th SAN MARINO GP 1991
ロータス・102は、チーム・ロータスが1990年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、フランク・ダーニー氏らが設計し、ランボルギーニV12エンジン搭載の102は、1990年の開幕戦から全16戦に投入されました。翌年1991年はジャッドV8エンジン搭載の102B、1992年序盤戦はフォードHB V8エンジン搭載の102Dを使用しました。計2年間と3年目の途中まで使用され、テスト走行を含めると4社のエンジンを搭載しました。 1991年シーズン開幕前、ロータスは資金問題によりスタッフのレイオフが行われるなど参戦できるかどうかぎりぎりの状態であり、前年使用した102を車両規則に合わせて修正し、ジャッド・EV型V8エンジンを搭載した102Bを使用することになりました。 メインスポンサーのキャメルを失ったため、カラーリングはキャメルイエローからホワイトとグリーンのツートンとなりました。ピーター・コリンズ氏の発案により、102Bからステアリングにロータス伝統の赤いバックスキンが使用され、この年から、タミヤ(田宮模型)やコマツなどの日本企業のスポンサーが開始されました。 当初の予定では、1991年シーズン用のマシンとして103が用意されるはずでしたが、103はティレル・019のようなハイノーズと横置きギヤボックスを搭載するマシンであったため、財政難のためにモックアップの製作しかできませんでした。 テクニカルディレクターには、フェラーリから移籍したエンリケ・スカラブローニ氏を迎え、チーフデザイナーはフランク・コパック氏が務めた。ドライバーは11号車をミカ・ハッキネン選手、12号車をジュリアン・ベイリー選手がドライブしましたが、第5戦カナダGPからはスポンサー資金が終了したベイリーに代わりジョニー・ハーバート選手が全日本F3000選手権と掛け持ち参戦となり、全日本F3000の日程と重複した4レースでは12号車をミハエル・バルテルス選手がドライブしました。成績はコンストラクターズ10位(3ポイント)、最高位は、このモデルの仕様でもある第3戦サンマリノGPで記録したハッキネンの5位でした。(参照ウィキペディア) #spark #lotus #ロータス #uk #イギリス ##
11 FORMULA 1 1/43 LOTUSsennakazu
-
WILLIAMS RENAULT FW16 SAN MARINO
特別な思いのモデルです。 セナがアクシデントに遭遇した時、フジテレビの他の番組でニュース速報を見た私は、不思議とそんなに心配はしていませんでした。23時ごろから録画の放送が開始され、事故のシーンを見た時も彼の首の動きも一瞬でしたがありましたし、それより彼に何かあるなんて決してないと心の中で断言してました。 その後、レース録画の続きが放送されて中盤に差し掛かったところ、再びニュース速報のテロップが。セナが死亡したと。そして数分後、場面は既にレースが終了したイモラサーキットに切り替わり、今宮さん、川井ちゃん、三宅アナが涙声で状況を伝えてくれて。。頭の中が真っ白になるとはああいう時と初めて知りました。私も涙が止まらず、声にもならなかったと記憶しています。最後、涙目、涙声の今宮さんが『こういう事実はですね、受け止めなくてはならないですね。こういう事実からですね、モータースポーツはですね、続いていくんですね。来週はモナコですが、セナはいませんが、F1は続いていくわけです。。』と声を詰まらせながら話していました場面、三十年近く経っても忘れることができません。その今宮さんも三年ほど前に亡くなられてしまいました。。。ご冥福をお祈りいたします。 #minichamps
2 AYRTON SENNA PACKAGES FORMULA 1 1/43sennakazu
-
BRABHAM BT60Y SAN MARINO GP M.BRUNDLE
日本がバブル全盛期のF1界。 チームオーナーの多くは日本人。 スポンサーも日本企業ばかり。 日本でのレースも2戦。 さて、“弾ける”までの数年間、日本企業・日本人らは、いったいいくらの投資を行なって来たのでしょうか? その代表格のブラバム。オーナーは中内康児氏。スポンサーは、住友海上・三越・山善・オートバックス・カルビーなどなど。エンジンはYAMAHA。 このマシンは、全体的に丸みを帯びており、個性的なデザインが魅力的ですね。 #spark #brabham #sanmarino #formula1
7 FORMULA 1 1/43 BRABHAMsennakazu