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藤村富美男・長谷川良平 寄書色紙
藤村富美男・長谷川良平・三宅秀史・本屋敷錦吾・長池徳士 寄書色紙(1980年代?) 藤村 富美男 大阪タイガース(1936-1938/1943-1956/1958) 通算成績 打率300本塁打224打点1126 34勝11敗 防御率235 大阪タイガース監督(1946/1955-57)266勝190敗6分 野球殿堂(1974) 1956年6月24日の広島戦で兼任監督であった藤村(40才)は「代打ワシ」で『代打逆転サヨナラ満塁本塁打』を記録。 現役最後の本塁打であり、その時の投手は『長谷川良平(26才)』であった。 長谷川 良平(広島カープ1950-1963)14才差(藤村との年齢差) 通算成績197勝208敗 防御率265 広島カープ監督(1965-67)135勝199敗16分 野球殿堂(2001) 藤村の崇拝者(ファン)でもあった。 後年、長谷川は代打逆転サヨナラ満塁本塁打について「ちょっと悔しかった。藤村さんには、わし、ファンやし、尊敬してるからわざと打たしたわけじゃないんじゃが」と述懐している。 三宅 秀史(大阪・阪神タイガース1953-1967)18才差 通算成績 打率252本塁打100打点376 本屋敷 錦吾 19才差 阪急ブレーブス(1958-1963) 阪神タイガース(1964-1969) 通算成績 打率227本塁打13打点179 立教大学では同期の長嶋茂雄、杉浦忠との「立教三羽烏」の一羽。 長池 徳士(阪急ブレーブス1966-1979)28才差 通算成績 打率285本塁打338打点969
野球 広島カープ 阪急ブレーブス 阪神タイガースふくすけ
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『ブレービー(島野 修)』 サイン色紙
『ブレービー(島野 修)』サイン色紙 1981~98年の17年間に渡って球団マスコット『ブレービー』『ネッピー』のスーツアクターとして活躍。 投手として読売ジャイアンツ(1969-75(1勝4敗))にD1で入団するが活躍できず、阪急ブレーブス(1976-78)に移籍するが1軍登板はなく1978年に現役引退。 1981年から『ブレービー』として第二の野球人生として活躍する。 1998年オフに通算出場1175試合を記録しスーツアクターとして引退した。
野球 1984年 阪急ブレーブスふくすけ
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『もう一人の世界ホームラン王』高井保弘とスペンサーメモ
『世界の代打男』高井保弘 阪急ブレーブス(1964-82) NPB通算成績 打率269本塁130打点446 通算代打本塁打:27本(世界記録) シーズン最多代打本塁打:6本(1974 パ・リーグ記録) 高井は投手の球種と僅かなフォームの違いを観察していたスペンサーに学び、メモ帳に記録。 守備力難からレギュラー定着できなったが『スペンサーメモ』を習得し「世界の代打男」としての礎をつくる。 1972年頃から結果が出始め、1974年に代打本塁打日本記録を更新。 同年のオールスターでは調査済みの松岡弘から史上初の代打逆転サヨナラ本塁打を一振りで仕留める。 このホームランを観ていたアメリカ人記者の提唱によって指名打者制度が検討されMLBを参考に1975年から導入される。 1975年8月27日のロッテ戦でMLBの通算代打本塁打数の世界記録を更新した。 1981年9月3日の西武戦で生涯3度目の代打サヨナラ本塁打が最後の代打本塁打となった。 翌1982年に引退。 現在も『世界の代打ホームラン王』として君臨する。 ダリル・スペンサー MLB(1952-53/1956-63) 阪急ブレーブス(1964-68/1971-72)兼任コーチ(1971-72) NPB通算成績 打率275本塁152打点391 1965年7月16日サイクル安打を記録するが日本では認識がなく本人が「『サイクル安打』はすごい記録だ」とアピール。 それ以降、MLBに習いサイクル安打達成者には連盟表彰と記録達成者として公式に記録されることになる。 また遡って記録が調べられ藤村富美男が史上初として記録された。 スペイサーは投手毎の球種と僅かなフォームの違いを観察しメモ(スペンサーメモ)する方法を日本に広めた。
野球 阪急ブレーブスふくすけ
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阪急ブレーブス 球団旗(初期型)
阪急ブレーブス 初期型 球団旗 1960年頃
野球 1960年頃 オリックス・バファローズふくすけ
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三原脩・梶本隆夫 サイン
三原脩(西鉄ライオンズ) 1956年(10/10~17)水原巨人軍との『第一次巌流島の決闘』で注目を集めた日本シリーズは4勝2敗で制する。以後1957・1958年の水原巨人との3年連続の日本シリーズはすべて三原西鉄が制する。 野球殿堂入り(1983年) 詳しくは『三原脩・水原茂』のページに掲載 梶本隆夫(阪急ブレーブス) 1956年成績 28勝17敗防御率225 最多奪三振:2年連続(1956-57) ベストナイン(1956) オールスターゲーム出場:12回 (1956年ほか) 1試合9者連続奪三振(1957年7月23日)日本プロ野球タイ 3者連続3球三振(三者凡退)(①1954年7月10日対近鉄戦②1957年10月18日対南海戦) 日本プロ野球史上初ならび2度は史上唯一 2018年オフ現在18人(19回)、完全試合の達成者(15人)とほぼ同じ珍難記録である。 阪急ブレーブス監督(1979-80) 野球殿堂入り(2007年)
野球 1956年 西鉄ライオンズ 阪急ブレーブスふくすけ