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1997 カップ戦用ホーム長袖#24
enerre XO 1996Sachio
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1994 リーグ戦用アウェイ長袖♯14
mizuno XO 1994年Sachio
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1998 選手用練習着
練習着です。首元ピンクのタグから、選手支給品であることがわかります。 ヘビーローテションされたのか、スポンサー、メーカーのマークが劣化しています。 こちらの練習着は厚手の生地で、エネーレが一時期に採用していた雪の結晶のシャドーが入ってます。 誰が着用したんでしょうか。 図書館の本の貸し出し履歴カードのようなものが、付いていたら良いのに。 支給品ユニフォーム然り、着用選手や着用試合履歴が見られたら楽しみが増えます。
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2001 ホーム半袖♯13柳沢敦選手
当時バイト代を貯めて、ようやく購入したレプリカユニフォーム。13番柳沢選手仕様です。 当時から、選手が着用しそうなサイズを発注してました。 Jリーグ、天皇杯ダブルにより、ヤタガラスは☆印の冠です。 誉高き、ユニフォームです。
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1998 練習試合用♯18熊谷浩二選手
非売品の練習試合用ユニフォームです。こちらの白と、他に青のモデルがあったと記憶しています。どちらがホーム用か、忘れました。 当時18番だった、レジェンドの1人である熊谷浩二選手のサイン入りです。
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2001.12.2or12.8 ホームGK♯21曽ヶ端準選手
2001年、磐田とのチャンピオンシップ。 第1戦エコパ。FW鈴木選手を誤審による2枚目の警告→退場で欠き、極めて厳しい展開に… ゴタゴタが収まらないなか、当時の磐田の旋風に巻き込まれて2失点。強豪相手にこれはもうダメだ。なんとか、2失点で抑えてくれ!第2戦ホームで巻き返しを! と思っていたのは、私だけだったでしょうか。 その後途中交代の平瀬選手、闘魂秋田選手。きっちりと失点を取り返してアウェイの戦いをドローで終えました。ドローながら、磐田側にはやや負けムードが漂っていたのをよく覚えています。 勝負は第2戦、ホームのカシマスタジアムへ。 ナイトゲームのため筆者は、前日夜からカシマスタジアムのサポーターズシートの席取りのために並びました。若かったな。笑 普段とは異なり、決戦前夜だったこともあり人がたくさん。ひたすら開場を待ちました。 翌日になるとさらに人が増え、今ほど列整備のルールが厳しくなかったので、来るわ来るわ。結局2階席からの観戦となりました。 試合前の会場全体の雰囲気、言葉では言い表せない程のものでした。2階席まで空席なくいっぱいに埋まり、すり鉢のなかにいるような感覚が。 今でも、大一番のカシマスタジアムでも、それに近い感覚は味わえますが、あの時の気分はまた一味違うものでした。 当時の入場者数、未だ記録は破られていないそう。あの場にいられたことが、幸せでもあります。 一進一退の攻防。 延長までもつれ得たフリーキック。 小笠原選手が直接沈めて、 Vゴールで優勝を決めました。 ものすごい歓声が鹿島に響きました。 表彰式と、選手も参加したスタジアム外でのビールかけ。それを見届けていたら、もう帰れず。 朝まで神宮駅近の養老の滝で飲み明かして始発バスを待ちました。 本当に思い出深いユニフォーム。 ナイスセーブを見せてくれた曽ヶ端選手選手用ユニフォーム。 当日、着用されたものでしょうか? 思いを馳せながら。
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1998 ホーム長袖
リーグ戦では、ヴィッセル神戸を圧倒して、磐田とのチャンピオンシップに駒を進めました。 第1戦は、磐田のホームだったのですが、何故か中立地である国立での開催となり、スタジアムは鹿島サポーターの方が多かったように思います。 試合は、負傷の奥野選手の代わりの大舞台での出場となり序盤にやや落ち着きを欠いた室井選手のハンドによりPKを献上、早々に先制点を許します。 次第に守備に落ち付きを取り戻し、次第にカウンターが決まるようになります。後半、右サイドで受けた柳沢選手が敵陣に切り込みフワッとしたセンタリング。相手の死角から猛スピードでゴール前に駆け上がった長谷川選手の頭にピンポイントで合い、滞空時間の長いヘディングは、見事相手ゴールに吸い込まれました。 同点ゴールに、鳴り止まない長谷コール。高校生だった筆者は感激で泣きました。 延長までもつれたこの試合、コーナーからのこぼれ球を、室井選手が決めるという。ドラマティックな試合でありました。 第2戦はカシマにて、秋田、ビスマルクとセットプレーにより前半で試合をほぼ決めて連覇。カシマの収容15000のところ、17000ぐらい入ったそうですよ。かなりぎゅうぎゅうですよね。 ちなみに、Jリーグ自体は、93年の開幕からひと時のバブルが過ぎ去り、また世の中の不景気が少しずつ日本経済を蝕み、経営が厳しくなるチームもありました。悲しいことでしたが、ライバルチームだったフリューゲルの消滅も、このシーズン後のことでありました。 こちらのユニフォーム、エネーレがアントラーズユニフォームの事業から撤退する前の選手用放出品。当時KAMOで限定販売されました。 他に、2000年モデルや、ACWCなどの蛍光タグ付きの選手用ストックが店頭に並べられていましたが、特にこの1998モデルは、W杯招致のワッペン付きでしたので、人気がありました。
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