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1993-94 カップ戦用アウェイ長袖♯3室井市衛選手サイン
1992年からのマイナーチェンジ。 選手用は肩にTOSTEMさん、袖に住金さん。それにKASHIMAマークが入りました。トステムスポンサーと、首元の蛍光タグのデビュー作です。 状態は悪いですが、宝物の1つです。 ヤフオク、フリマともに、数年に一度出品されるのを見かけます。 誰が、どの試合で着用されたものでしょう?
サッカーユニフォーム ennerre 日本Sachio
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1998 アジアクラブ選手権アウェイ長袖♯6中田浩二選手
レジェンドのお一人、現CROの中田浩二選手の支給品。当時リーグ戦の背番号は26でしたが、当時6番だった本田選手の負傷とアジアの大会レギュレーションの関係で6番で出場されました。 このデザインのユニフォーム、通常のリーグ戦用は光沢のある波型のシャドー柄が入っていたのですが、この大会支給品のみ、エネーレがジャージ等に使用した、やや厚手の雪の結晶型のシャドー柄が入った素材が使用されました。 アジアのどこかで、使用されたのでしょうか。 思いを馳せながら。
ennerre 1998 日本Sachio
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1998 選手用練習着
練習着です。首元ピンクのタグから、選手支給品であることがわかります。 ヘビーローテションされたのか、スポンサー、メーカーのマークが劣化しています。 こちらの練習着は厚手の生地で、エネーレが一時期に採用していた雪の結晶のシャドーが入ってます。 誰が着用したんでしょうか。 図書館の本の貸し出し履歴カードのようなものが、付いていたら良いのに。 支給品ユニフォーム然り、着用選手や着用試合履歴が見られたら楽しみが増えます。
ennerre XO 日本Sachio
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1992 ホーム半袖♯10ジーコ選手
アントラーズの、記念すべき公式戦用ユニフォーム第1号。 92ナビスコは準決勝まで。 ジーコの熱い熱い闘魂に小学生の筆者は圧倒され。 93ペプシカップで初めて見た、7番、誰?アルシンド?知らなかったな!すごいな! 色々思い出深い。
レプリカ ennerre OSachio
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1992 アウェイ長袖♯13
恐らく、1992/93のカップ戦用選手支給品 ♯13は古賀誠選手や吉田康弘選手が着用していた記憶があります。 選手用のみに貼り付けられた住金マーク。昔のユニフォームは、選手用と、市販のレプリカの差が、かなりはっきりとしていましたよね。
支給 ennerre 1992/1993Sachio
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2001.12.2or12.8 ホームGK♯21曽ヶ端準選手
2001年、磐田とのチャンピオンシップ。 第1戦エコパ。FW鈴木選手を誤審による2枚目の警告→退場で欠き、極めて厳しい展開に… ゴタゴタが収まらないなか、当時の磐田の旋風に巻き込まれて2失点。強豪相手にこれはもうダメだ。なんとか、2失点で抑えてくれ!第2戦ホームで巻き返しを! と思っていたのは、私だけだったでしょうか。 その後途中交代の平瀬選手、闘魂秋田選手。きっちりと失点を取り返してアウェイの戦いをドローで終えました。ドローながら、磐田側にはやや負けムードが漂っていたのをよく覚えています。 勝負は第2戦、ホームのカシマスタジアムへ。 ナイトゲームのため筆者は、前日夜からカシマスタジアムのサポーターズシートの席取りのために並びました。若かったな。笑 普段とは異なり、決戦前夜だったこともあり人がたくさん。ひたすら開場を待ちました。 翌日になるとさらに人が増え、今ほど列整備のルールが厳しくなかったので、来るわ来るわ。結局2階席からの観戦となりました。 試合前の会場全体の雰囲気、言葉では言い表せない程のものでした。2階席まで空席なくいっぱいに埋まり、すり鉢のなかにいるような感覚が。 今でも、大一番のカシマスタジアムでも、それに近い感覚は味わえますが、あの時の気分はまた一味違うものでした。 当時の入場者数、未だ記録は破られていないそう。あの場にいられたことが、幸せでもあります。 一進一退の攻防。 延長までもつれ得たフリーキック。 小笠原選手が直接沈めて、 Vゴールで優勝を決めました。 ものすごい歓声が鹿島に響きました。 表彰式と、選手も参加したスタジアム外でのビールかけ。それを見届けていたら、もう帰れず。 朝まで神宮駅近の養老の滝で飲み明かして始発バスを待ちました。 本当に思い出深いユニフォーム。 ナイスセーブを見せてくれた曽ヶ端選手選手用ユニフォーム。 当日、着用されたものでしょうか? 思いを馳せながら。
サッカー ユニフォーム ennerre XOSachio