-
近代映画 1948(昭和23)年 1月1日 發行 1月號 第四巻第一號
映画雑誌「近代映画」昭和23年の1月號より。 東宝/日映(日本映画社)提携の『幸運の椅子』の記事が掲載されております。 "こゝに掲げたスナツプ4駒は「第四話」に出演している有名なバイオリニスト諏訪根自子さんの演奏シーンです。なかなか聞けない諏訪さんの名演奏がこの映画では充分に味えるだけでも早く観たい映画でせう。" と、映画の簡介や出演者、そして根自子さんにスポットを当て撮影シーンと共にレポートされています。これは大変貴重! この映画の記事は、東宝の音楽機関紙「シンフォニー」でも掲載されておりました。⬇︎ https://muuseo.com/nine_o_nine/items/108?theme_id=39653 動く根自子さんを拝ませて頂く事が出来る映画。ソフト化を切望します! ・ ⬇︎は知り得る限り現在ネット上唯一の根自子さんの映像です。この日本ニュースを作成していた会社が日映でありますね? https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001310070_00000&chapter=001 パガニーニ『無窮動』の超絶演奏シーン 1947(昭和22)年5月3日 明治欽定憲法から現・日本国憲法へ…その記念行事でのご演奏ですね?「諏訪根自子さんのすぐれた演奏が行われました」と… 1:53 ナレーションが入ります 2:04 会場シーンで音が入ります 2:06 ご本人の演奏シーン! 2:25 まで続きます… 奇跡の20秒!(当時最新流行のヘアスタイル/衣装が鮮烈(>~<)!) この他、もう一本戦前のものがニュースリール映像で存在します。計3種。。。他にもきっとあるに違いない! #諏訪根自子 #NejikoSuwa #映像
雑誌 近代映画社 日本:古書店さんnine_o_nine
-
音樂雑誌 シンフォニー 1948(昭和23)年 2月10日 發行 第四輯
東寶の機関誌の1948(昭和23)年 2月發刊の第四輯です。 表紙は近衛秀麿氏。 グラビアページに近衛氏とのサン・サーンス提琴コンチェルトの打ち合わせ風景、また「東寶藝術家の近影」ではセンターを飾っておられます。 その他、 前年'47年の「樂団總決算」では"寶響の躍進と光る諏訪根自子"として個人では歸還後はじめて舞䑓に立つた諏訪根自子の矢つぎばやの演奏活躍はかなり派手だつた…とある。 また同前年の事業記録として五月四/五日の帝国劇場での第三回演奏會も掲載されている。 https://muuseo.com/nine_o_nine/items/54?theme_id=39620 同十一月十九日の日比谷公會堂での「學生のための音楽會」が開催されたことも「楽界ニュース」国内版に掲載されている。 そういった華々しい記載とは別に、 「樂団總決算」の掲載された「樂団一年を顧みて - 一九四七年の總批判」では、村田武雄氏の「ソリストの群像」欄で… "問題となるのは諏訪根自子と巌本眞理である。諏訪は歸朝時の新鮮な心境をスポイルされて、技術的に纏つても精神的纏りが亂れてしまつた。しかも冷さが禍して表現に情熱がない。高い精神力と強い情熱を失つた藝術はいかに技術的に優秀でも冷い傀儡に過ぎないのである。・・・" と、内部機関誌にも関わらず かなり痛烈な批判が為されているのが印象的で興味深いです。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #東方
雑誌 東寶音樂協會 日本:古書店さんnine_o_nine
-
音樂之友 1948(昭和23)年 7月號 7月1日 發行 㐧6巻㐧7號
婦人公論等でご活躍された松田ふみ子さんによる、ある意味「突撃インタビュー」の模様が記されております。 そのシチュエーションは大変珍しいもので、当時の根自子さんの繁忙ぶりが偲ばれます。と、申しますかこれは貴重な演奏旅行の様子を捉え今に伝えるドキュメントと言ってもよいものと云えましょう。 場所は東京驛。 時間は午前7時前、 ぎりぎりで荷物を自ら抱えホームに上がってこられる・・・。 同行はお母様のみ。 なんとか汽車に滑り込むも2等客室は満席で座れないから、よっこいしょっとトランクのはしに腰かけられる。 5時に家を出るつもりが起床したのが5時(笑)^^ 曰く・・・ 「私お寝坊でしょ、早起きが一番苦手だわ」 しかも新宿で千葉行きに乗ってしまって秋葉原まで連れてゆかれて大失敗!遅い上に遠廻り…と^^; 聲をたてて笑いあう ・・・ バイオリンケースが2つ・・・WHY? 面白いエピソード。 ゴリ押し売りに来た名古屋の70過ぎのおじいさんの"あの"お騒がせなバイオリン、二十萬圓!(新聞にガセで二百萬圓と掲載されてしまい泥棒に入られ一度盗まれるが戻る。)もうこりごりなので途中名古屋でお返しする…との顛末。 幼少期のこととか、諏訪家のルール、東宝との契約、実質的マネージャーたるお母様のことなどなど4㌻に渡って好意的に、根自子さんのご表情とともに綴られております。 ・・・ 松田さんの 「私共、根自子さんの藝術を愛するものは、東寶の資本力から彼女がはなれる日を待つている。このような満員電車に乗って立ちん坊で、方々へ演奏旅行に連れ出して、徒に彼女をして疲れさせることを惜しむからである」 という締めの言葉が印象的。 …確かに、新幹線もない時代。会社のマネージャー/付き人さんもなく2等列車で・・・はかくも過酷な、しかも無防備にもあのバイオリンを素で自ら携えて…とは?でありますよね^^; (因みに最後の一枚は、前々年(昭和21年)の同じく大阪へと向かわれる移動時を捉えた1枚です) 取材は、東京〜大船間 列車内で執り行われた様です。 #諏訪根自子 #nejikosuwa #松田ふみ子
雑誌 株式会社 音樂之友社 日本:その他nine_o_nine
-
1948(昭和23)年 3月1日 京都 同志社大学 榮光館 獨奏會 プログラム
榮光館。恐らくファウラーチャペルでのリサイタルだったのでしょう? このプログラムは12.5cm x 8.5cmと大変コンパクトな小版サイズと相成っております。 同学では何度も(*所有しているだけでも3公演あります)公演を催されており、因みにこの翌年にも同館でのご演奏記録があります。 演目はフォーレ:ソナタ、ブルッフ:コンチェルト、そしてバッハ、パガニーニ(クライスラー編)、ラヴェル、サラサーテの小品と定番曲が並ぶ鉄板リスト。伴奏は田中園子さん #諏訪根自子 #nejikosuwa #田中園子
プログラム 日本:その他 1948年nine_o_nine