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少女俱樂部 1936(昭和11)年 3月1日 第十四巻 第三號(3月號)
『少女倶楽部』誌(昭和十一年三月號)。洋行する諏訪根自子さん なにより興味深いのは渡航準備中と思しきお写真の根自子さんのお姿ですね? https://muuseo.com/nine_o_nine/items/22?theme_id=39653 ⬆︎有名かつ美麗なる安河内さん撮影のこの一枚のフォトセッション等、出発当日までインタビューだの撮影だのが執り行われました事は、幾つもの雑誌等々で紹介されております。 後方の行李(スーツケース)、そして愛機。 これから10年、家をそして日本を離れられる前の大変稀少なショットだと思います。 「日本の少女として、恥づかしくないやうにしていきたいと思ひます。」 と固い決意も語られております。 #諏訪根自子 #nejikosuwa
雑誌 大日本雄瓣會 講談社 日本:その他nine_o_nine
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少女倶楽部 1937(昭和12)年 12月號 第十五巻 第十四號
同盟通信社の報道写真が掲載されています1937(昭和12)年の「少女倶楽部」誌12月號です。 内容は同年5月20日に、白耳義(ベルギー)・エリザベート皇太后 御前演奏時のお写真とその栄誉を伝えるもの。 お写真は皇太后の孫にあたるジョセフィン・シャルロット王女(向かって左)、ボードウィン王子(同右)と。後のベルギー国王とルクセンブルグ大公妃であられますね? 渡欧(前年)より最初の大きな晴れ舞台。お見事な演奏を披露され造詣深い皇太后もいたく御満悦でその報はブリュッセル、ベルギー社交會の噂に、そしてそれは隣国ドイツやフランスにも及んだそう・・・ 同年7月12日、パリ万博のソワレでの演奏、そしてバロン大倉氏に伴われてのイタリアでの交歓晩餐会等等での演奏と主にこれらは日本の公式行事ながら公の場での演奏も増える事となりますが、その最初の欧州での大きな舞台だったと云えましょう。そんな宮中御前演奏での成功はまさに「光榮の諏訪根自子さん」と言う見出しが相応しいですね? 4/5枚目は同盟通信社の報道写真表裏。(同時期の「同盟グラフ」誌にも掲載されているのかも?また探してみます) #諏訪根自子 #nejikosuwa #ベルギー
雑誌 大日本雄瓣會 講談社 日本:その他nine_o_nine
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富士 1933(昭和8)年 第六巻 第十二號(12月號)
富士 1933(昭和8)年第六巻 第十二號(12月號) ここには大変興味深い一節が!外國トーキーニュースに「13歳の天才提琴家が全日本の音樂ファンを恍惚とさせた」と紹介されています。 このトーキー一体どんな内容なのでしょう?現存するのでしょうか?前項のコロムビアSP盤 雑誌広告(11月號)に掲載されています事から推測しまして同年夏〜秋頃と推測します。是非見てみたいものです。 <'23/3/28 追記> 出自特定出来ました!短いその掲載文面、しかし肝心の映像(あるのか?)は未だ確認出来ておりません。引き続き追い掛けたいと思います。もし水兵(セーラー)服の動くお姿の映像ならば、こんな素晴らしい発見はありませんね? #諏訪根自子 #nejikosuwa
雑誌 大日本雄瓣會 講談社 1933年nine_o_nine
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婦人俱樂部 1933(昭和8)年 3月1日 第十四巻 第三號(3月號)
『大人も及ばぬ天才児を訪ねて』 と言う特集内の「楽聖を驚かせた少女 諏訪根自子さん(14歳)」記事より。 簡単な生い立ちの紹介から、一條公爵家園遊會〜ジンバリスト〜シュメー女史来日時訪問のあたり・・・特にジンバリスト・帝国ホテルの時は、他者は全て部屋の外に出され密室で一対一で対峙された事。メンデルスゾーンの協奏曲を弾かれた事その後の有名な賛辞の言葉などがより生々しく記されていて大変興味深いです。あ!それと当時の個人情報などの概念が希薄な時代のこと、豊島区目白のご住所、番地まで記載されています。 このお写真も粗いながらも有名なショットの別アングルで大変珍しいものですね? #諏訪根自子 #nejikosuwa
雑誌 大日本雄瓣會 講談社 日本:古書店さんnine_o_nine