1942-1943
初版 2024/02/08 19:46
改訂 2024/09/05 01:03
1942-1943年の在ドイツ時の大変珍しく貴重な一連のお写真。この頃は戦火もあり内地での報道/掲載が極端に少なく消息も幾つかの大きな有名イベントニュースを除き稀でお姿も殆ど見る事が叶いません。これらのお写真は海外のフォトアーカイヴスより(故にcopyrightのウォーターマークあります。また元の画像がかなり粗いのでAI補正掛けておりますので一部不自然なところも御座います。)。
根自子さん22〜23歳頃の肖像。
⬇︎この一枚も掲載されておりました!幸運にも欧州(スペイン/バルセロナ)の古書店さんで原版プリントを入手する事が叶いました。当然copyrightの透かしはなくよりダイレクトに当時を感じることが叶います。
因みにこの一枚は報道用と思しき裏書きから'42年12月14日と特定されます。
https://muuseo.com/nine_o_nine/items/2?theme_id=39619
この12月14日と言う日付は、日獨協會/歓喜力行團(KdF) 共同主催によるザーランド街 の労働省(オイローパ・ハウス)内の大講演場で開催されました演奏會まさにその日!⬇︎はベルリン在住の音楽家友人からありがたくもファイルで頂戴しましたその『帝國首都コンサートの案内』であります。この様な資料が現存しているとは!?驚きでありました。
19 Uhr = 開演時間 は午後の7時からだったのですね?戦時なのに意外と遅いスタート…。既に地方都市への空襲が頻繁にあったとは言えまだこの頃は制空権もあり"窓"前、迎撃体制も機能し、首都伯林に於ける内地戦火も然程…だったのでしょうか?この日の事は内地でも『ドイツ』誌が開催予告を以下⬇︎の様にドイツ傷病・賜暇歸休兵の為の慰問演奏と報じております。
そして続きます此方も、たいへん貴重な演奏會でのショットを含みます珍しいもの。これは恐らくお召しのドレスそして後方の絵画から、その翌日'42年12月15日 ベルリン日本大使館に於いての200名程の獨逸兵を招いたという獨逸軍傷痍兵の慰問演奏會での光景ではなかろうか?と思われます。
(*前日のオイローパ・ハウスは「音楽堂 」しかも大講堂であるからステップのないステージでもないこの光景とは明らかに異なります。)
(4枚中/4)
ピアノ伴奏のMichael Raucheisen氏
De Kowaご夫妻('マダムバタフライ'柄のお着物の田中路子さん)、根自子さん、Raucheisen氏。もう一枚、よく目にしますお写真も御座いましたが其方は控えます。
以下の一連は年/日/時不詳ながら、恐らくベルリンの日本大使館にてだと推測します。此方も貴重なオフショットを垣間見る事が叶います。
美麗ショット!ヴァイオリンと。(⬇︎3枚中/3)
ご一緒されていますのは駐独大島大使の豊子夫人であられましょうか?(⬇︎2枚中/2)
ポートレイト。ヴァイオリンと一緒でないお写真(⬇︎4枚中/4)
⬇︎昭和18('43)年刊『音楽の教養』掲載の原智恵子さんとのページです。根自子さんのお写真は1935(昭和10)年のブロマイドより、滞獨中とあります。原智恵子 夫人(*'37 川添紫郎さんとご結婚)の方は1933年のサイン日付けがあります。巴里の(ショパン)コンクールは'37ですね?
nine_o_nine
ご来館有難う御座います。
忘れじの'美貌なる昭和'、諏訪根自子さんの奏でられたヴァイオリンの音色が大好きです♪
近頃は蓄音機で聴くのが愉しみ^^
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