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Dikembe Mutotbo: ディケンベ・ムトンボ
ディケンベ・ムトンボ・ンポロンド・ムカンバ・ジャン・ジャック・ワムトンボは、コンゴ民主共和国(入団時の国名はザイール)出身で1991年よりNBAのデンバー・ナゲッツに入団して以降2009年に引退するまで数チームでプレーした。 ディフェンスを得意とする好センターである。最優秀守備選手賞を4度受賞、オールスター戦には8度出場。2015年には殿堂入りを果たした。 参照 Wikipedia: https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ ディケンベ・ムトンボ
1994〜1996 2000〜2001 1994,1996,1997,2000 1991年 4位ダブルクラッチ
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Zydrunas Ilgauskas: ジードルーナス・イルガウスカス
1996年のNBAドラフトでクリーブランド・キャバリアーズより1巡目20位指名を受け、NBAデビューした。以降、キャブス一筋。1996-97シーズンは右足の骨折で全休し、デビューとなった1997-98シーズンはフル出場(82試合)を果たした。うち、81試合で先発出場するなど、即戦力として、同じくルーキーとして加入したブレビン・ナイト、デレック・アンダーソン、セドリック・ヘンダーソンと共にプレイオフ進出の原動力になった。1998年の2月にはルーキーオールスターゲームにも出場。見事、大会MVPにも輝いた。 キャバリアーズはレブロン・ジェームズの加入後にチーム成績が向上。一方で自身はドリュー・グッデンやアンダーソン・ヴァレジャオらの成長に伴い、出場時間は減少し、特にゲーム終盤ではベンチに控えることが多くなっていった。しかしベテランとしての役割を始め、チームにとっても欠かせない存在になっており、2005-06シーズンはルーキーイヤー以来となる8年ぶりのプレイオフ出場も果たした。翌2006-07シーズンには自身初のNBAファイナルに進出した。 221cmという長身をフル活用したテクニックあふれるプレイが特徴的な選手である。リバウンドはもちろん、ブロックも得意とし、ゴール近辺では脅威の存在である。オフェンス能力も長けており、フックシュート、ダンクシュート、ティップイン、ジャンプシュート、ミドルシュート等インサイドの選手としては破格のシュートバリエーションを誇り、「技のデパート」と雑誌ダンクシュートは表現した。シュート成功率もNBA屈指を誇る。また長身選手に苦手な選手が多いフリースローもヤオ・ミンと並んで非常に上手いタイプといえよう。2005-06シーズンには.834の成功率を残し、キャリアハイを記録した。運動能力やフィジカルコンタクトに強い方ではなく、上手さが売りの「柔」のセンターという存在である。 参照:Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ ジードルーナス・イルガウスカス
2003,2005 1998年 1996年 20位 Cダブルクラッチ
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Shawn Bradley:ショーン・ブラッドリー
ブリガムヤング大学での活躍と将来性を高く評価され、1993年のNBAドラフトにおいてフィラデルフィア・セブンティシクサーズから2位指名を受ける。新人ながら1試合あたり10~12得点、平均3.5ブロックを記録し、入団して数年で自分のポジションを確立する。しかし身長は高いが線は細く、同世代のセンターやパワーフォワードと比べてフィジカル面ではかなり劣る。そのためか「ディフェンスは消極的」と批判された。そしてよくポスタライズされる選手としても有名。そのためディフェンシブファウルを取られることが多く、1試合30分以下の出場時間でのファウル数が平均4ファウルを越えた。 参照 Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ ショーン・ブラッドリー
2002年 1993年 2位 1997年 Cダブルクラッチ
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Rik Smits:リック・スミッツ
ニックネームは「ダンキン・ダッチマン」 ニューヨーク州ポキプシーにあるマリスト大学から1988年のNBAドラフトにおいて全体2位でインディアナ・ペイサーズより指名を受けプロ入りした。ルーキーイヤーはスティーブ・スティパノヴィッチの控えとしてベンチ入りしていたが、スティパノビッチ突然の故障により引退を余儀なくされたため、急遽71試合に先発出場し11.7得点6.1リバウンドを挙げ、オールルーキー1stチームに選出された。その後、引退まで毎シーズン2桁得点を記録している。リバウンドやブロックショットはセンターとして特筆すべきものではないが、持ち前の柔らかなシュートでチームの人気者の一人となった。 1990年代に入り、ペイサーズにはレジー・ミラーを中心に優秀な選手が集まり、スミッツは不動のセンターとしてチームに貢献。1995年のオーランド・マジックとのプレーオフ第4戦では、残り時間1.3秒でインバウンズパスを受けるとトゥリー・ロリンズをフェイクでかわしてブザービーターを決めた。1998年のプレーオフでは気合の表れとして、彼を含めチーム全員がスキンヘッドしたが、一際肌の色が白いスミッツだけはあまり似合っていないと言われていた。 1998年にはNBAオールスターゲームに選出され10得点,7リバウンド,4アシストを記録した。また2000年にはチーム史上初のNBAファイナルに進出した。スミッツは足に長年に渡って慢性的な故障を抱えており、優勝を逃したこの年に現役を引退した。その後ファン投票による、ペイサーズ40周年記念チームに選出され、レジー・ミラー、メル・ダニエルズ、ジャーメイン・オニールに次いで4番目に票を獲得した。 有能なビッグセンターが多かった1990年代のNBAの中においても224cmのスミッツは一際高く、相手センターは彼の高さ対策に少なからず手を焼いた。特にそのサイズに見合わないほどの、柔らかなタッチのフックショットや中間距離からのシュートに長けていた。フリースローも80%近い数字を残している。一方、センターとしては体の線が細く、身長の割にはリバウンド争いはあまり得意とはしていなかった。 その長身によりジャンプをせずともダンクが可能である。また、フリースローを投じる前に必ず3回ボールを床に突くルーティーンが印象的であった。 参照 Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ リック・スミッツ
1998年 1988年 2位 C インディアナ・ペイサーズダブルクラッチ
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Kwame Brawn:クワミ・ブラウン
グリン・アカデミー高を卒業後、フロリダ大学に進学する予定だったが取り止め、2001年のNBAドラフトで全体の1位指名をワシントン・ウィザーズから受けNBA入りした。NBA史上で初めて高校卒業でのドラフト1位指名(後の高卒1位指名にはレブロン・ジェームズ、ドワイト・ハワードのみ)となった。更に、当時ウィザーズの選手編成担当のマイケル・ジョーダンに指名され期待が高まった。 しかし、その後思うような活躍に恵まれず、さらにピッチ外での素行の悪さが目立ち、多くの期待を裏切ることになった。 参照:Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ クワミ・ブラウン
2001年1位 C アメリカ 1982年ダブルクラッチ
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Andrew Bynum:アンドリュー・バイナム
2005年のNBAドラフトでロサンゼルス・レイカーズから1巡目10位指名を受けてNBA入り。2005年11月2日のデンバー・ナゲッツ戦で18歳と6日の若さでNBAデビューを果たし、歴代最年少のNBA選手となった(翌2006-2007シーズンまでの2シーズンは現役最年少選手だった)。 4年目の2008-2009シーズン、故障から復帰したバイナムは先発に定着、ガソルとの長身コンビは他チームを圧倒し、強豪となったレイカーズは快調に勝利を重ねる。 初の出場となったNBAファイナルで、レイカーズはマジックを破って優勝し、バイナムにとっても初めての優勝の経験となった。翌2009-2010シーズンもウェスタンカンファレンスを制したレイカーズは、再びボストン・セルティックスと対戦。第7戦まで縺れた激戦を制し、連覇を果たした。2011-2012シーズンは、自身初のNBAオールスターゲームにも出場している。 参照:Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ アンドリュー・バイナム
2012年 2006年 2009年 2010年 2005年10位ダブルクラッチ