1989年日本GP 鈴鹿サーキット

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大会名 - 1989年 FIA F1世界選手権 フジテレビジョン 日本グランプリ
開催日 - 1989年10月20日 - 10月22日
開催地 - 鈴鹿サーキット
主催 - 鈴鹿サーキットランド/鈴鹿モータースポーツクラブ
レース距離 - 310.527km(5.859km×53LAP)
決勝日天候 - 曇り
記録
ポールポジション - アイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ) 1分38秒041
優勝 - アレッサンドロ・ナニーニ(ベネトン・フォード) 1時間35分6秒277
アイルトン・セナが記録した 1時間35分3秒980 は失格により無効
ファステストラップ - アラン・プロスト(マクラーレン・ホンダ) 1分43秒506 (LAP43)
アイルトン・セナが記録した 1分43秒025 (LAP38) は失格により無効
ラップリーダー
アラン・プロスト(LAP1 - 20, 24 - 46)
アイルトン・セナ(LAP21 - 23, 47 - 48, 51 - 53)
アレッサンドロ・ナニーニ(LAP49 - 50)

1989年日本グランプリは、F1世界選手権の第15戦として10月22日に鈴鹿サーキットで決勝レースが開催された。
マクラーレンのチームメイト同士のドライバーズチャンピオン争いは、アラン・プロストが81ポイント(有効得点では76ポイント)、アイルトン・セナが60ポイントというプロスト有利の状況で日本GPを迎えた。このレースでセナが優勝(9ポイント)を得られないと、最終戦を待たずプロストの3度目のチャンピオンが決定する。両ドライバーには2台ずつシャーシが用意され、ホンダV10エンジンは高出力型の「スペック4」と中低回転域トルク型の「スペック5」のいずれかを選択できる体制が用意された。
ミナルディのピエルルイジ・マルティニが肋骨を傷めて欠場し、代役として全日本F3000に出場しているパオロ・バリッラがF1デビューした。

予選
セナは1987年の日本GP予選でフェラーリのゲルハルト・ベルガーが記録したレコードタイムを大きく更新し、2年連続して日本GPのポールポジションを獲得した。予選2位のプロストは1.730秒という大差をつけられた。
セカンドローにはフェラーリのベルガーとナイジェル・マンセルが並んだ。3位のベルガーはプロストと0.4秒差だったが、最終アタックで予選用タイヤが1周持たずタイムロスした。
5・7位のウィリアムズ勢の間にはベネトンのアレッサンドロ・ナニーニがつけた。
予備予選から進出したローラ(ラルース)のフィリップ・アリオーが8位、オゼッラのニコラ・ラリーニが10位に食い込む健闘を見せた。
日本勢はロータスの中嶋悟がチームメイトのネルソン・ピケに次ぐ12位。昨年の予選のピケ5位、中島6位と同じく同チームで2人が並ぶ形となった。
前年の日本GPでF1デビューしたザクスピードの鈴木亜久里は予備予選落ちとなり、シーズン初の決勝出場は成らなかった。初の母国GPとなるヤマハエンジンは、鈴木の同僚ベルント・シュナイダーが開幕戦以来の決勝出場を果たした。
1アイルトン・セナ マクラーレン・ホンダ1'38.041
2アラン・プロスト マクラーレン・ホンダ1'39.771
3ゲルハルト・ベルガー フェラーリ1'40.187
4ナイジェル・マンセル フェラーリ1'40.406
5リカルド・パトレーゼ ウィリアムズ・ルノー1'40.936
6アレッサンドロ・ナニーニ ベネトン・フォード1'41.103
11ネルソン・ピケ ロータス・ジャッド1'41.802
12中嶋悟 ロータス・ジャッド1'41.988

決勝
スタートではプロストがアウト側の2番グリッドから絶妙なスタートを決め、トップで1コーナーに進入した。
セナはベルガーにも並ばれかけたが、プロストに続く2位をキープした。
ナニーニが4位にジャンプアップし、セミATの問題を抱えるマンセルは6位に後退した。
1周目にはミナルディの2台とシュナイダーが早くも姿を消した。
プロストは快調に走行し、10周目にはセナに対して4秒のリードを築いた。
以下、ベルガー、ナニーニ、マンセル、パトレーゼがそれぞれ5秒前後の間隔で続いた。中団ではステファノ・モデナ(ブラバム)、ピケ、中嶋の9位争いに、後方からジャン・アレジ(ティレル)、エマニュエル・ピロ(ベネトン)が絡んで激しいバトルとなった。20周前後に各チームのピットストップが行われた。
プロストとセナの差は、周回遅れの処理なども絡んで、30周目には2秒ほどになった。3位のベルガーは34周目にギアトラブルが発生し、スローダウンしてピットに戻った。
43周目にはチームメイトのマンセルも白煙を吹きながらストップした。
ナニーニが単独3番手を走行するが、優勝争いの2台からは1分近く離されている。
ピケやアレジと9位争いをしていた中嶋はタイヤ交換時に順位を落とし11番手を走行していたが、エンジンのオーバーヒートにより41周目にリタイアした。また中嶋と順位を争っていたアレジも37周でリタイアした。
残り10周を切る頃にはプロストの背後にセナが肉薄し、オーバーテイクのタイミングを窺う展開となった。
決勝前、プロストはウィングを寝かせてストレートスピードを稼ぐセッティングに変更しており、セナがシケインで差を詰めると、プロストが最終コーナーからホームストレートにかけて引き離すというラップが続いた。
残り6周となった47周目、セナは130R立ち上がりで勝負を仕掛け、シケインへのアプローチでブレーキを遅らせプロストのインに飛び込んだ。プロストは一瞬虚を突かれたが、すかさずステアリングをイン側へ切り込んだ。
セナはブレーキングでイン側の優位を確保していたが真横には並んでおらず、プロストにラインを被せられた。
2台のマクラーレンは接触し、ホイールを絡ませたままコース上に停車した。
プロストは掌を上にかざすジェスチャーを見せ、対照的にセナは両手でヘルメットを抱えた。
プロストは直ちにマシンを降りてリタイアしたが、セナはコースマーシャルにコース復帰を補助するよう指示した。
押し掛けによりエンジンが再始動し、セナはシケインの退避路を通過してトップのままコースに復帰した。
しかし、接触でフロントウィングが破損したため、1周後にピットインしてノーズコーンの交換作業を行った。
リタイアしたプロストはマクラーレンのピットに戻らず、コントロールタワーに向かった。
一連のタイムロスにより、ベネトンのナニーニがトップに浮上したが、セナが猛追し、51周目のシケインでインを突いた。ナニーニはブレーキロックしながらも無理には抵抗せず、セナがトップを奪回し、53周目のチェッカーを先頭で受けた。

レース後
セナがトップでチェッカーを受けたものの、プロストの抗議を受けてコントロールタワーでは審議が続けられ表彰式のスケジュールは遅れた。
20分後に発表された公式結果では、セナは「シケイン不通過」のレギュレーション違反により失格と判定され、ナニーニの繰り上がり優勝が決定した。
マクラーレンはこの判定を不服として控訴し、FIA国際控訴審判所が10月末に裁定を下すまで、ナニーニの優勝とプロストの3度目のワールドチャンピオンは「暫定」扱いとなった。
その後日本グランプリの次に行われたオーストラリアグランプリでセナがリタイアしたため、この審理の結果を問わずプロストのチャンピオンが確定。その後のFIAの審理の結果、「レース中のエンジン押し掛け」によりセナの失格が確定した。
これについてモータースポーツジャーナリストの柴田久仁夫とルイス・バスコンセロスは、この時FIA会長で来日中だったジャン=マリー・バレストルが公然とスチュワード(審議委員)の裁定に介入しており、当時のスチュワードでバレストルに盾突ける人間はいなかったと指摘している。
ナニーニはF1参戦4年目にして初優勝を達成し、ベネトンチームとしても1986年メキシコGP以来の2勝目となった。
2、3位はパトレーゼとブーツェンが獲得し、コンストラクターズランキングではウィリアムズがフェラーリを抜いて2位に浮上。ピケはエンジンから煙を吐きながら4位に入賞。
以下、ブラバムのマーティン・ブランドルとアロウズのデレック・ワーウィックまでがポイントを獲得した。出走26台中、完走したのは10台だった。
レース結果
1アレッサンドロ・ナニーニ ベネトン・フォード1:35'06.277
2リカルド・パトレーゼ  ウィリアムズ・ルノー+11.904
3ティエリー・ブーツェン ウィリアムズ・ルノー+13.446
4ネルソン・ピケ ロータス・ジャッド+1'44.225
5マーティン・ブランドル ブラバム・ジャッド+1 Lap
6デレック・ワーウィック アロウズ・フォード+1 Lap
Ret中嶋悟 ロータス・ジャッド エンジン

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