-
CALSONIC IMPUL GT-R #12 SUPER GT’08 (1/24 Tamiya)
ブルーー色のボディに「 CALSONIC」のホワイトロゴが鮮やかなマシンは、1993年から始まった全日本GT選手権、そして2005年に全日本GT選手権を引き継ぐ形でスタートしたスーパーGTでも、常にレースを牽引してきた立役者と言えるでしょう。このカラーリングは2008年のスーパーCTにデビューしたR35型GT-Rにも引き継がれました。2009年のレギュレーションを先取りして設計されたと言われるR35型GT-Rは、全幅2000mm、全高1100mmというまさにワイド&ローの地を這うようなフォルムに仕上げられ、フロントに排気量4494ccのV型8気筒DOHCエンジンを搭載。トランスミッションは重量配分の適正化のためにリヤデフと一体化されたトランスアクスルを採用しています。ボディパネルはほぼ全てがカーボン製ですが、ルーフはレギュレーションにより市販車と同じスチール製となっています。また、高速コースの富士では両サイドが盛り上がったバンパーカバーが装着され、リヤウイングは空気抵抗の少ないローダウンフォースタイプを採用。さらに、フロントフェンダーの形状変更や、気温が高くなる夏場のレースでのルーフエアインテークの装備などレースに合わせた様々なモディファイが行われました。5台が参戦したGT-R勢の中で、カルソニックブルーのマシンは闘将として知られる星野一義監督が率いるチーム・インパルからエントリー。ドライバーは松田次生、セバスチャン・フィリップ両選手。1000kmの長丁場となった第6戦鈴鹿では序盤のトラブルによりクラス最後尾まで順位を落とすものの、粘りの走行を続けて最後のピットインを終えた時点で首位を奪取。そのまま後続を抑えきってみごとに優勝を獲得しました。さらに、最終戦の富士でも小雨まじりの難しいコンディションの中、スリックタイヤを選択し予選12位から怒濤の追い上げを見せて優勝。シーズン2勝目をあげるとともに、同じGT-Rに乗る23号車のドライバーズチャンピオンをアシストすることにもなったのです。
プラモデル R35 TAMIYAModel Car Collection
-
CALSONIC IMPUL Z #12 JGTC’04 (1/24 Tamiya)
ブルー一色にカラーリングされたスカイラインGT-Rは常に全日本GT選手権の注目を集める存在でした。闘志をむき出しにした熱い走りに多くのファンが夢中になったのです。その走りを引き継いだのが2004年に投入されたカルソニック IMPUL Zです。この年、ニッサンはスカイラインGT-RからフェアレディZにマシンをチェンジし4台のZを投入。GTRで培ったノウハウを結集して開発されたZは、ボディフォルムに市販車のイメージを残すものの、ノーズとテールが伸ばされ、フェンダーは大幅に広げられ、さら低いボンネットには左右にGT-Rのような膨らみが見られました。これらのモディファイは全て空力の追求から生まれたものでGT-Rに比べて空気抵抗が小さく、大きなダウンフォースを確保 するスタイルに仕上げられているのです。搭載されるエンジンは3リッターV6ツインターボのVQ30 DETT型。トランスミッションは重量配分を最適化するために、リヤデフと一体化させたトランスアクスル。サスペンションはレーシングカーの定石といえるプッシュロッドタイプの4輪ダブルフィッシュボーンとなってます。 開幕前の合同テストから好調をアピールしたフェアレディZ勢。その勢いを駆って、開幕戦はザナヴィニスモZが制し、第4戦ではモチュール・ピットワークZが優勝。Zのポテンシャルの高さは実証されつつも、今ひとつ運に見放された状態が続いていたのがカルソニック IMPUL Zでした。しかし最終戦・鈴鹿サーキット ではそれまでの不運を一掃。予選3位をゲットしてトップを十分ねらえる位置につけたカルソニック IMPUL Zは、ブノワ・トレルイエ選手の安定した走り、チームの迅速で的確なピットワークそして少ないチャンスを確実に手に入れた井出有治選手の走りが相まって、30周目からトップを快走。そのままシーズン初の歓喜のトップチェッカーをうけ、2003年の全日本GT選手権と同様に、カルソニックブルーのマシンが最終戦を締めくくったのです。
プラモデル Z33 TAMIYAModel Car Collection
-
CALSONIC SKYLINE GT-R #12 JGTC’03 (Tamiya)
サーキットに映える鮮やかなカルソニック・ブルー。1990年、ニッサン・スカイラインGT-R(R32型)が全日本ツーリングカー選手権に参戦して以来、このブルーのマシンは数々の勝利を上げてスカイラインGT-Rのイメージリーダーとしての座を確立しました。1993年からは全日本GT選手権に活躍の場を移し3年連続のチャン ピオンを獲得するなど、カルソニックブルーのスカイラインGT-Rは常にレースの主役を務めたのです。もちろんライバル達もただ指をくわえていたわけではありません。スープラ勢、NSX勢共にマシンの開発を進め、ポテンシャルは拮抗。レースは混戦の度を深め、2002年はGT-R勢は1勝もできないという屈辱のシーズンとなってしまったのです。翌2003年はニッサン創立70周年という記念の年。それだけに、新型GT-Rの開発にはこれまで以上の熱意が込められました。03年型GT-Rは市販タイプのGTR(R34型)のイメージを残すものの、実際は全く別物と言っていいほどの改造が加えられ、市販車のパーツをそのまま使っているのはキャビンのみ。 室内にロールケージを装備しているのは言うまでもなく、前後もパイプフレーム構造を採用。エンジンは3リッターV6ツインターボのVQ30DETTを搭載し、トランスミッションはリヤデフと一体化してトランスアクスル化。サスペンションはプッシュロッドタイプの4輪ダブルウィッシュボーンとなっています。これらの改造 により再び速さを取り戻した03年型GT-R。3台が参戦した中でもチームインパルの12号車、カルソニック・スカイラインはB.トレルイエと井出有治両選手がドライブ。第4戦富士は雨、しかも初の2ヒート制という難しい展開の中にあって両ヒートを制して完勝。さらに最終戦鈴鹿では7位スタートながらソフトタイヤを装着して 猛烈な追い上げを展開。ピットインを挟んで首位に立つとそのままトップを快走。2003年をもって全日本GT選手権の活動を一時休止するスカイラインGT-Rの最後を飾る大活躍を見せたのです。
プラモデル BNR34 TAMIYAModel Car Collection
-
CALSONIC SKYLINE GT-R #12 JGTC’99 (Tamiya)
1970年代の日本のツーリングカーレースで無敵を誇ったニッサン・スカイラインGTーR。その栄光の名前がサーキットに帰ってきたのは1990年のこと。2.6の直列6気筒ツインターボエンジンを搭載し、4WDを採用した2台のR32型スカイラインGTーRが6戦全勝し、圧倒的な強さを見せつけました。中でもブルー色にカラーリングされたカルソニック・スカイラインは5勝をマークしてシリーズチャンピオンとなったのです。93年はGTマシンに改造されたカルソニック・スカイラインが全日本GT選手権にも参戦、95年まで3年連続のチャンピオンマシンに輝いたのです。また、この年のシーズン途中からR33型スカイラインGT-Rを投入。ベース車輛の市販モデルは4WDとなっていますが、レースマシンは後輪駆動に変更されたのです。スカイライン同志とはもちろん、多くのライバルマシンの出現により、99年の全日本GT選手権には、この年の1月にフルモデルチェンジをうけた市販モデルをベースとした新型、R34型にマシンをチェンジ。R33型よりホイールベースを短縮するなどコンパクトに仕上げられ、車体剛性を高めた市販モデルの特長を生かして開発されました。ボディはルーフ以外を全てカーボンファイバーで作り直し、リヤには湾曲 した大型ウイングを装備。迫力あふれるフォルムは空力的にも優れた仕上がりを見せています。エンジンは90年に登場して以来熟成が進められてきた直列6気筒DOHCツインターボ。このエンジンにXトラック社製の6速シーケンシャルミッションが組み合わされ、後輪を駆動します。また、3台が参戦したR34型スカイラ インGTーR勢の中でカルソニック・スカイラインは唯一、重量が重くてもパワーを稼ぐことができるセッティングを選択しているのが特長です。ドライバーは星野一義と影山正美。第1戦鈴鹿は雨の中一時はトップを激走して観客を大いに沸かせ、第2戦富士は3位入賞を飾るなど、シーズンを通して活躍したのです。
プラモデル BNR34 TAMIYAModel Car Collection
-
CALSONIC SKYLINE GT-R #12 JGTC’96 (Tamiya)
1990年のグループAツーリングカーに参戦して以来圧倒的な速さを見せたニッサン・スカイラインGTーR。中でもブルー色にカラーリングされたカルソニック・スカイラインGTーRは常に上位を走る活躍を見せました。その後、1994年からのレース規定の変更により、スカイラインGTーRはツーリングカー選手権からGT選手権へその活躍の場を変えることになったのです。基本性能の高いスカイラインGTーRはGT選手権でも大活躍を見せカルソニック・スカイラインは連続チャンピオンに輝いたのです。海外のマシンも加わり、年々盛り上がりを見せるGT選手権。96年シーズンは新たにマクラーレンF1GTR2台が参戦するなどいっそうの激戦となりました。6台が参加したスカイラインGT-R勢の中で、人気、実力ともにNo.1といえるのはやはりカルソニック・スカイラインGTーRでした。フロントに搭載されたエンジンは2・6リッターの直列6気筒ツインターボ、市販車の4 輪駆動から後輪2輪駆動となり、レース用マシンの定番ともいえるXトラック社製の6速シーケンシャル・トランスミッションを採用、アーム長をできる限り長くとった上下Aアームの4輪ダブルウィッシュボーンサスペンションとなっています。さらに、第4戦の富士からは空力を中心にいっそうのモディファイが加えられました。ボディ後部が絞り込まれてスマートな印象となっているのをはじめ、フロントスポイラーは各部の冷却と空力を考慮した複雑な形状を見せ、プレーキ冷却用のNACAダクトがリヤフェンダーに設けられています。また、リヤウイングはスカイライン勢の中でも最も小型のものを採用しています。ドライバーは星野一義と影山正彦のコンビ。1996年シーズンは第4戦の富士スピ ドウェイで優勝を飾ったほか、第5戦で2位を獲得するなど最終戦までチャンピオン争いに絡み、チームポイント3位の成績を獲得。常にアグレッシブな走りで観客を魅了したのです。
プラモデル BCNR33 TAMIYAModel Car Collection
-
NISSAN R390 GT1 #23 Le Mans’97 (1/24 Tamiya)
日産が1990年代後半にル・マン24時間レースのために、トム・ウォーキンショー・レーシング (TWR) の協力のもと開発された。 ル・マン24時間には1997年(平成9年)に初参戦した。予備予選ではポールポジションを獲得する順調なスタートであった。しかし、リヤトランクをメッシュ製(開放式)としギアボックスの冷却ダクトをその内部に収容した構造が、現地でレギュレーション違反と指摘された。そこで急遽トランクを密閉構造の箱形に変更したが、決勝ではギアボックスの冷却が阻害されるトラブルが発生し、結果は残せなかった。また、日産とTWR間のコミュニケーションの問題も露呈した。 23号車は、星野一義/影山正彦/エリック•コマス組。唯一完走した23号車だがトップから70周遅れの12位だった。この悔しさをバネに翌年さらにR390熟成させた。
プラモデル R390 TAMIYAModel Car Collection
-
NISSAN R390 GT1 #22 Le Mans’97 (1/24 Tamiya)
日産が1990年代後半にル・マン24時間レースのために、トム・ウォーキンショー・レーシング (TWR) の協力のもと開発された。 ル・マン24時間には1997年(平成9年)に初参戦した。予備予選ではポールポジションを獲得する順調なスタートであった。しかし、リヤトランクをメッシュ製(開放式)としギアボックスの冷却ダクトをその内部に収容した構造が、現地でレギュレーション違反と指摘された。そこで急遽トランクを密閉構造の箱形に変更したが、決勝ではギアボックスの冷却が阻害されるトラブルが発生し、結果は残せなかった。また、日産とTWR間のコミュニケーションの問題も露呈した。 22号車は、リカルド•パトレーゼ/エリック•バン•デ•ポール/鈴木亜久里組。ライバルと互角の走りを見せるも駆動系トラブルにより姿を消した。
プラモデル R390 TAMIYAModel Car Collection
-
NISSAN R390 GT1 #21 Le Mans’97 (1/24 Tamiya)
日産が1990年代後半にル・マン24時間レースのために、トム・ウォーキンショー・レーシング (TWR) の協力のもと開発された。 ル・マン24時間には1997年(平成9年)に初参戦した。予備予選ではポールポジションを獲得する順調なスタートであった。しかし、リヤトランクをメッシュ製(開放式)としギアボックスの冷却ダクトをその内部に収容した構造が、現地でレギュレーション違反と指摘された。そこで急遽トランクを密閉構造の箱形に変更したが、決勝ではギアボックスの冷却が阻害されるトラブルが発生し、結果は残せなかった。また、日産とTWR間のコミュニケーションの問題も露呈した。 21号車は、マーティン•ブランドル/ヨルグ•ミューラー/ウェイン•テイラー組。予備予選では、トップタイムをマークするものの決勝では、アクシデントによりリタイア。
プラモデル R390 TAMIYAModel Car Collection
![Loading](https://d3caz7hhiepl95.cloudfront.net/loading/loading.gif)