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鉱物標本 ストルザイト(Stolzite)
別名:鉛重石 産地:Mine Sainte Lucie, Saint Leger de Peyre, Lozere Dept, France タングステンを含有する鉛熱水鉱床に産出するタングステン酸塩鉱物。ウルフェナイト(モリブデン鉛鉱、PbMO4)の兄弟分?として固溶体を形成し、見た目もウルフェナイトと区別が付かない(*1)。 1820年にAugust Breithauptシェーライト(灰重石、CaWO4)に類似した本鉱物をScheelbleispathと呼称し、1832年には François Sulpice Beudantがscheelitineと呼んだ。 現在のストルザイトという名は1845年にWilhelm Karl Ritter von Haidingerが本鉱物を最初に研究用として提供したチェコ共和国ボヘミア出身の医師兼鉱物コレクターのJohan Anton Stolzに因んで命名した。 塩酸で分解して黄色のタングステン酸が生成する。 2021年2月のミネラルマルシェにて購入。UVで結晶の縁部分の光沢がある箇所でうっすらと黄色~橙色の蛍光が見える…気がする。 *1:ウルフェナイト →鉱物標本 ウルフェナイト(Wulfenite)
鉱物標本 2.5~3 亜金剛光沢、樹脂光沢たじ
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鉱物標本 ウルフェナイト(Wulfenite)
別名:モリブデン鉛鉱、水鉛鉛鉱 産地:Arizona, U.S.A. 主に赤色~橙色、黄色を呈する鉛鉱石。その色はモリブデン酸(MoO4 2-)の一部がクロム酸(CrO4 2-)に置き変わることに起因し、過半がクロム酸に置き換わったものはクロコアイト(紅鉛鉱、PbCro4)と呼ばれる(*1)。 またストルザイト(PbWO4)と固溶体を形成し、モリブデン酸の一部がタングステン酸(WO4 2-)に置き換わっていることがある(*2)。 熱水鉛鉱床中の酸化帯で板状の二次鉱物として生成。火山性噴気ガスによって400~550℃の温度範囲で沈降して生成される場合もある。 ウルフェナイトは1772年にIgnaz von BornがオーストリアのAnnabergで発見し、その際は"plumbum spatosum flavor-rubrum"と呼称した。また、1781年にはJoseph Franz Edler von Jacquinが"kärntherischer bleispath"と命名している。 その後、1785年に植物・鉱物学者で登山家でもあったFranz Xavier von Wulfen神父がオーストリアのBleibergで発見し、鉱物画としてその他の鉛鉱物とともに様々な結晶形を描き残した。1845年になってWilhelm Karl von HaidingerがWulfen神父に敬意を表して"wulfenite"と命名した。 本標本はアリゾナ産であるが、ここのウルフェナイトは鮮やかな橙色の薄い板状~卓状結晶として産出する。 2019年、東京ミネラルショーにて購入。 *1:クロコアイト →鉱物標本 クロコアイト(Crocoite) *2:ストルザイト →鉱物標本 ストルザイト(Stolzite)
鉱物標本 2.5~3 金剛光沢、亜金剛光沢、樹脂光沢たじ
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鉱物標本 ブルノナイト(Bournonite)
別名:車骨鉱 産地:Mexico 鉛に銅にアンチモン、3つの重金属を含む硫化鉱物。双晶を繰り返すことで歯車(車骨)のような形状を取る傾向があるため和名では車骨鉱と呼ばれる。その金属光沢も化学組成が示すように方鉛鉱(PbS)や輝銅鉱(Cu2S)、輝安鉱(Sb2S3)の中間を取るような鋼灰色の輝きしている。 英名は1805年にRobert Jamesonによって鉱物収集家で鉱物学者でもあったJacques-Louis, Comte de Bournon(1751–1825)に因んで名付けられた。 ブルノンはフランス、メスの貴族の家の生まれで鉱物収集家として自らの屋敷に鉱物コレクションを作る程だった。フランス革命でイギリスに亡命した後も鉱物収集家兼、鉱物学者として多くの新鉱物を発見した。1802年に英国王立協会のフェローに選出され、1807年には現在まで続く最古の地質学会でもあるロンドン地質学会の創立にも関わった。1814年、ルイ18世の王政復古によりフランスへ帰国し、王立鉱物閣の局長に任命される。彼のコレクションは現在、パリの国立自然史博物館と特別高等教育機関であるコレージュ・ド・フランスに分割されて保管されている。 本標本は2021年1月、ミネラルマルシェ(月刊)で購入。コロナで外出しづらい中、こういうのも有りだと思う。画像ではそんなに歯車(双晶)してる感じを受けなかったが、これまで見たことのある標本の中でもかなり安かったという理由で購入。安いながらも所々に歯車の片鱗や貝殻状の断口も見れて満足している。
鉱物標本 2.5~3 金属光沢たじ
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鉱物標本 ブルーサイト(Brucite)
別名:ブルース石、水滑石 産地:Pakistan 水酸化マグネシウムの天然鉱物。化学式は単純なれど初めて記述されたのはアメリカ開拓期の鉱物学者でAmerican Mineralogical Journalの編集者でもあったArchibald Bruce(1777-1818)によってである。なお彼はジンカイト(紅亜鉛鉱、ZnO)の発見者でもある(*1)。彼の死後1824年にその功績を称えてFrançois Sulpice Beudantがその名をこの鉱物に付けた。 色は白色から灰色、淡黄色、淡青色、淡緑色、赤褐色など様々。大理石中のペリクレース(MgO)の変質により生成。ケイ酸塩と共に滑石(Talc, Mg3Si4O10(OH)2)を形成する。空気中では湿気と共に徐々にCO2を吸って塩基性炭酸マグネシウムに変化する。 また、化学物質としての水酸化マグネシウムは常温常圧で白色のゲル状固体だが、加圧下220℃の塩基性マグネシウム塩水溶液では凝集して六方晶の結晶になる。 酸化マグネシウムや炭酸マグネシウムと共に親水、吸水保持性を示すことから漢方の緩下剤として古くから利用されている。 本標本は2019年にミネラルマルシェで購入。淡黄色の塊状?タイプである。 *1:ジンカイト →鉱物標本 半人工赤色ジンカイト(蛍光性)(Zincite)
鉱物標本 2.5~3 ガラス光沢、蝋光沢、真珠光沢たじ
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鉱物標本 オートゥナイト(Autunite)
別名:燐灰ウラン石、Calco-uranite 産出地:Streuberg Quarry, Bergen, Vogtlandkreis, Sachsen, Germany 蛍光鉱物の中でも特に強力な蛍光性を示すことから認知度は高めであろうウランの鉱物。 フランスのAutun近郊のSaint Symphorienで採掘されたことに因んで1854年にHennry J. BrookeとWilliam H. Millerによって命名された。 熱水脈や花崗岩ペグマタイト中のウラン鉱物の酸化による二次鉱物として産出し、長方形または八角形の平板状の結晶として葉片状または鱗状のクラスターを形成する。その見た目が雲母に似ていることから燐銅ウラン石を含めてウラン雲母とも呼ばれる。元々は10~12水和物の黄緑色の鉱物であるが、空気中では徐々に脱水することで6~8水和物で黄色のメタオートゥナイトへと変化していく。 ウラン鉱物として放射性を有するために体への影響が気になるが、全国宝石学協会(株)のweb情報では国の安全性基準が0.11μSv/h(1時間辺りのシーベルト)に対してオートゥナイト表面で最大3.2μSv/h、10cm離れることで0.12~0.13μSv/hとなる測定結果が示されており、宝飾品としては論外だが鉱物標本としてケースに入れて飾る分には問題ない。 話は変わり、本標本が採掘されたザクセン州フォクトランドはドイツとチェコの国境地帯またがって存在するエルツ山地(クルスナホリ)の外れに位置する。ここでは紀元前2500年頃の青銅器時代にはすでに錫が採掘され、各地に交易されていた。1168年に銀が採掘されると16世紀頃まで銀の産地として、その後も鉛、鉄、コバルト、ビスマス、ウラン、ニッケル、石灰、カオリン、石炭等が採掘されてザクセンをヨーロッパ有数の鉱業地帯へと発展させた。陶磁器で有名な同じザクセン州マイセンも一帯で採掘されたカオリンやコバルトブルーの存在が大きく影響している。これら20世紀までヨーロッパの鉱業や治金技術の発展に大きく寄与してきた歴史から『エルツ山地鉱業地域』として2019年にユネスコ世界遺産に登録された。 この鉱物資源豊富なエルツ山地の起源は今から4~2億年前の古生代石炭紀頃に存在したローレンシア大陸とゴンドワナ大陸の衝突によるパンゲア大陸の形成過程で起こったバリスカン造山運動まで遡る。後にエルツ山地と呼ばれることになる地では、当時の大陸どうしの衝突による変成作用で地下深くにスレートや千枚岩が形成され、そこに花崗岩質ペグマタイトが貫入した地層が形成された。この硬くて脆い岩塊は古生代後期には侵食作用で地表へと露出していき、新生代第三紀の終わりには断層運動および火山活動によって巨大断層岩塊としてウランを含む鉱物資源の鉱脈と共に地表に現れ、現在のエルツ山地となった。 本標本は2019年、ミネラルマルシェで購入。UVによる蛍光は肉眼で強い黄緑色だが、カメラ撮影だと輝度を下げてなお強い蛍光色のため白くなってしまった。 *ウラン元素の起源について →トーバーナイト(Torbernite)参照
鉱物標本 2.5~3 亜ガラス光沢、樹脂光沢、蝋光沢、真珠光沢たじ