為書き(宛名書き)をどう考えるか
初版 2019/10/08 00:21
改訂 2024/02/03 23:32
先に書いておきます。
このお題は「賛否あります」
そして答えはありませんので、私のまとまらない文を見てなんとなく何が言いたいのか感じ取って頂ければ幸いです。
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はじめにサインを書いてもらう上で「○○さんへ」と書いてもらうこと。『その人のために書いた』ということを為書きと言います。今回はその話。
実のところ私はその『為書き』をしてもらうことはあまり好きではありません。何故かと言うとサインを集め始めた高校生の時からサインを美術品として見ていた部分があり、名前が入ることは基本的に抵抗があることと、飾る上で名前が邪魔に思えて仕方ないからです。イラストが入るものに関して言えばその世界観に私の名前やハンドルネームが近くにある事自体が邪魔とさえ思います。
あまり良い表現ではありませんが、私にとって為書きの価値観は『消印の押された切手』の『消印』様に感じてしまいます。(理由は文中で)
また、日本ではあまり快く思っていない方がいることを承知で言うと『コレクターとしての客観的な視点』として『基本的に為書きがないほうが美術品として価値があり、手放さなくてはならない状況の時に人の手に渡りやすい』という部分も正直ながらあります。
私がサインを集め始めた1990年代は特に問題なく色紙にサインを頂いていました。相手方から『名前書く?』と聞かれても『このままでいいです、ありがとうございました』と言えば普通に済んでいました。
この情勢が変わったのが2000年代に入ってから。何が変わったかと言うとネットオークションという存在。この誰でも自由に出品できるシステムで『サインが金になる』という事実を世間が周知し始めたのがかなり大きいです。
このためサイン会では主催者やサインを書く本人が転売を極力防ぐためにサインに為書きがほぼ必須になり、主催者側で用意した物や買った本以外にサインはほぼしてくれなくなりました。為書きが入ると個人の価値観はさておき、金銭的価値だけの話をするとガクンと落ちる場合がほとんどだからです。先述の『切手の消印』というのはサイン(=切手)の価値を下げるために為書き(=消印)をしている行為があからさまに行われているようでならないのでそう感じるようになってしまいました。(色紙等の別の媒体にもらい辛くなった話はまた今度)
また一方ではサインに為書きをしてもらうこと自体を良しとする方も多くいることも事実です。これは為書きをしてもらうことが一時的かも知れませんが本人に名前を認識してもらい、自分の名前を書いて貰えたことが何よりの喜びと感じる方がいるから。そして名前を書いてもらうことは直接合ったという証明にもなります。(間接的に貰ったものももちろんあるとは思うが)
書く方にとっても『その人のために書いた』という親切でやってる部分もありますし、何よりそのほうが喜んでくれると思って善意でやっています。(もちろん転売防止を計算している人もいると思いますが)
現在では書く方にとっては転売防止になり、もらう方は名前を書いてもらって嬉しいので両者にとって得しかありません。(俗に言うwin winの関係)恐らくそういうやり方に納得している方々や、サインはオマケで『ファンのあの人に近くで会いたい』っていう人が主だってサイン会に参加されているのかと予想しています。
あと『サインに名前を書いてもらいたくない人は転売する人』と一方的に決めつけている人や『サインコレクターは本当のファンじゃないからそういった場(サイン会場等)に来ないで欲しい』と考える人も一定数いるようです。(本当のファンとは何ぞや?というツッコミはさておき)
そんな情勢だったので2000年代~2010年代前半までは私のようなサインやイラストに為書きが入るのを良しとしない人間にとっては、転売する人と志しは違えど結果的には同じことをサインする人に求めるため、白い目で見られたり主催者スタッフにあからさまに監視されたりと辛い時代でしたが、2010年代後半に入ると絵関係では『コミッション』という海外から来た新しい文化が根をはり始め、上記のような人間にも少し明るい兆しが見えてきました。
『コミッション』というのは’有償リクエストのイラスト’のことで、金額やリクエストキャラ等の条件が合えば作家さんがしっかり描いてくれます(日本で言う’有料スケブ’)。その条件の中に為書きの有無も含まれている場合があるので、条件が合わなければ見送ればいいのです。
また、コミッションをやる『ドローイングイベント』という催しでは作家さんが描いた原画も販売されることがありファンやコレクターにとっても注目のイベントです。
このコミッションという文化は私にとってはとてもありがたいと感じました。何故ならば作家さんにお金さえ払えばちゃんとした絵を描いてくれますし、作家本人も金銭的に潤い創作活動の糧になり得ますので。
ただし無料で描いてくれる『サイン』と違い、お金が発生しガッツリ描いた『有料のイラスト』なので、これをどう捉えるかはまた意見が分かれることと思います。
いずれにせよサイン会という主催者側が決めたルールに有無を言わせないものと違い、ある程度条件を設定できるコミッションは私にとっては朗報でした。
現在コミッションでの為書き関連のルールで多いのが『為書きの有無』はもちろんのこと『為書きは必須だが紙(色紙)の表裏のどちらかの選択ができる』というのも多いです。いろいろな条件があるので、その条件に当てはまったならば皆さんもコミッションを受けられてはどうでしょうか?
話が逸れてしまいました。
本題の「為書き(宛名書き)をどう考えるか」というのは作家さんにとって、もらう人にとって、主催者にとってそれぞれ考え方があり、それをどう思うかは各々違っていると思います。
そして『サインはその時の記憶を思い出させる道具』にもなります。もらったにせよ、買ったにせよ当時の記憶を呼び起こすアイテムでもあり、為書きもその中の事象のひとつにもなります。
なので自分にとって何が大事で、何が重要かを考えることで為書きの価値や是非が変わるのではと思った2019年10月でありました。
larcket
サインズコレクションというホームページの管理者です。
2019年3月18日に新規登録させて頂きました。
登録はしたものの、自分でホームページ管理してるので公開する必要が全く無いのでどうしたものか・・・。
とりあえず同じ様なコレクターの方がどれくらいらっしゃるのか観覧しに行きたいと思っています。
サインズコレクションというのは私が集めた直筆サイン、直筆イラスト等を掲載したホームページで1999年に開設いたしました。2019年末に20年となります。
その間サイン公開専用のホームページを持っていらっしゃった方が何人かいましたが、気づくと私だけになっており(まだいるとは思いますが)皆どこに行ったのだろうと思っていましたが、こういった場所に公開していたというのは私にとっては朗報であり嬉しい限りです。
『サインズコレクションinミューゼオ』の使い方としては展示の際に改めて当時の状況を振り返って何かしらの新規文章を書き下ろそうかと思っています。
※展示品の画質が悪いのはホームページからそのままの解像度で転載してるからと、以前ヤフオクで当ホームページのサインを複製されて偽サインを販売していた人がいたため画質を多少落としています(ホームページ掲載のものよりは若干解像度を上げられたらとは思います※幅400Pixel程度)。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~tenoru2/
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mtgsign
2019/10/09興味深く拝読しました。
私の意見は後ほど述べることにして、日本において「サイン」は特に付加価値としてみなされる傾向にあるようです。極端に「サインをありがたがる文化」があるようにも思います。
私にとっての「サイン」とは、「体験の具現化」でもあります。
ある意味旅行のお土産みたいなものです。
私は購入することも稀にありますが、大概は国際郵便を通じてサインしていただいたり、直接お会いしていただいたりして、サインを書いてもらっています。
サインをいただくまでの過程や、交流した際の思い出が結果としてサインとして残っている、という感じです。
たぶん少しジャンルの違うサインコレクターということもあるのだと思いますが、こういう意見もあるということで参考まで。
larcket
2019/10/09コメントどうもありがとうございます。
「体験の具現化」というのは正にその通りだと思います。
私が管理しているサインズコレクションというHPで自分は『サインはその時の記憶を思い出させる道具』と随分前に書いた覚えがあるのですが、mtgsignさんがおっしゃっていることは正にそれです。
上記文章ではそれが抜けていました。(文章を精査してまた更新したいと思います)
『サインに付加価値としてみなされる傾向』とのことですが、確かにあるかも知れません。その傾向があるからこそヤフオク等で偽サインが出回る原因のひとつになっているのだと思います。
貴重な御意見どうもありがとうございました。
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