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十四弁菊花形(陽宮恒憲王御成年式)
賀陽宮恒憲王は、明治33年(1900)1月27日、賀陽宮邦憲王の第1王子として御誕生。大正9年(1920)に御成年。陸軍に進み、陸軍士官学校(32期)、陸軍大学校(38期)を御卒業後、東京・名古屋の各部隊の師団長や、陸軍大学校長などをご歴任。陸軍中将。この間、大正10年(1921)5月3日には、九条道実公爵の5女・敏子さまと御成婚。昭和22年(1947)10月14日)皇籍を離脱された。 十四弁菊花形 ボンボニエール 賀陽宮恒憲王御成年式(大正9年(1920)5月) 径5.6 高3.0 銀製、
ボンボニエール 賀陽宮家 不明kogan2020
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手箱形若松蒔絵(李垠・梨本宮方子成婚式)
李王垠は、大韓帝国皇帝(李氏朝鮮第26代国王)高宗の七男として御誕生、李坧が即位する(純宗)と皇太子となった。その後、明治43年(1910)に行われた日韓併合によって王世子となり、高宗、純宗、皇后とともに王族として日本の皇族に準じる待遇を受ける。明治40年明治40年(1907)、10歳のとき、日本政府の招きにより留学名目で訪日、陸軍に進み、陸軍士官学校(29期)、陸軍大学校(35期)をご卒業、陸軍中将へと進まれた。大正15年(1926)には純宗の薨去に伴い李王家を承継した。日本の敗戦後、昭和22年(1947)5月3日の日本国憲法施行による王公族制度廃止により李王の身位を喪失。 一方、梨本宮方子女王は、明治34年(1901)11月4日、梨本宮守正王の第一女子として御誕生になり、お二人は、大正9年(1920)に御結婚になった。 手箱形若松蒔絵 ボンボニエール 李垠・梨本宮方子成婚式(大正9年(1920)5月) 5.8×4.6×3.2 木製、蒔絵
ボンボニエール 梨本宮家 不明kogan2020