-
香合形(朝香宮湛子女王御結婚送別会)
朝香宮湛子女王は、大正8年(1919)8月2日、朝香宮鳩彦王第2王女子として御誕生。昭和16(1941)年、大給義龍 伯爵(尾張徳川家第19代当主、徳川義親の次男で大給左 伯爵の養子となる)と御結婚。 香合形 ボンボニエール 朝香宮湛子女王御結婚送別会(昭和16年(1941)10月30日) 径7.5 当2.8 木製、 ★紋が、朝香宮家の紋となっているので、朝香宮家でのご送別の折のものと思われる。戦争の激化に伴い、昭和15年7月7日に「奢侈品等製造販売制限規則」(一般には施行日をとって七・七禁令(しちしちきんれい)が施行され、銀製品の製造販売にも規制がかかることになり、以後、ボンボニエールの素材も陶磁器、漆器、木製などに切り替わっていくことになる。宮家でも銀素材の使用を控えられたものと思われる。
ボンボニエール 朝香宮家 不明kogan2020
-
手箱形松文(朝香宮孚彦王御結婚)
朝香宮孚彦王は、大正元年(1912)10月8日に、朝香宮鳩彦王の第1王子として御誕生。昭和7年(1932)御成年。陸軍士官学校(第45期)、陸軍大学校(第53期)と陸軍軍人として歩まれ、最終階級は陸軍中佐。また、昭和13年(1938)12月に藤堂高紹伯爵の五女・千賀子さまと御結婚。昭和22年1947年(1947)10月14日に皇籍離脱。 手箱形松文 ボンボニエール 朝香宮孚彦王御結婚御披露(昭和13年(1938)12月22日)(霞関離宮) 6.0×4.7×2.5 漆塗、蒔絵
ボンボニエール 朝香宮家 不明kogan2020
-
水雷形(朝香宮正彦王御成年式)
朝香宮正彦王は、大正3年(1914)1月5日、朝香宮鳩彦王の第2皇子として御誕生。昭和9年(1934)御成年。昭和11年(1936)4月1日、願により臣籍降下し音羽侯爵家を創設。海軍に進まれ、海軍兵学校(第62期)卒、昭和15年(1940)11月、第1次近衛内閣で拓務大臣を務めた大谷尊由の次女・益子さまと御結婚。昭和19年(1944)2月に第6根拠地隊参謀の海軍大尉として、当時日本が委任統治していたマーシャル諸島のクェゼリン島で戦死(クェゼリン島の戦い)された。 水雷形 ボンボニエール 朝香宮正彦王(のちの音羽正彦)御成年式御祝宴(昭和10年(1935)2月26日)(霞関離宮) 12.7×2.0×2.2 銀製、刻印「純銀 宮本製」 ★海軍軍人らしい、かつ時勢を反映したモチーフである。
ボンボニエール 朝香宮家 不明kogan2020
-
鉄帽形(朝香宮孚彦王御成年式)
朝香宮孚彦王は、大正元年(1912)10月8日に、朝香宮鳩彦王の第1王子として御誕生。昭和7年(1932)御成年。陸軍士官学校(第45期)、陸軍大学校(第53期)と陸軍軍人として歩まれ、最終階級は陸軍中佐。また、昭和13年(1938)12月に藤堂高紹伯爵の五女・千賀子さまと御結婚。昭和22年1947年(1947)10月14日に皇籍離脱。 鉄帽形 ボンボニエール 朝香宮孚彦王御成年式御祝宴(昭和7年(1932)11月21日) 7.1×6.9×4.2 銀製、刻印「純銀 宮本造」 ★陸軍軍人らしい、かつ時勢を反映したモチーフである。
ボンボニエール 朝香宮家 不明kogan2020