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Sheena & The Rokkets “Channel Good”
今や、伝説にまでなってしまった、日本のロックの草分け的存在Sheena & The Rokkets (以下、シナロケと表記)。彼等のセカンド・アルバム”真空パック”を探そうとしていたら、サード・アルバム”Channel Good”が出てきましたので、こちらを先にご紹介します。「伝説」と言うのは、もうシーナも鮎川誠も他界してしまったからなんです。そこまで紹介出来るかどうか分かりませんが、取り敢えず、彼等のバイオグラフィーを書いてみます。元々は、1970年から福岡で活動していたブルースロックバンド・サンハウスのG/作曲家であった鮎川誠 (米国人とのハーフ)と、妻のシーナを中心に1978年に結成されたのが、シナロケで、当時は地元福岡に拘って活動しています。しかし、父親に「一回、東京でスパッと勝負してこい!」と言われ、上京。1978年8月に新宿Loftで、鮎川誠&ミラクルメン名義でライブを敢行、同年10月に、Elbon Recordsより鮎川誠&シーナロケット名義で、”涙のハイウェイ”でメジャーデビューしています。翌年に、ファースト・アルバム”# 1”をリリース。そして、その年にAlfa Recordsへ移籍し、YMOのメンバーの協力を得て、セカンド・アルバム”真空パック”をリリースし、シングル”You May Dream”が、JALのCMに使用されたこともあって、ブレイクします。また、1980年9月には、細野晴臣と高橋幸宏がプロデュースし、YMOがゲスト参加したサード・アルバム”Channel Good (チャンネル・グー)”をリリースし、同年のYMOの初国内ツアーでは、福岡、神戸、京都、札幌、東京のゲスト・ギタリストとして鮎川が参加しています。1981年には、アルバム”Sheena & The Rokkets”が米国限定で、A&Mからリリースされています。1984年に、ビクター系列のレーベルInvitationに移籍、アルバム”New Hippies”をリリースしますが、1987年に、浅田孟 (B)が脱退します。その後、1992年に、シナロケは、同じビクター系列のSpeedstar Recordsに移籍、アルバム”(ha! ha! ha!) Hard Drug”をリリースしています。1998年には、野外フェスFuji Rock Festival ‘98 in Tokyoに出演し、翌年5月には、Wilco Johnson/シナロケJapanツアーを開催しています。2000年には、オリジナルメンバー川嶋一秀 (Drs)が復帰し、15枚目のアルバム”Rock The Rock”をリリース、Fuji Rock Festival ‘00にも出演。翌2001年には、初期の名曲から最近の楽曲までを網羅したライブ・アルバム”爆音ミックス”をリリースしていますそうして、2003年に、Shibuya-Callingに出演。同年7月にボックスセット”Dream Box”とベスト・アルバム”The Greatest Sheena & The Rokkets”を同時リリースしています。同年11月に東京Shibuya-AXにてシナロケ25周年ライブを開催し、2004年には、25周年を記念してリミックス・アルバム”Electrokkets”と、映像作品”Love Live”をそれぞれリリースしています。2007年には、Sony Music Directよりベスト・アルバム”Golden Hits The Alfa Yearsもリリース。2008年、シナロケ結成30周年として、アルバム”Japanik”をリリース、同年5月、恵比寿ガーデンホールにて”Japanik”発売と結成30周年を祝う”S&R Happy 30th Anniversary Special”を開催しています。そうして、2009年12月には、シーナの自伝的エッセイ”You May Dream: ロックで輝きつづけるシーナの流儀“を発刊し、その中で、悪化した声帯ポリープの手術のことを書き記しています。2013年には、シナロケが、Wilco Johnsonのホストバンドとして、”Wilco Johnson Tokyo Session 2013”を開催、ライブDVDはリリース後、即完売となります。2014年5月、鮎川の生誕66年祭を2日間行う。同年7月に、18枚目のアルバム”Rokket Ride”リリース。その時に、シーナがステージIVの子宮頸癌が発覚するも、シーナの希望で、病状は一切明かすことなく、亡くなる2ヶ月前までライブ活動を行っています。しかし、2015年2月14日、シーナが子宮頸癌により死去(61歳没)。鮎川は、シーナの意志を次いで、オリジナルメンバー3人でシナロケとして活動を続けます。末娘のLucyは、2015年4月7日「シーナの日#1」よりゲストボーカルを務めています。2018年には、デビュー40周年を迎え、鮎川の監修・選曲による41曲がデジタルリマスターされたベスト・アルバム”Golden☆Best Sheena & The Rokkets Early Rokkets 40+1”とGolden☆Best Sheena & The Rokkets Victor Rokkets 40+1”がそれぞれリリースされます。しかしながら、2023年1月29日、鮎川が膵臓癌で、東京都内の自宅で、74歳で他界して、シナロケは終わりを迎えます。 随分、端ょりましたが、シナロケの大体の歴史はこのようなものになります。それで、本作品”Channel Good”は先述のように、YMOの協力の元、細野晴臣と高橋幸宏のプロデュースによって制作されたアルバムで、時代的にも関わった人的にも、本来のシナロケよりは、随分とニューウェーブ色/テクノポップ色が強い内容になっています。一応、メンバーは、シーナ (Vo), 鮎川誠 (G, Vo), 浅田孟 (B, Chorus), 川嶋一秀 (Drs, Chorus)で、ゲストとして、細野晴臣 (Kbd), 高橋幸宏 (Drs [B5]), 坂本龍一 (Kbd [B1]), 松武秀樹 (Programming)が参加しています。それでは、各曲について内容を紹介していきたいと思います。 ★A1 “Hot Line”は、カントリー調のアップテンポの曲で、舌足らずなシーナのVoがキュートです。 ★A2 “My Boyfriend”は、Ramonesのカバーで、スカっぽいリズム。バックのKbdが如何にも細野晴臣のプロデュースですね。 ★A3 “I Spy”は、割と元々のシナロケに近いアレンジでしょうか。軽快なリズムの上に、鮎川誠のGが良く聞こえます。シーナのVoは可愛らしい! ★A4 “Dead Guitar”は、本来のシナロケらしいロックンロールで、メインVoは鮎川で若々しく、しっくりきますね。 ★A5 “Kiss Me Quick”は、シーナのキュートなVoとKbdのフレーズが、甘い砂糖菓子のような溶ろける曲です。間奏のGも良い! ★A6 “Oh! Suzy Q”もカバー曲みたいですが、タイトなリズムとGリフに、シーナの低めのVoが、Suzy Quattroへのシンパシーと直ぐに分かります。本当なら、もっとGをバリバリ前面に出したい所でしょうか? ★B1 “Ukabi No Peach Girl (浮かびのピーチガール)”は、YMO色の強いアレンジで殆どテクノポップですね。まあそれでもシーナのロリータなVoが合うんですが。これは日本語歌詞です。 ★B2 “Taikutsu Na Sekai (退屈な世界) und ”は、鮎川のGとシーナのドスの効いた日本語Voが、本来のシナロケ路線で、ロックンロールしてます!めちゃカッコ良いです。 ★B3 “Good Luck”も鮎川のGのリフと若々しいVoがガチンとハマった曲ですね。この曲もめちゃカッコ良いです!勿論、日本語歌詞です。 ★B4 “One Night Stand”は、バラード調の曲で、シーナの切な気なVoが沁みます。間奏の鮎川のGもハートフルでカッコ良い! ★B5 “Baby Maybe”は、再びテクノポップ調の曲で、ここでのシーナのコケティッシュなVoは堪らないですね。これは”You May Dream”へのアンサーソングなのかな? ★B6 “Snakeman”は、Gのカッティングから始めるスケールのデカいバネのあるパブロックっぽい曲で、こう言う曲でのシーナのVoは良く映えますね。 久々に聴いたのですが、やはりシーナのVoの多彩さが凄くて、表現力豊かなヴォーカリストだと思いました。また、前作”真空パック”より、またA面よりB面の方がよりロック・テイストが強く、ロック好きな鮎川を始め、バックの浅田や川嶋も生き生きと演奏しているようですね。やっぱり、シナロケはこうでなきゃと思いましたよ、ホント❗️なので、YMO色が弱まった、このアルバムは一度は聴いてみて下さい❗️ B1 “Ukabi No Peach Girl (浮かびのピーチガール)” https://youtu.be/xebOOjfkeyo?si=n97fztzFSHNjjJoY [full album] https://youtu.be/VGQfVhafG54?si=2ZAnfdoc4s6P5tdh #Sheena&TheRokkets #ChannelGood #AlfaRecords #ThirdAlbum #NewWave #MentaiRock #Producer #HaruomiHosono #YukihiroTakahashi #Programming #HidekiMatsutake #Sheena #シーナ #MakotoAyukawa #鮎川誠 #TakeshiAsada #浅田孟 #KazuhideKawashima #川嶋一秀
New Wave / Rock’n’Roll Alfa Records 不明Dr K2
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Monitor “s/t”
Monitor、知ってる人ってどの位いるのかなあ。と言う訳で、今回は、米国地下音楽の初期の方から活動していたMonitorを紹介します。しかしながら、Monitorは本作品であるアルバムともう1枚シングル、別名義でもう1枚シングルを出しているだけなので、情報を収集するのに苦労しました。先ず、メンバーなのですが、Keith Mitchell (Drs, Perc, Effects), Laurie O'Connell (Vo, B) Michael Uhlenkott (G, Vo), Steve Thomsen (Synth [Micromoog], Organ, Kbd [RMI])の4人です。極初期には、Jeff Rankin (Drs)が在籍していましたが、シングルを出した後に、Mitchellと交代しています。それで、元々は言うと、Thomsenを中心に、1970年代後期に、米国CAのLos Angelesで、コピー・アートやメール・アート或いは音楽の集合体としてWorld Imitation Productions (WImP)が設立され、そこで、Monitorも結成されました。MonitorはWImPの音楽部門だったんですよ。WImPは1982年まで活動していますが、その間(1981年初頭)に、Monitorの変名サーフロック・バンドThe Tikisのシングルも1枚出しています。なお、中心人物のThomsenは、WImP解散後も、コラージュ・アートによるジンを作り続けており、また、後に、Joseph HammerとRick Pottsと一緒にSolid Eyeを結成しています。あと、インダストリアル・バンドNONのJeffrey VallanceとBoyd Riceとも協力関係にあったそうです。それで、Monitorの解説の前に、WImPについて少々。Mitchell以外は元々、同じ地区で、同じ高校に通っていました。そして、Uhlenkott, Thomsen, O'Connellは、Californi州立大学Northridge校に進学し、RankinとConnorはUCLAに、Keith MitchellはLong Beach市立大学へと進学していました。その中で、Uhlenkott, O'Connell,, Thomsenは1970年代初頭よりバンドを組んでいました。この頃は、大掛かりなインスタレーションやパフォーマンスをグループでやることが流行っていましたが、多くの参加者は音楽をBGMとしてしか使ってはいませんでした。1977年秋に、集まった仲間達は、より手作業で、細かい絵やドローイング、ペインティングやプリントを集めたジン”Science Holiday”を発行し、コピーアートやメールアートの世界に入っていきます。そうして、発行元となったのが、WImPです。彼等は、様々なジンを扱っていましたが、自分達のジンは基本、手売りで売ってましたし、メールアート界に参入して、Mark Mothersbaugh (Devo)やGenesis P-Orridge (Throbbing Gristle), Daniel Millerなどと繋がっていきます。そして、1978年10月には、WImPは先進的なアートを集めたより大きな個展を開きます。その一方で、活動を音楽にも広げる為、World Imitationレーベルを設立し、第一弾として、1981年に、Meat Puppetsのシングル”In A Car”をリリース。それで、ちょっと時代が前後しますが、1978年2月に、初期のDevoのエンジニアでプロデューサーでもあったEd Bargerとのメールアートの交流があったこともあり、実際に会って、プロデュースをしてもらいます。その時は、Michael Uhlenkott (G, Vo)とSteve Thomsen (Organ, Piano)がメンバーで、それにThomsenのガールフレンドAllison Andersを加えてCañon名義でフォーク・ロックをやっていました。その頃から、Monitorが先述のメンバーて結成されることになり、最初はハリウッドのパンク・シーンで活動していましたが、より大きなLAのパンク・シーンにも参入し、よりうるさい音楽シーンにおいて、Monitorの音楽はリズムも複雑で、音量もそんなに上げないで演奏していたこともあって、過小評価されていたようです。その当時、バンドは、アフリカや東欧の音楽のリズムとマイナーコードでのメロディを上手く取り入れて、余りにもユニークな音楽をやっていた為、アート・ロックとか言われていましたが、彼等はそう言われるのを嫌ってました。そんな中で、本作品てある唯一のアルバムが作製されています。なお、このアルバムには典型的パンクバンドMeat Puppetsの演奏が1曲”Hair”だけ収録されています(何故、入っているのかは謎)。彼等は、合計3枚のレコードを出して、1982年4月10日にラスト・ライブを行い、解散します。 ちょっと長くなりましたが、Monitorの足取りは以上となります。 それで、内容なんですが、先ず、ジャケのアートワークが素晴らしいです。それと私の持っているのは独のATA TAKプレス盤なのですが、恐らくこれはメールアート繋がりによるものでしょう。それから、メンバーは先述の4人ですが、Allison & Tiffany Anders (Vo [A2,B1]), Mary Jones (Vo [B1])もゲスト参加しています。重厚なシンセの低音から始めるこのアルバムは、確かに風変わりなヴォーカルの旋律と既にポストパンク的なリズムへの萌芽が聴けます。A2 “Mokele-Mbembe”なんかは正にアフリカンです。また、グダグダのコーラスやビートを刻まないドラムなんかはLAFMSの音楽を想起させますね。また、曲の中に立ち上がるThomsenのシンセがいい味わいを出しています。またA5 “Amphibious”なんかはHenry Cowっぽいです。B1 “Pavillon”ではシーケンサーまで使っており、メロディはアフリカとか東欧ではなく、和風と言うか演歌風です。B面の方がKbdやシンセの目立つ曲が多いです。それにしても、不思議な展開の曲が多いのですが、ここからSolid Eyeのメンバーが生まれたと考えると、なんか納得してしまいます。 と言う訳で、今まで断片的にしか認識していなかったMonitorの全貌を点と点を結んで、明らかにできたのは、個人的に収穫でした。アフリカや東欧の音楽との関係はそれ程感じませんでしたが、もし、LAFMSやSolid Eyeを深掘りしたいリスナーさんにはお勧めします‼️ *全曲のYouTube動画を貼っておきます。 A1 “We Get Messages” https://youtu.be/6l7EWATfm4A A2 “Mokele-Mbembe” https://youtu.be/S9GXI0_c-Ts A3 “In Terrae Interium” https://youtu.be/zzEA9b5huPU A4 “Herb Lane Theme” https://youtu.be/U5aMJ_sfxqw A5 “Amphibious” https://youtu.be/lVgvF-H784g B1 “Pavilion” https://youtu.be/JKDHSTPqMcw B2 “Phosphorea” https://youtu.be/JNtvYqfvoNw B3 Meat Puppets “Hair” https://youtu.be/rL86Ur7fhMs B4 “I Saw Dead Jim's Shade” https://youtu.be/zfZxQAbRH10 The Tikis single “Junie” c/w “Surfadelic” https://youtu.be/r6GHUvoMoAc #Monitor #WorldImitationProductions #ATATAK #XeroxArt #Collage #Installation #MailArt #American #WestCoast #Underground #MeatPuppets #KeithMitchell #LaurieO'Connell #MichaelUhlenkott #SteveThomsen #Boydrice #TheTikis #SolidEye
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