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Der Schumacher Schue シューマッハ ハーフブローグ UK7 外羽根
中欧オーストリアの靴修理屋さんが自身オリジナルのカスタムシューズ(バイオーダー)を手掛けたのがこちら。ドイツ的なフォアフットの立ち上がりや堅実なグッドイヤーウエルテッドで、オンオフに合わせやすいハーフブローグ。外羽根式なので足入れも良い。ブラックのストレートチップやプレーントゥをお持ちの方でしたらセカンドシューズとしても最適です。確か€399〜499程度だったと記憶します。インソックも箔押しではなく、刺繍ネーム縫い付けというのも良い意味で垢抜けなてなく、素朴な感じが良いです。 #DerSchumacher #シューマッハ #革靴 #ハーフブローグ #ビジネスシューズ
革靴 中欧の普通の靴 Der Schumacherながぬまようすけ
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Schneider SALZBURG LODEN COAT シュナイダー
1890年オーストリアはウィーンでゴム製品を販売する会社として創業。後にザルツブルクにコートを生産する工場を設立し、モーターサイクリストのための防水ラバートレンチを発表し、大成功。やがてチロル地方の伝統的なローデンクロスを使った格調高いコートを作り、欧州では「シュナイダーコートはステイタスの証である」とまで称されました。こちらはアルパカ混でローデンコートの特徴を有しながらも現代的なアレンジを加えてられてます。膝下丈でかなりドレッシーです。 #schneider #loden #coat #シュナイダー #ローデン #コート
コート 日本では紹介され辛い銘品 SCHNEIDERながぬまようすけ
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ORIGINAL ALPEN LODEN ローデンコート
イタリアからドイツ、オーストリアにかけて貴族が狩猟時に着ていた防寒着を由来とするローデンコート。 90年代あたりかにオーストリアから他欧州向けの輸出用に作られたものと思われます。 背中から裾にかけて取られた長く、深いインバーテッドプリーツが特徴で、着るときれいなAラインです。 マテリアルは近代的なローデンクロス。現地の古語で「獣毛で織った厚い毛布」を意とする”Laden”を語源とします。 油脂の残るウールを織布・縮絨させ、目を詰めることで防寒性や撥水効果、調温効果が期待できます。 #lodencoat #ローデングリーン #ローデン #コート
コート コート ALPENながぬまようすけ
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HEINRICH DINKELACKER HALF BROGUE BUDA ハインリッヒ ディンケラッカー
HEINRICH DINKELACKER(ハインリッヒ ディンケラッカー)のシボ革ハーフ・ブローグ。約30名程のマイスターが靴1足1足を約300の工程をオールハンドメイドで丁寧に作り上げる、ドイツのシューズブランド。中欧~東欧独特なラストと相まって独自の世界観があります。ウエルト部分は独特のツォップナート(三つ編み)。『前進する1m毎に心からの享楽を提供する』というブランドマインドを持ち続け、今も靴作りに込めています。 apollo shuheとHEINRICH DINKELACKERの関連性 1879年にapollo(アポロ)はHEINRICH DINKELACKER(ハインリッヒディンケラッカー)によってシュトゥットガルト近くのSindelfingen(ジンデルフィンゲン)に設立。当初より質の高いメンズシューズを専門とすることを決意し、ブランド名”apollo(アポロ)”の由来はローマの純粋さと芸術の神のモデルにちなんで選ばれた。1世紀を経た1992年apollo(アポロ)のブランド、素材、技術的なノウハウがKornwestheimer Salamander AGに売却され、90年代末にapollo(アポロ)のブランドマネジメントはSiouxへ移り、現在に至る。一方、HEINRICH DINKELACKER(ハインリッヒディンケラッカー)は1960年代にマニュファクチュールを当時欧州の製靴交易の中心であった共産圏であったハンガリー・ブタペストに移転。同族兄弟が厳しくなった2004年にポルシェAGにいた2名とIBMマネージャー、プロフェッサーの計4名により経営権が引き継がれ、自動化・プロセスの最適化・大量生産を避け、伝統的な高級靴を確立。2015年に「Brand of the Century」賞で確認されました。靴のロールス・ロイスと呼べれる所以です。 #HEINRICHDINKELACKER #BUDA #ハインリッヒディンケラッカー #ハンドソーン #革靴
革靴 HEINRICH DINKELACKER HEINRICH DINKELACKERながぬまようすけ
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Friedrich Nagy Bespoke フリードリヒナギー ビスポーク
世界靴読本で有名になったNikolaus Tuczek(ニコラス・トゥーシェック ※タックゼック、トゥーシェク、テューチェックとも)。イギリスのヴィンテージビスポークシューズ界隈ではAnthony Cleverley(アンソニー クレバリー、本人ビスポークの方ね)と並び、否、それ以上に希少価値の高い(とされる)ビスポーク靴です。マニアな世界ではよく知られたシューズ。 一方中欧で、ほぼ同時期に素晴らしいビスポークシューメイカーが居た事をご存じだろうか? Friedrich Nagy(フリードリヒ・ナギー) 歴史を振り返ると 1918年 第一次世界大戦の敗戦でオーストリア=ハンガリー帝国解体、第一共和国になる 1927年 オーストリアはウィーン・ミヒャエル広場につながるハプスブルガーガッセ通り(現在モンブランやロンシャンのある通り)で工房”Béla Nagy(ベラ・ナギー)”を開店。 1938年 ナチス・ドイツによるオーストリア併合。アンシュルツに。 1945年 敗戦。連合国による分割占領。 1955年 独立回復。永世中立国となる。 1960年代後半に引退。 引退する時にかのGeorg Materna(ゲオルグ・マテルナ)に顧客を引き継ぎました。Materna(マテルナ)氏、”Béla Nagy(ベラ・ナギー)”で働いていたのです。ナギー氏はマテルナ親方の親方という事になります。王宮の傍に店を構えていた事を考えると顧客はやんごとなき方々だったと思われます。また、20世紀オーストリアの建築家Adolf Loos(アドルフ・ロース)の書籍の中でのNagyシューズ/ブーツの優れた品質について書いたとの事。(未見です。)「装飾は罪悪である」という彼の主張から推察するにシンプルで堅牢であった彼の靴は気難しい建築家が好きになるモノであったと思われます。 #Nagy #shoes #bespoke #革靴 #ハンドソーンウエルテッド #vintage #革靴
革靴 Friedrich Nagy Friedrich Nagyながぬまようすけ