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月報 RCA(日本ビクター) 1970年代
RCAレーベル(日本ビクター)の月報・1970年代です。 プリスリー・イン・パーソン(ラスベガスでのライヴ盤)は1970年3月号です。プレスリーは、少しずつ違う領域に入って来たなと感じていました。「貫禄で歌いまくる」というのも凄いコピーです。ロックンロールの歴史がまたまだ浅く、「ポール・マッカートニーやミック・ジャガーが70才を過ぎてもライヴ活動を行う」などということは想像も出来ない(そもそも、そういう年代のロックン・ローラーなどいなかった)時代でした。 ホセ・フェリシアーノ・イン・パーソンは1970年4月号です。雨のささやき(レイン)が日本でもヒットしました。「夢のカリフォルニア」のカバーも、この曲がマイナー・キーであることを改めて感じさせてくれました。同じホフ・フェリシアーノが、ウァーバリー・フィンスターなる変名で「さよなら、ポール」などというレコードを後発売しています。「ビートルズのポールは既に亡くなっている」等と言う噂はよく耳にしました。(馬鹿馬鹿しく思ってましたが) 藤圭子さんもRCAの大事なスターになって行きます。 ニルソンの「パンディモニアム・シャドウ・ショウ」は1970年12月号に掲載されています。日本では「ハリー・ニルソンの肖像」が先に発売されていましたが、これが1967年発表のファースト・アルバムです。ジョン・レノンが気に入って電話を掛けた、というエピソードは有名ですね。 70年12月号掲載の「あなたのとりこ」(シルヴィ・バルタン SS-1974)は大ヒットとなりました。が、この曲は 1968.11.25 に SS-1849 として一度発売されていました。ジャケットもB面曲も違っていましたが、この時には大きな反響はなかったと思います。(69年1月号の月報) 71年3月号には、「ナオミの夢」(ヘドバとダビデ),「シルバー・ムーン」(マイク・ネスミスとファースト・ナショナル・バンド)が紹介されています。どちらも優れた楽曲でしたが、特に前者は至る所で耳にしたものです。マイク・ネスミスは、もちろん元モンキーズのメンバーでした。 #アナログレコード #レコード資料
音楽 RCA(日本ビクター) 2000年〜2020年chirolin_band
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月報 RCA(日本ビクター) 1968〜1969年
1968年に米RCAと日本ビクターとの間に新しい原盤契約が成立し、RCAレーベルによるレコードを発売することになりました。(RCA第1回月報による) 簡単に言うと、ビクター本体の洋楽部門が従来の Victor レーベルからRCAレーベルに変わるということです。 但し、RCAとして独自に国内アーティストとの契約も行ったので、邦楽も発売されました。 大事なことは、この時点ではレーベルが変わっただけで会社として独立したわけではない、ということです。販売するのは引き続き日本ビクターです。 これ以降の新譜は全てRCAレーベルとなりますが、発売済の旧譜は再プレスのタイミング等で順次RCAに変更されたものと思われます。従って、同じ品番のレコードであっても、プレスの時期によってレーベルが異なることになります。 画像2〜4はその第1回発売分ですが、クラシック,ポピュラー,邦楽が全て1968年10月25日に発売されました。 内山田洋とクール・ファイブのデビュー曲は、1969年2月5日に発売されました。 洋楽のプレスリーはまだまだ健在で、どんどん独自の領域に入って行くことになります。 邦楽ではその後、森田健作さんや藤圭子さん等がデビューして行きます。 画像はありませんが、大ヒットしたゼーガーとエバンスの「西暦2525年」が1969年8月10日臨発として発売されています。 #アナログレコード #レコード資料
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