万年筆との出会い

初版 2023/11/03 20:29

改訂 2023/11/03 20:29

僕が万年筆というモノに初めて触れたのは、今から10年ちょっと前、もうガッツリ大人になってからの事だった。

写真の上から4番目、青い胴軸のペン、パイロットのカスタム74という万年筆を、僕の友人であり、仕事の上司でもある先輩からプレゼントしてもらったのがきっかけだった。

そこそこ高価なシロモノを、名入りで、しかも女性からプレゼントしてもらうなんて事は、僕は人生で初めての経験だったのでほんのちょっとだけドキドキしたが、しかし僕と彼女の関係性を良く知る人達からすると、その手の話には発展しないだろう事は分かっていたと思う。

彼女にとって、僕は年下のちょっと仲の良い従兄弟くらいの存在で、僕にとっても彼女は仲良しの親戚のお姉ちゃんくらいの存在だったし、なによりお互い既に既婚者だった。

僕が入社して以来なので、知り合ってから今年でかれこれ20年程になるが、2年先輩で、共に楽器を共通の趣味とする彼女とは主に音楽性の面で妙にウマが合って、一緒にバンドを組んだりもしており、なんだかんだ付き合いが続いている。僕は彼女のおかげで男女間の友情というものを信じる事が出来ているという訳だ。

と、まぁそんな話はどうでも良くて、当時の僕は書くという事が苦手で手帳が長続きせず、スケジュール管理に苦戦していたのだが、それを彼女に相談したら、その翌週の頭にコレが職場の僕のデスクの上に置いてあった。

「書く事が楽しくなればいいのよ。万年筆なんて、ちょっと大人って感じでお洒落だし、なんだか格好良くない?」

お礼という名目でタカられて一杯奢らされていたその席で、彼女は笑って言った。

ちょっとどころか年齢的にはもう既にガッツリ大人だった僕は、生まれてこのかた万年筆なんて触った事が無く、なんなら幼い頃から悪筆で、モノを書くという事自体どちらかと言えば億劫だと思っていた。だからその時は目の前の万年筆が一体どれほどのモノなのかもイマイチよく分かっておらず、ただ少なくともその日彼女に奢った飲み代よりは高そうだ、いやそうであってくれ、程度にしか思っていなかった。

さて、万年筆を実際に使おうにも、その使い方がイマイチよく分からない。贈ってくれた彼女自身もサッパリ分かっていないし、当時周りで万年筆を使っている人も居なかったから、誰かに聞く訳にもいかない。その一方で、彼女からはやれ使い心地はどうだ、だの早く使えだの色々と喧しく言われていたので、仕方がないから自分で調べてみると、なんだか色々と面倒臭さそうな予感がしたのだった。

繊細そうなペン先は実際に結構繊細みたいで、ボールペンみたいに筆圧をかけると曲がったりして壊れてしまう様だし、インクカートリッジを交換する際にはインクが詰まる事を防ぐ為に何回かに一度洗浄しないといけないらしい。また、新品のカートリッジを挿したばかりの時はインクがペン先まで降りてくるのを待たねばならず、すぐには書き出せない様だ。実際に筆記する時も、紙に対してペンポイントをきちんと当てないとインクが出なかったり擦れてしまったりするという。字を書くに当たって、ペンを持つ角度や向きなんて僕はこの時まで生涯で一度たりとも気にした事が無かった。調べれば調べる程に面倒臭いシロモノだという事が解る。だがしかし、まるで持ち主の手に合わせるかの様にペン先が育つ、というくだりを見つけた時、僕は万年筆というモノに途轍もない浪漫を感じてしまった。

そんな訳で、彼女からは相変わらず喧しく言われていたが、よく分からないまま実戦に投入して壊したりしてしまわない様に、事前に家で練習してみる事にした。

案の定、苦戦した。

筆圧をかけない様にと力を抜いて書こうとするとへにゃへにゃしたミミズの様な字になってしまうわ、その前にまずペン先を紙にきちんと当てられなくてインクが出てこないわ、カミさんには、またおかしな事を始めて的な目で見られるわと前途多難だった。だけど、オマケで付いてきたカートリッジを一本使い切る頃には、なんとか要領を掴めた様に思えた。

予備のカートリッジを買ってきて実際に使い始めてみると、万年筆を周りの年上の人達から珍しがられたりなんかして、手帳のスケジュール管理はもちろん、用もないのに手帳の端に何か書いてみたり、万年筆で字を書く事が結構楽しくなってきた。そのうちペンに相応しいきれいな字を書こうだとかそんな事まで思う様になり、予備のカートリッジを一箱使い切った頃にはなんとか人様に読んで頂ける程度の字にもなった。書く事が苦手だった僕が、いつの間にか書く理由を探す様になった。こうなってくると、不本意ながらも彼女に感謝、である。

この頃には流石にこのペンがパイロットのカスタム74 という名前である事、所謂金ペンと呼ばれる、金で作られたペン先である事等、自分が持っているモノがどんなモノなのか、くらいは分かる程度、万年筆にハマっていた。

そして、万年筆には深〜い沼が広がっている事、そしてその隣にはインクという、これまた広〜い沼が横たわっている事には、まだ気がついていなかった。

ギターを弾いている時、ペンを片手に紙に向かっている時、心を開放出来る。
少し息が出来る。
人生を共に過ごす相棒達。

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