忘年筆

年末、というにはまだ随分と早いが、気候も随分と冬らしくなり、なんとなく年の終わりを意識しだす今日この頃。

休日のギリギリ午前中という頃合い、インフルエンザの予防接種を受ける為、近所の病院の待合室でテレビを観ていたら、ポケットの中で携帯電話が鳴った(マナーモードだったから、本当は震えた、が正解)。

受付のお姉さんに事情を伝えて病院の外で電話に出ると、相手はいつもお世話になっている万年筆専門店の店長だった。

「例のブツ、いい中古が入りましたよ」

開口一番、店長が言った。

マジかぁ、まだ早いよ！とは思ったが、チャンスなのは間違い無いので、今の状況を説明し、予防接種が終わり次第向かうのでそれまでキープで！とお願いして電話を切った。

それから約1時間後、僕は名古屋の下町、大須商店街の端っこの、とある筆記具専門店にいた。

カウンターを挟んで店長と向かい合って座っている僕の目の前には、冬のボーナスが入ったら今年の忘年筆としてお迎えしようと考えていた一本の万年筆があった。

Kaweco STEEL Sport。

ドイツの筆記具メーカー Kawecoの人気シリーズ、Kaweco Sportの上位モデルで、2017年に発売されたステンレススチール製の万年筆である。

「元々ウチの店で新品で販売したモノで、ほとんど未使用です」

確かに綺麗だし、使用感もほとんど無い。

店長が言うには、前オーナーはこの数年でお店に出入りする様になった男性で、コロナ禍を機に何か新しい趣味を、と万年筆に手を出したそうだが、ここ最近はヴィンテージ万年筆にご熱心で、このペンも買ったはいいが碌に使われる事も無いまま新たなコレクションの為の下取りに出された、という事らしい。

付属品も全て揃っており、その上別売のクリップまで付いていた。一つだけ、字幅がMなのが少しマイナスで、僕は普段手帳に色々と書き込んでいるので字幅は細い方が都合が良いのだ。

しかしそれでも値段も含めて思った以上の好条件だった。ペン先は、なんなら交換すれば良い。

僕はそもそも新品で購入しようと考えていたし、その辺の僕の事情は分かってくれている上で、店長はお店に並べる前に、先に僕に話を持って来てくれたのだ。

店長は何も言わず、そのペン先にインクを付けて僕に渡してきた。

分かってるよ、書くまでも無いんだ。あなたの腕は信頼しているし、このペンだってあなたが死ぬまで永久保証なんだろ？知ってるよ。

じゃあなんで？

分かってますとも。背中を押してるんだろ。悪い事言わないからコレ買っとけって事だろ。

僕は試筆用の紙に大きく、そしてゆっくりと、「永」と一文字だけ書いて、言った。

「貰っていきます。そん代わりカードで、ボーナス一括払いな。それと、コンバーターも一緒に」

本当はペン先もEFに交換したかったが、たまたま前日にペン先交換の依頼があってEFニブが品切れだったので、とりあえずMニブのままで試しに使ってみようと思い、店を出た。

出た途端に腹が減った。

こうして僕は、一足早く忘年筆、という事になってしまった。

追記:腹拵えして帰宅し、改めてSTEEL Sportにインクを入れて少し書いてみたが、Mニブ、悪くないってなってしまい、今ちょっと色々迷ってます。

しばらくは、このペンとダイヤモンドミニ、この2本とじっくり付き合ってみようかと思っています。