-
芝原人形(虎加藤)
芝原人形の虎加藤 写真1枚目の右が3代目 田中謙次さんの85歳(昭和40年)頃の作品。左は4代目 千葉惣次さんの作品(作成時期不明)。
中倉山麓東向き
-
宮の峡人形(天神)
宮の峡人形の天神2体 黒天神の背面には「三次宮ノ海人形本元」の刻印があります。底面の記載から明治39年11月以前の作品であることが分かります。 朱色の天神には宮の峡を示す刻印はありませんが、主色が朱から臙脂に変わる前の明治中頃以前の作品と考えられます。
中倉山麓東向き
-
浜松張子(虎)
二橋志乃さんの虎です。 名前の記入しかなく、作成時期は不明です。
中倉山麓東向き
-
出雲張子(虎)
張子の腹部に「高橋孝市作 1970年」と記載されています。
中倉山麓東向き
-
三次(十日市)人形(太閤)
新しい方は、昨年3月に亡くなられた6代目 丸本垚さんの作品です。 古い方は同型の古作(明治末期?)。
中倉山麓東向き
-
青森人形(虎)
最近インターネットオークションで入手した福原英治郎さん作の虎です。 出品者は福原英治郎さんの作品とは断定されていませんでしたが、 ・足先を薄い青色で彩色し、赤色の線で指を表現する。 ・目の上の眉毛状のものに緑色で彩色し、青、白で模様を入れる。 ・尻尾の先を(青色で)彩色する。 ・縞模様を二本線で表現する。 等、虎を題材とした他の福原さんの作品との共通性が確認できるので、この虎は福原さんの作品に間違いないと思います。
中倉山麓東向き
-
古賀人形01
古賀人形の「和蘭陀さん」と「阿茶さん」。 これらを題材とした人形は、一説には天和年間(1681~1684)、小川家六代目喜三左衛門によって作り始められたとのこと。 各地の多くの土人形は伏見人形の系統に連なりますが、古賀人形には江戸時代の長崎という時代・地域を背景とした独創的な型が存在します。 ちなみに、和蘭陀さんは出島のオランダ商館のカピタン。阿茶さんはあちらさんが訛ったもので、中華街の華僑がモチーフのようです。
中倉山麓東向き
-
常石張子(鯉担ぎ金時)
常石張子の鯉担ぎ金時です。 昭和52年に発行された「郷土玩具の旅ー西日本編ー」(保育社)に同型の作品が掲載されており、ずっと憧れていたものです。 宮本峯一さん作。2015年にインターネットオークションで入手しました。
中倉山麓東向き
-
稲畑人形(毛利元就01)
赤井直道あたりの作品といわれている稲畑人形の「毛利元就」です。 高さ31cm程度ですが、2007年にインターネットオークションで入手しました。 胸の家紋が毛利家の「一文字に三つ星」(本当は一が三つ星の上になるはずですが)なので、毛利元就ということのようです。
中倉山麓東向き
-
稲畑人形(毛利元就02)
最初の写真は「毛利元就01」です。 2番目から5番目までは、同型で一回り小型(高さ29cm)の作品になります。 一見分かりにくいかもしれませんが、上にあげた左手の模様とか足元のデザイン等に違いがあります。 (2番目から4番目は胴の家紋に彩色がありませんが、5番目は赤く塗られています。) 恐らくここまでは赤井家の作品でしょうが、5番目はさらに一回り小型(高さ27cm)ですし、雰囲気自体も大きく異なります。 稲畑人形も最盛期には数軒で製作していたとのことですので、赤井家とは別系統の作品と思います。
中倉山麓東向き
-
稲畑人形(新田義貞)
稲畑人形の「新田義貞」です。 鎌倉攻めの際の稲村ケ崎の伝説(黄金の太刀を海に投げ入れて龍神に祈願すると、潮が引いて、鎌倉に攻め込むことができた)をモチーフにしています。
中倉山麓東向き
-
中山人形(敦盛と直実)
中山人形の平敦盛と熊谷直実です。 この二つは他の地域の土人形でも題材としてみられます。 ちなみに2009年1月にインターネットオークションで直実を購入したのですが、タイミング良く、翌月に敦盛の出品がありました。 中山人形の場合、この型の組み合わせとなりますが、写真の二つは作成時期が異なります。
中倉山麓東向き
-
吉備津のこま犬と鳥
岡山県の吉備津神社の授与品です。 立ち犬、座り犬、鳥の3個が一組となったもので、犬は盗難火難・野獣除け。また、子どもの夜泣き、虫封じ。 鳥は食事の際の喉詰まり除けとされています。
中倉山麓東向き
-
豪徳寺の招き猫
東京都世田谷区の豪徳寺の招き猫。 井伊のお殿様を招き入れた招福猫児(まねきねこ)ですが、1977年、高校1年のときに購入したものです。 もう40年以上経ってしまいました。
中倉山麓東向き
-
法華寺のお守り犬
奈良、法華寺の「お守り犬」です。 法華寺のHPによると、光明皇后が犬のお守りを作り、無病息災を祈願して人々に授けられたのがはじまりで、厄除けや長寿、安産のお守りとのことです。
中倉山麓東向き