came back 1982年上野station ①

初版 2022/07/11 11:40

改訂 2023/05/01 07:16

新幹線開業前の上野駅を再現し当時の活気に触れてみる企画

第一弾では東北・上越方面の優等列車を取り上げます。

・急行 佐渡(1985年廃止)

上野と新潟を上越線経由で結んだ急行

165系の中でもトップクラスの知名度を誇る急行である。トンネルを抜けるとそこは雪国であったと言われた上越線を走った急行でもある。

特急ときが廃止になったあとも上野ー新潟を直通する優等列車として健闘したが新幹線が上野に延伸した事により廃止されてしまった。画像の165系はその後、上沼垂や高崎などに配属されJR化を跨いでローカル列車や波動用車両として2000年代前半まで活躍した。似た車両で碓氷峠通過時協調運転機能を持つ169系という形式が居たが2013年に引退した。

・特急 とき(1982年廃止)

上野と新潟を上越線経由で結んだ特別急行

181系を定期運用をした最後の特急列車である。佐渡に比べ速達性を重視した列車であるが、新幹線の速達タイプに列車名を奪われた為廃止された。181系は元を辿ると151系こだま、はと、しおじなど東海道・山陽新幹線による特急置換えにより新潟に流れてきた車両も存在した。新幹線開業に生涯追い回される車両でもあったが、1986年までに全車廃車され、わずかに保存車が残るのみである。

・特急 あさま(1997年廃止)

上野と長野・直江津を信越本線経由で結んだ特別急行

碓氷峠を越す特急として今尚人気のある列車である。姉妹列車として中軽井沢行の臨時特急 そよかぜ、信越本線経由金沢行 特急 白山、更に夜行急行 能登(97年以前は信越本線経由という事を知らない人はこの記事を読むべきではない)という列車もあったが、今回は手配が間に合わなかったので次回にしよう。写真の189系はあさま・そよかぜで活躍し、97年秋の長野新幹線開業に伴い横軽廃止、しなの鉄道への分割などからあさま号は廃止、その後は中央線特急 あずさ・かいじや信越本線の長野以北を走る妙高・みのり、波動用車両等に使用されたが、2000年代後半より廃車が進み長野総合車両センターの最後の6両が引退したことにより廃形式となった。

・特急 はくつる(2002年廃止)

上野と青森を東北本線経由で結んだ寝台特別急行

昼夜兼行で走る事ができる583系を使用した東北線の寝台特急である。姉妹列車として寝台特急 ゆうづるが存在し、上野ー仙台は東北本線経由のはくつると常磐線経由のゆうづるとなっていた。1994年まではこの583系を使用していたが、それ以降はEF81+24系に変更され、定期で走る583系はきたぐにのみとなってしまった。写真のクハネ583 5は近郊形改造の対象外であった為、最後まで特急形として活躍し、1994年以降は波動用としても活躍した。

・特急 はつかり(2002年廃止)

上野と青森を東北本線経由で結んだ特別急行

国鉄L特急の代表選手でもある485系。東北本線は1982年まで昼夜問わずひっきりなしに特急が走っていた。その中で昼行の青森行ははつかり号と呼ばれており、盛岡行やまびこや仙台行ひばり、他への急行もまぜながら東北と東京を結んだ。しかし時代は大宮発のクソミドリへ、1982年には特急街道と名を馳せた東北本線から特急がほぼ消滅した。はつかり号も廃止になると思われたが、盛岡以北には新幹線が開通していないため、盛岡ー青森の連絡特急として奇跡的に名を残せた。青函トンネルの開通後は函館まで足を伸ばしたりしていたが2002年の新幹線八戸延伸に伴う運転区間変更により白鳥と名を替えた。余談であるが白鳥号は前年まで大阪ー青森を結ぶ485系の昼行特急の名前であり、更に遡ると気動車時代には直江津から青森行と分離し上野駅へ向かう特急列車であった。写真の485系は盛岡ー青森短縮後のはつかりクハ481 300を再現した。485系はJR化してから廃車が始まり2010年代にはほぼすべての車両が廃車されている。現在でも足回りが485というジョイフルトレインが6両2本だけ残存している他、鉄道博物館にも収蔵されている。

・急行 まつしま(1985年廃止)

上野と仙台を東北本線経由で結んだ急行

455系はそれまで主流であった客車急行の置換えとしてデビューした451系に出力UPと抑速ブレーキを備えた車両である。似た形式に475系や457系等が存在し、東北と首都圏や近畿と北陸を結ぶ急行などで使用されていた。その中でも上野と仙台を結ぶまつしま号は東北方面への急行では代表選手である。上野時点では他に会津若松行の急行 ばんだいや臨時急行 ざおうを連結して仙台方面へ向かった。仙台以北の急行はまた別の機会にでも。急行 まつしまは1982年の改正はなんとか潜り抜けたものの、1985年のあの緑が上野に来るとさすがに勝てないと察したのか静かに幕を閉じた。他の記事に書く予定のひばりややまびこよりも新幹線開業の攻防に耐え抜いたのはやはり急行という小さい町にも止まるという性格が効いたからなのか…

その後の455系は仙台地区のローカル輸送に従事することとなった。広島地区に端を発したシティ電車戦略により169系やサロ165先頭改造車等を編入したなんでもあり状態で仙台地区の鉄道利用喚起にいそしんだ。JR化後は東北色や磐越西線や仙山線などで専用カラーを纏って活躍を続けたが、今度は喚起した需要により、急行形の2ドアでは混雑に拍車がかかること、製造後40年と置換えの時期が迫っていたこともあり2007年に全車廃車となった。写真の車は鉄道博物館に展示中のクモハ455 1をモデルとしている。

東北色はこんな色

以上です。

素材が手に入らないと次の記事が書けないため、次回は未定です。いいね増えたら早めるかもしれません。(見てる人少ないしそうはならんやろ)

#鉄道150周年連載

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存在が産業廃棄物

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