日本百観音霊場
初版 2020/05/31 07:33
日本百観音(にほんひゃくかんのん)とは、西国三十三所・坂東三十三箇所・秩父三十四箇所を総合した日本を代表する100の観音巡礼である。その結願寺は秩父三十四箇所の三十四番水潜寺となる。
長野県佐久市鳴滝の岩尾城跡にある大永五年(1525年)銘の石碑に、「秩父三十四番 西國三十三番 坂東三十三番」と彫られており、これ以前に日本百観音巡礼が考案されていたことが判明している。
個人的な見解としては、近畿の本西国があり、
坂東霊場と秩父霊場は地方の写し霊場の一つであったのではないかと思われます。
江戸時代に首都機能が近畿から関東へ移り現代同様に文化の発信基地が
関東となったことにより、江戸から近い坂東、秩父がメジャーな観音霊場となり
百観音と定義るす人が現れ一般化したものではないかと思われます。
本西国のルートに関しても、江戸から近畿へ下り三重県の伊勢参りをし
次に熊野三社参りから、西国札所の青岸渡寺を参りぐるっと近畿一周の
西国巡礼の最後の華厳寺から江戸に向かわず、信州の善光寺参りを終えて
江戸へ戻ったルートから、お礼参りに善光寺という漫遊コースが
生まれたのだと思われます。
江戸時代、日本が安定した時に大移動は無理であっても物見遊山に出かけるゆとりができ始め諸国に写し霊場が盛んになった作られ、巡礼の名目で旅行に出かけることが流行ったのではないかと思われます。
庶民は地元の写し霊場へ、信じ深い家、地域、多少裕福ならば、西国巡礼へ、
裕福な家であれば、伊勢参り、熊野三社から西国へ抜ける巡礼をしたのではないか、旅行会社のプランのように松竹梅のコース分けがあったのではないかと想像されます。
#比較
#札所
#観音霊場
#参考
法見
西国三十三ヶ所を基調にそこから派生した観音霊場を周り願掛けのため千観音を目指してちょこちょこ神社仏閣をお参りしております。朱印集めが面白く無節操に集めてはいましたが思い直して
限定や特別な朱印は減らす方向で考えているので少なめです。
定期的に座禅などして自分を律しながら、日々ほどほどに生活しております。
モノグサ、ナマグサではありますが一応、三帰依、五戒、十善戒を受けて戒名・法名「法見」を賜っていますので、仏教的な活動はこちらを名乗ります。
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