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2002 10TH PMA SAUBER PETRONAS C21 N.HEIDFELD
the story will be at a later date. 2355
241225 N.HEIDFELD 2002 7FW12C
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2001 11TH PMA BENETTON RENAULT SPORT B201 G.FISICHELLA
ベネトン最後の入賞は3位表彰台 ジャンカルロ・フィジケラ BENETTON B201 2001年 フィジケラはベネトン4シーズン目 チームメイトはウイリアムズから レンタル移籍となったジェンソン・バトン 翌2002年からルノーにチームが買収され チームは翌シーズンへのテスト的に戦い 特に前半はベネトン史上最低の成績 後半は新型エンジンの開発も進み成績が向上 フィジケラはR14ベルギーGP 予選8位 決勝は途中赤旗中断でレース打ち切りとなったが 結果的に3位表彰台を獲得 1986年から参戦したチームベネトン最後 102回目の表彰台 212回目の入賞となった フィジケラは入賞3回 8ポイントで シーズンランキングは11位 翌2002年はジョーダンに移籍 佐藤琢磨とのコンビとなる モデルはミニチャンプス GP表記の無いRACE CAR 仕様 タバコ禁止GPでは MILD SEVEN→ドライバー名となり フィジケラは愛称の【FISICO】 #2001年
241123 G.FISICHELLA 2001 7FW12C
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2000 13TH HOT WHEELS JAGUAR R1 E.IRVINE
フェラーリから移籍のアーバイン 期待外れのジャガー JAGUAR R1 2000年4年間過ごしたフェラーリを離れ 新生ジャガーに移籍のE・アーバイン チームメイトはジョニー・ハーバート 全日本F3000出身コンビ 前年度コンストラクター4位の スチュワートグランプリをフォードが買収 同社傘下のジャガーブランドでエントリー 往年のブリティッシュ・グリーンを復活 アーバインは予選で3~5列目を獲得も 決勝は苦戦が続きR7モナコGPで 予選10位→決勝4位 チーム初入賞を果たす R10オーストリアGPは腹痛で欠場 (代役はルチアーノ・ブルティがデビュー) 最終R17マレーシアGPで予選7位から シーズンようやく2度目の入賞6位 前年度最終戦までチャンピオン争いをした アーバインであったが入賞わずか2回 4ポイント 年間ランキング12位 新チーム移籍で不本意なシーズンとなった モデルはHOT WHEELS GP表記の無いRACE CAR仕様 JAGUARのモデルは前年のシチュワート同様 HOT WHEELSのみでの発売 アーバインの代役でGPデビューした ルチアーノ・ブルティのJAGUAR R1の 量産モデルは残念ながら発売されていない (と思う)
240520 E.IRVINE 2000 7FW12C
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1963 4TH IXO FERRARI 156 F1 J.SURTESS〖🏆1〗
ジョン・サーティス 初勝利 マシン開発3年目 FERRARI 156 F1 1960年よりプライベータ中心に参戦した イギリス出身 ジョン・サーティス 1963年はフェラーリのエースに抜擢 チームメイトは①ウィリー・メレス ②ルドビコ・スカルフィオッティ ③ロレンツォ・バンディーニの 3名が数戦ずつエントリー エンジニア能力のあるサーティスは マシン開発面でもチームに貢献 R1モナコGP→4位 R3オランダGP→3位 R5イギリスGP→2位 R6ドイツGPでは予選2位より 終盤はトップを独走し初勝利 サーティスの通算勝利は6勝 フェラーリは約1年半ぶり勝利 ジム・クラーク(ロータス)の連勝を 4で止めた勝利でもあった 1961年導入のFERRARI 156は 初期から形を変えながら3年間使用され 翌1964年よりFERRARI 158が導入された モデルはIXO イタリア語で歴史を意味する La Striaシリーズ ブック型のスチール缶入りで 当時の写真と解説のミニブック付き サーティス初優勝のドイツGP仕様
231124 J.SURTEES La Stria 1963FW12C
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1999 12TH HOT WHEELS JORDAN MUGEN HONDA199 D.HILL
初の親子WC デーモン・ヒル引退 JORDAN MUGEN HONDA199 1999年ジョーダン2年目のデイモン・ヒル チームメイトはH・H・フレンツェン 予選・決勝ともフレンツェンに押されて 前半6戦での入賞はR4サンマリノの4位のみ R7フランスGP早々にシーズン限りの引退発表 その後R8地元イギリスで5位 R11ハンガリー/R12ベルギーの6位 年間では4度の入賞 7ポイント12位 最終R16日本GP鈴鹿でこの年のジョーダンの テストドライバーであった中野信二が 代役での出場も噂されたがヒルは 最終戦まで出場し最後はリタイヤに終わった 1996年に初の親子2代でのチャンピオンと なったデーモン・ヒルであったが その後アロウズ1年・ジョーダン2年の わずか3年で静かにサーキットを去った モデルはHOT WHEELS 1999年・翌2000年のジョーダンは HOT WHEELSでの販売となったが 後のジョーダンSETとして ミニチャンプスからも(画像5) ドライバ―フィギュアレスで発売された #CAREER-ACHIEVEMENTS 🇬🇧デーモン・ヒル (イギリス) 【決勝出走数】114回 (入賞56回-表彰台42回) 【予選最高位】🚩PP(20回) 1993年🟦WILLIAMS ② 1994年🟦WILLIAMS ② 1995年🟦WILLIAMS ⑦ 1996年🟦WILLIAMS ⑨ 【決勝最高位】🏆️優勝(22回) 1993年🟦WILLIAMS ③ 1994年🟦WILLIAMS ⑥ 1995年🟦WILLIAMS ④ 1996年🟦WILLIAMS ⑧ 1998年🟨JORDAN ① 【FastestLap】🏁FL(19回) 1993年🟦WILLIAMS ④ 1994年🟦WILLIAMS ⑥ 1995年🟦WILLIAMS ④ 1996年🟦WILLIAMS ⑤ ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 👑WORLD CHMPION👑 1996年 WILLIAMS (8勝/16戦) ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
230904 D.HILL 1999 7FW12C
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1980 11TH SPARK McLAREN M29 J.WATSON
マクラーレン2年目ジョン・ワトソン チームも不振 McLAREN M29 1980年ワトソンはマクラーレン残留 チームメイトは新人アラン・プロスト 開幕戦・R2とプロストに予選で敗れ 決勝もプロストが連続入賞の中 リタイア・11位と苦戦を強いられる R4アメリカWESTでは決勝4位入賞も R6モナコでは自身初の予選落ち ワトソンの生涯2度の予選落ちは いずれもモナコ(1980年・1983年) しかしながら初入賞もモナコ(1974年) 初のPPもモナコ(1977年)でもある R13カナダでシーズン2度目の4位 プロストに1ポイント差で年間上回り この年6ポイントで並んだ5名の ドライバ―の上から2番目の年間11位 翌1981年プロストがルノーに移籍の中 マクラーレンに残留 チームに久々の勝利をもたらす
230811 J.WATSON 1980 7FW12C
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1959 8TH SPARK BRM P25 J.BONNIER
ヨー・ボニエ F1唯一の勝利 チームBRM初優勝 BRM P25 1959年通算4年本格参戦2年目の ボニエはBRMのレギュラーシート獲得 R3オランダGP予選でPP獲得 決勝はクーパー勢のジャック・ブラバム マステン・グレゴリー スターリング・モス とのトップ争いを制し初優勝 この勝利はボニエ生涯唯一で スウェーデンドライバ―の初勝利 (後にR・ピータソン10勝/G・ニルソン1勝) また1951年と1956年から参戦の BRM(British Racing Motors)の初勝利 BRMの通算勝利数は17回 ボニエはR6ドイツでも5位に入り 年間順位8位・10Pはいずれも生涯ベスト スポット参戦も含め1971年までの 長きにわたりF1に参戦する 翌1960年もBRMに残留 チームメイトとなった グラハム・ヒルに長男が誕生 後にF1親子2世チャンピオンとなる その子の名前をデーモン(ヒル) と名付けたのはボニエであった 1690
230625 J.BONNIER 7 1/43FW12C
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1987 13TH SPARK BRABHAM BT56 R.PATRESE
3年ぶりの表彰台 リカルド・パトレーゼ 最後のBMWターボエンジン BRABHAM BT56 1987年ブラバムは約17年間担当した ゴードン・マレーがマクラーレンに移籍 コンベンショナルなマシンBT56を投入 前年苦戦したものと同じBMWエンジンと ギアボックス使用により 予選では4~5列目をキープするも 決勝の信頼性が不足でリタイア続出 残留したリカルド・パトレーゼも 前半戦はノーポイントに終わる 後半R9ハンガリーでようやく5位 R14メキシコで予選8位から 自身3年ぶり(48戦)の3位表彰台を獲得も 入賞は2レースのみで年間順位は 新人中嶋悟(ロータス)の下の13位 パトレーゼは最終戦オーストラリアGPでは 翌年移籍の決まっていたウイリアムズの N・マンセルが負傷欠場の為 前倒しでウイリアムズに移籍 空いたブラバムのシートで ステファノ・モデナがデビューした https://muuseo.com/FW12C/items/189?theme_id=30175
230622 R.PATRESE 7 1/43FW12C
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1970 【WORLD CHAMPION】PMA LOTUS 72 FORD J.RINDT〖🏆5〗
🔲🔲🔲1970🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 LOTUS 72 FORD 🟥🟥J.RINDT🟥🟥 🔲🔲🔲全13戦🔲🔲🔲 【出走】10回【PP】3回 【優勝】 5回【FL】1回 R10イタリア予選で事故死 唯一の故人のままワールドチャンピオン
230515 J.RINDT 1970 7FW12C
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1964 【WORLD CHAMPION】 RED LINE FERRARI 158 J.SURTEES〖🏆2〗
🔲🔲🔲1970🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 FERRARI 158 🟥🟥J.SURTEES🟥🟥 🔲🔲🔲全10戦🔲🔲🔲 【出走】10回【PP】2回 【優勝】 2回【FL】2回 最終戦残り2周逆転で サーティス ワールドチャンピオン 終盤2戦北米のディーラー系チーム ノースアメリカ・レーシングの チーム名でエントリー 青字に白いストライプのアメリカンカラー 通称 青いフェラーリ https://muuseo.com/FW12C/items/1200?theme_id=34513
230510 J.SURTEES 2回 750FW12C
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2017 4TH BBURAGO FERRARI SF70-H K.RAIKKONEN
ライコネン 129戦ぶり0.04秒差で ポール・ポジション獲得 FERRARI SF70-H 2017年キミ・ライコネンは 第2期フェラーリ4年目 トータルではフェラーリ10シーズン目 チームメイトはセバスチャン・ベッテル R6モナコGPの予選 3位V・ボッタス(メルセデス)+0.045秒差 2位S・ベッテル(フェラーリ)+0.043秒差で ポール ポジションを獲得 2008年R8フランスGP以来の129戦ぶり レースではベッテルに逆転され2位も フェラーリとしては2010年R11ドイツGP F・アロンソーF・マッサ以来 7年ぶりの1・2フィニッシュ 優勝はなかったものの表彰台は20戦中7回で 最終戦でダニエル・リカルド(レッドブル)を 逆転して年間順位は4位 翌2018年もフェラーリ残留となり 2期5年目トータル11年目の 最後のフェラーリを迎える
230501 K.RAIKKONEN 2回 7FW12C
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1998 3RD PMA McLAREN MERCEDES MP4-13 D.COULTHARD〖🏆1〗
1991年以来のコンストラクターチャンピオン マクラーレンMP4-13 デビッド・クルザード 1998年クルザードはマクラーレン3年目 開幕戦オーストラリアGPで マクラーレンの2台は3位以下を 全て周回遅れにする圧倒的勝利 この時クルーザードはチームとの〖約束〗で トップをTMのミカ・ハッキネンに譲って2位 後半戦でM・シューマッハ(フェラーリ)に 追い上げられたハッキネンにとっては この勝利によるプラス4P(10-6)が ワールドチャンピオン争いに手助けとなった マクラーレンのあまりの速さにフェラーリより ブレーキ・ステアリング・システムに対する 抗議が入り 事前に確認をとっていた にもかかわらずレギュレーション違反と判定 R2戦目以降は使用中止となった クルザードの勝利はR4サンマリノのみ それでも2位6回 3位2回の安定した走りで マクラーレンの1991年以来の コンストラクターチャンピオン獲得に 大きく貢献し翌1999年もチーム残留 このモデルは台紙に不備があったようで 車名の所に上張りでシールが貼られている 本来は 誤 MP4/13→ 正 4-13であるが こちらは雑誌等でも統一されていない #F1-1998年
230322 D.COULTHARD 3回 7FW12C
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1982 3RD SPARK McLaren MP4/1B J.WATSON〖🏆2〗
1982年11人WINNERSの4人目 キャリアベストシーズン J・ワトソン ジョン・ワトソン マクラーレン4年目 チームメイトはこの年復帰のニキ・ラウダ マシンは前年の改良型MP4/1B (台座のMP4‐1Bの表記は間違い) MP4/1Bはレギュレーションで認められた サイドウイング部分で発生する ダウンフォース量が多いため 高速コースではフロントウイングが省かれた R5ベルギーGP 予選10位→優勝 1982年11人の優勝者の4人目 R7USA EAST GP 予選17位→優勝(モデル仕様) 予選中段~下位ながら2勝をあげて この時点でランキングトップに立った しかしこの後4戦連続リタイア含む 6戦連続ノーポイントが響き脱落 ランキング2位 D・ピロー二(フェラーリ)と 同ポイント39Pながら上位順位差で3位 ワトソンの生涯ベストシーズンとなった 1981年~2016年まで続く マクラーレンMP4シリーズの中で MINICHAMPSが唯一リリースしていないのが 1982年のMP4/1Bであったが 近年ようやくSPARKから発売された #F1-1982年
230210 J.WATSON 1回 7FW12C
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1978 13TH PMA McLAREN FORD M26 J.HUNT
ハント最後のマクラーレン 北米シリーズ限定カラー McLAREN M26 1978年J・ハントはマクラーレン3年目 前年度後半3勝をあげたMcLAREN M26で シーズンを戦うもグランドエフェクトカーの ライバル車に遅れをとり一転不振に 開幕戦アルゼンチンGPでは4位入賞も その後は5戦連続のリタイア R9フランスGPの3位がこの年唯一の表彰台 結果これがハント生涯最後の 23回目の表彰台 35回目の入賞となった モデルは終盤2戦のアメリカ・カナダGP フィリップモリス傘下のミラー社が 販売するビールブランド レーベンブロイがスポットスポンサー マシンカラーがライトブルーとなりそれに合わせ ハントのレーシングスーツも水色になっている ハントはこの年でマクラーレンを離脱 翌1979年はウルフに移籍 最後のシーズンを迎える #F1-1978年
230126 J.HUNT 1978 2.448FW12C
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1969 【WORLD CHAMPION】 QUARTZO MATRA MS80 J.STEWART〖🏆6〗
1969 WORLD CHAMPION MATRA MS80 J.STEWART 全11戦 6勝 PP2回 FL5回 #F1-1969年 #WORLDCAMPION
221130 J.STEWART 5回 7FW12C