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1968 4TH IXO FERRARI 312 F1 J.ICKX〖🏆1〗
F1で初のウイング装着マシン ジャッキー・イクス FERRARI 312 F1 前年度クーパーにてF1初戦に6位入賞をした ジャッキー・イクス(ベルギー)は 1968年フェラーリに抜擢 チーム・メイトはクリス・エイモン フェラーリが欠場したR3モナコGPで ロータス 49Bがリアスポイラーを装着 R4ベルギーGP フェラーリは エンジン上部にセンターウィングを装着 これがF1では初めてウィングを 装着し決勝進出したマシンのひとつとなった (同GPでブラバムも装着している) イクスはこのGPで予選3位→決勝3位 地元ベルギーで自身初入賞&初表彰台 イクスのキャリア入賞40回 表彰台25回 のちにウィングは油圧可変式へと改良 ドライバーがコクピットから調節可能となり R6フランスGPで初優勝 R8ドイツGPで初PPを飾っている イクスはキャリア8勝 PP13回 チャンピオン争いに加わったものの R10カナダGPでマシントラブルにより コース外に飛び出し左脚を骨折 ドライバータイトル争いからは脱落 翌1969年はブラバムに移籍 マシンはIXO (hachette) 公式フェラーリ F1コレクション GP表記は無いがCarNo.28より R4ベルギーGPの初めてウィングを 装着ししたマシンモデルと推測されます
240312 J.ICKX フェラーリF1コレクション 28FW12C
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1965 14TH IXO (NORTH AMERICAN RACING TEAM) FERRARI 512 P.RODRIGUEZ
メキシコ兄弟ドライバ― ロドリゲス 兄 ペドロ FERRARI 512 ペドロ・ロドリゲス メキシコ出身 弟のリカルド・ロドリゲスもF1ドライバ― 当時史上最年少で1961年にデビューも 1962年の非選手権で残念ながら事故死 1963年ペドロはロータスでデビュー 北米 アメリカ・メキシコにスポット参戦 1965年はNORTH AMERICAN RACING TEAM 通称チームNART フェラーリ512のマシン R9アメリカ予選15位→決勝5位入賞 R10メキシコ予選14位→決勝7位 この後1967年にクーパーで本格参戦 クーパー初戦の開幕戦の南アフリカで優勝 メキシコ人ドライバ―初優勝であり 現在でもメキシコ人のウィナーは セルジオ・ペレス(レッドブル)と2人のみ 1968年ル・マン24時間の覇者でもある #F1-1965年
230403 P.RODRIGUEZ フェラーリF1コレクション 14FW12C
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1964 【WORLD CHAMPION】 IXO FERRARI 158 J.SURTEES〖🏆2〗
🔲🔲🔲1970🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 FERRARI 158 🟥🟥J.SURTEES🟥🟥 🔲🔲🔲全10戦🔲🔲🔲 【出走】10回【PP】2回 【優勝】 2回【FL】2回 追悼 マウロ・フォルギエリ フェラーリF1の黄金期を築いた名デザイナー マウロ・フォルギエリ氏が2022年11月2日 お亡くなりになりました 享年87歳 ご冥福をお祈り申し上げます フォルギエリの最初のデザインしたマシン 1964年 FERRARI 158 ジョン・サーティス R8イタリアGP モンツァ フェラーリの地元でPP→FL→優勝 D・ガーニー(ブラバム)と周回ごとに ラップリーダーが変わる白熱バトル制す G・ヒル(BRM)と2勝づつで並んだ最終戦 R10メキシコGPで予選4位→決勝2位 逆転 1ポイント差でワールドチャンピオン フェラーリはコンストラクターとWタイトル この時フォルギエリは29歳 この後フェラーリは低迷するも 1975年~1979年に4度の コンストラクターチャンピオン フォルギエリと共に黄金期を迎えます #F1-1964年 #F1
221105 J.SURTEES フェラーリF1コレクション 2回FW12C
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1977 (36TH) IXO FERRARI 312 T2 G.VILLENEUVE
ジル・ビルヌーブ フェラーリでの デビューマシン FERRARI 312 T2 1977年マクラーレンでデビュー後 エンツォ・フェラーリの目に留まり 1978年のフェラーリでの契約を結ぶ ニキ・ラウダのフェラーリ離脱に伴い 1977年終盤急遽 カーナンバー21で R16カナダGPに出場 予選17位→決勝12位 最終戦R17日本GP 富士SWにも出場 予選20位スタートから5周目に R・ピータソン(ティレル)に追突 ビルヌーブのマシンは宙高く舞い上がり 観客を巻き込む事故を起こしてしまう 痛ましい事故でマシンは大破したが 奇跡的にビルヌーブは無傷であった #F1-1977年 #1977年 #F1 #FERRARI
220926 G.VILLENEUVE フェラーリF1コレクション 21FW12C
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1973 12TH IXO FERRARI 312B3-73 A.MERZARIO
フェラーリ6年ぶりのイタリア人ドライバ― アルトゥーロ・メルヅァリオ 312B3-73 A・メルヅァリオはMarlboroの支援を受けて 1972年にフェラーリからスポット参戦 1973年はレギュラードライバ―に昇格 フェラーリのイタリア人ドライバ―は 1967年途中で事故死したL・バンディーニ以来 フェラーリ初のイギリス製 フルモノコックシャーシである312B3-73は TMのJ・イクス共々苦戦して R11・R12を開発の為に欠場という事態に陥った メルヅァリオは前年度モデルの 312B2でのR2ブラジル・R3南アフリカで 4位を2回入賞したのみ 6Pで 年間12位 イクスのフェラーリ離脱後は一人で出走するも 僅か1年でフェラーリを解雇された しかしその後もフェラーリとの関係は続き メルヅァリオのヘルメットには フェラーリの跳馬が貼られていた #F1-1973年 #F1 https://muuseo.com/FW12C/items/910
A.MERZARIO フェラーリF1コレクション 1973 4FW12C
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1983 4TH IXO FERRARI 126C2B P.TAMBAY 〖🏆1〗
パトリック・タンベイ ベストシーズン 1983年 フェラーリ 126C2B 前年度よりフェラーリに残留 TMはR・アルヌーのフランス人コンビ 前半は昨年の改良型126C2Bで参戦 ポスルズウェイト設計のアルミハニカムを 使用したモノコックシャーシ 120度のV6ターボエンジン R4サンマリノGP トップのR・パトレーゼ(ブラバム)が ファイナルラップのクラッシュで タンベイが通算最後の2勝目を上げ 前年に他界し友人でもあった G・ビルヌーブに再び勝利を捧げた 126C2Bの最後のR8カナダGPでは 自身初のファステスト・ラップを記録 PP4回 優勝1回含む表彰台4回 年間順位4位はタンベイのベストシーズン フェラーリの2年連続のコンストラクター チャンピオンに貢献した TMのアルヌーは3勝ランキング3位 翌年はフェラーリ待望のイタリア人 M・アルボレートの加入が決まり タンベイはフランスチーム ルノーに移籍 #F1-1983年
P.TAMBAY フェラーリF1コレクション 1回 27FW12C
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1991 5TH IXO FERRARI 642 A.PROST
今のフェラーリは赤いカミオン 発言 プロストフェラーリ解雇 FERRARI 642 1991年プロストはフェラーリ2年目 チームメイトにジャン・アレジを迎える 前年度好調だった641/2の改良版642を投入 シーズン前のテストでは好タイムを連発し プロストがチャンピオン最有力と見られていた 開幕戦アメリカGPは予選2位→決勝2位 その後は優勝争いにさえ加われない状況が続き チェザーレ・フィオリオ監督が解雇 R7フランスGPからはニューマシン643が投入 フランスでは予選2位→決勝2位と健闘するも 結局プロストはデビューイヤーの 1980年以来の未勝利に終わった R15日本GP鈴鹿で4位入賞後にプロストは 『今のフェラーリは赤いカミオン(大型トラック)だ』 との発言がフェラーリ幹部の逆鱗に触れチームを解雇 翌1992年はリジェでのテスト参加したものの 将来的な契約で合意に至らず1年休養となった モデルはIXO(hachette) 公式フェラーリF1コレクション 表記的にはF1-91 GP表記はないものの サイドポッドの流れるような円形の曲線の為 開幕戦アメリカ R2ブラジル仕様と思われる 画像8枚目はONYX R7フランスGP以降仕様された FERRARI 643 #1991
A.PROST フェラーリF1コレクション 27 31FW12C