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1975 10TH SPARK SHADOW DN5 T.PRYCE
トム・プライス 初の表彰台3位 自身唯一のPP獲得 SHADOW DN5 1975年トム・プライスは前年後半に トークンから移籍したシャドウで レギュラーシートを獲得 チームメイトはジャン・ピエール・ジャリエ R3南アフリカより新車DN5が プライスにも与えられて R5モナコGP予選でフロントロー獲得 2度の6位入賞の後 R10イギリスGP予選 自身キャリア唯一となる ポール・ポジション獲得→決勝はリタイア R12オールトリアGPでは 予選15位から初の3位表彰台獲得 年間では5度の入賞 ランキングは10位 翌1976年はロータス移籍の噂もあったなか エースとしてシャドウに残留 モデルはスパーク オランダGP仕様 3位と表記されているが 当該GPは予選12→決勝は6位 ●GPの表記ミス オランダ➡オーストリア ●順位の表記ミス 3位➡6位 のどちらかと思われます
231226 T.PRYCE 15 1/43FW12C
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1976 12TH SPARK SHADOW DN8 T.PRYCE
イギリス出身 トム・プライス 最後の入賞 SHADOW DN8 1974年にトーケン(マイナーチーム)で デビュー後シャドウに移籍 J・P・ジャリエと共にチームを支え キャリアのほぼすべてをシャドウで過ごした 1976年は前年度の好調を維持して 旧マシンのDN5で開幕戦を予選12位→決勝3位 自身生涯2度目の表彰台を獲得 その後は完走率は高かったものの 入賞はR9イギリスの予選20位→決勝4位 シャドウはメインスポンサーの アメリカ石油会社UOPを失い資金に苦しみ ニューマシンDN8の投入はR12オランダ DN8初戦のオランダでプライスは いきなりの予選3位→決勝4位を獲得 これが自身最後の通算9回目の入賞となる ◆R16日本(富士SW)予選14位→決勝リタイア◆ 翌1977年プライズは同じDN8のマシンで 時速300km近いスピードで走行中に 事故車の消化に向かうマーシャルが コースを横切った際に持っていた消火器が 頭部に当たり衝撃的な事故死を遂げる ロータスに加入の噂もあった イギリス期待の若手の早すぎる死であった トム・プライス (イギリス) 決勝出走回数 42回 予選最高位 PP 1975年 シャドウ R2イギリス 決勝最高位 3位(2回) 1975年 シャドウ R12オーストリア 1976年 シャドウ R1ブラジル リーダーラップ2周 #F1-1976年 #1976 #シャドウ
T.PRYCE 1976 16 1/43FW12C