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1991 (37TH) SPARK AGS JH25B S.JOHANSSON
開幕直前シート獲得 S・ヨハンソン 連続予選落ち AGS JH25B 前年の1990年オニクスを解雇されて F1のシートを失ったS・ヨハンソンは 1991年開幕直前 フランスのAGSのシート獲得 これはA・チェザリスがAGSから急遽 新規チームのジョーダンに移籍 チームは2台エントリーの罰金を逃れる為 ヨハンソンにオファーしたと言われている チームメイトはガブリエル・タルキーニ 開幕戦のアメリカGP・R2ブラジルGPとも 予選28位で決勝進出はならなかった R3サンマリノ前にAGSは新規オーナーに売却 それと同時にヨハンソンも解雇 資金持ち込みのF・バルバッツァがシートを獲得 ヨハンソンは前年も同時期に 同じような形でオニクスのシートを失っている 1991年シーズン途中ヨハンソンはケガの A・カフィの代役としてフットワークで参戦 ヨハンソン個人としてはMarlboro契約の ドライバ―でヘルメットにはロゴが貼られ 自身も愛煙家 マールボロを吸っていた #F1-1991年 #F1
230128 S.JOHANSSON 18 1/43FW12C
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1984 17TH SPARK TOLEMAN TG184 S.JOHANSSON
ステファン・ヨハンソン F1初ポイント TOLEMAN TG184 1984年ティレルより途中参戦した S・ヨハンソンであったが 所謂 水タンク事件でティレルが活動休止 R14イタリアGPからはトールマンから出場 このGPは移籍問題に絡みチームがA・セナを 出走させなかった為にヨハンソンは カーナンバー19 急遽参戦のP・マルティニが20 予選17位→決勝4位入賞 F1初ポイント獲得 ヨハンソンの通算入賞回数は26回 終盤2戦はセナが復帰したため カーナンバー20で出場も予選ではセナに 大差で敗れ入賞はならなかった 翌1985年は再びティレルに1戦のみ戻り R2~はフェラーリで参戦する
221118 S.JOHANSSON 19 1/43FW12C
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1983 (25TH) IXO SPIRIT HONDA 201 S.JOHANSSON
1983年スピリットホンダは6戦のみの出走 ドライバーはステファン・ヨハンソン 6戦中の前半3戦は白ベース 後半の3戦は R12のオランダGPより2輪のHRCのマシンを 彷彿させるトリコロールカラーに変更 そのR12オランダGPは予選17位 決勝はこの年のベルトリザルトの7位 スピリットホンダのほとんどのミニカー モデルはSPRIT HONDA 201Cとなっているが こちらのIXOのモデルは車体が SPRIT HONDA 201との表記があり リアに大型の補助ウイングがあるので R14ヨーロッパGP仕様と思われます トリコロールカラーでの 決勝出走の車体はR12オランダは201C R13イタリアとR14ヨーロッパは201 前半の白ベースも良いですが 後半のトリコロールカラーの方が より印象に残ります #F1-1983年 #HONDA #2021ありがとうHONDA 映像 1983年ヨーロッパGPフリー走行&予選 13分48秒 24分18秒頃に一瞬だけ映ります↓↓ https://youtu.be/f6zEnZuNO5Q https://muuseo.com/FW12C/items/107
S.JOHANSSON F1マシンコレクション 40 115FW12C
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1991 (37TH) SPARK FOOTWORK FA12 S.JOHANSSON
ステファン・ヨハンソン F1最後のマシン FOOTWORK FA12 1991年AGSを解雇されたヨハンソンは R5カナダGPを負傷のA.カフィの代役で フットワークより出場 TMは1986年フェラーリ以来のM・アルボレート エンジンは期待されたポルシェV12 ヨハンソン25位で通過も決勝はリタイア モデル仕様はそのカナダGP仕様 次戦ポルシェエンジン最後のR6メキシコGPと フォードにエンジンが変更された R7フランス・R8イギリスと3戦連続予選ち カフィの復帰と共にチームを離れた F1から離れた後はアメリカCARTに参戦 こちらも優勝は無く最高は3位(4回) 1997年 ル・マン24時間では ドイツのヨースト ポルシェ・WSC95 ミケーレ・アルボレート トム・クリステンセン とともに優勝を飾っている 🏁ステファン・ヨハンソン(スウェーデン) 【決勝出走回数】79回 入賞26回-表彰台12回 【予選最高位】 2位 1985年 フェラーリ R9ドイツ 【決勝最高位】 2位(4回) 1985年 フェラーリ R5カナダ 1985年 フェラーリ R6アメリカ 1987年 マクラーレンR3ベルギー 1987年 マクラーレンR8イギリス #F1-1991年
S.JOHANSSON 10 1/43 FOOTWORKFW12C
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1989 12TH TAMEO ONYX ORE-1 FORD S.JOHANSSON
ヨハンソンは新規チームのオニクスよりの参戦。 チームメイトはB.ガショーと後半4戦はJJ.レート。 予備予選の壁が高く 本戦出走はR4メキシコGP予選21位が最初 その後順調に予備予選と予選を突破 R7フランスGPで予選 ガショー11位 ヨハンソン13位 決勝ガショー13位 ヨハンソンは5位入賞 2P獲得 次戦R8イギリスで予備予選入替 (上位13チームまでが免除) R7終了時で 9位ブラバム 5P 10位(レイトンハウス)マーチ 4P 11位リアル 3P 12位リジェ 3P 13位オニクス 2P 14位AGS 1P 15位ミナルディ 0P AGSはここまで好調(6位1回 7位1回 8位1回)も R8イギリスは頼みのG.タルキーニがDNPQ。 ミナルディはここまで完走すら1度もない状態で オニクスの予備予選免除は確実と思われましたが・・・ ヨハンソンはR13ポルトガルGPで予備予選から 予選シーズンベスト12位 決勝3位表彰台を獲得。 フロントウイングがヨハンソン車はピンク ガショー・レート車は黄緑に塗り分けられているのが特徴。 オニクスは資金難で翌年買収されましたがそれでも途中撤退。 短命チームですが記憶に残るカラーリング SPARKで量産化してほしい1台です #F1-1989年
S.JOHANSSON 36 1/43 MarlboroFW12C
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1988 (25TH) CP LIGIER JS31 S.JOHANSSON
S.ヨハンソンはマクラーレンより移籍 チームメイトはフェラーリ時に入れ替わった R.アルヌー。エンジンはJUDD V8 試行錯誤するも浮上のきっかけつかめず まさかの6度の予選落ち。 リジェの地元のR7フランスGPで2台ともDNQ チームは年間ノーポイント。 ヨハンソンは9位が最高位(アルヌーは10位) CP MODELの出来はあまり良いとは言えないのですが スキマモデルを埋めるために購入 しかしながら現在はSPARKで LIGIER JS31が発売されています ヨハンソンは失意の1年 #F1-1988年
S.JOHANSSON 26 1/43 LIGIERFW12C
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1987 6TH PMA McLAREN TAG MP4-3 S.JOHANSSON
フェラーリより移籍。チームメイトは2年連続WCのA・プロスト。 序盤3戦は3→4→2と順調であったが 課題の予選はプロストに16戦全敗。 R8ドイツGPで今年度2回目2位(通算4回目の2位) 表彰台は5回上がり30Pは生涯最多ポイント 年間順位は6位。 このモデルを手にした時に何か違和感?があり 80年代のモデルですが台紙がMcLarenのオリジナルから ロゴ入りのチェッカーに変わっていてスッキリしました。 2008年の4月に購入したのですが 当時は大阪に住んでいて 確か堺市にあったHONDA直営のLANDMARK というショップの閉店セールで購入。 発売されたばかりの商品も半額で売っていて 一気にコレクションが増えた記憶があります。 最後に店で日焼けしてしまったとのことで TOYOTAのポロシャツとスーパーアグリのTシャツをもらいました♪。 80年~90年のF1ブームの時は相当売れたんだろうなー。 2枚目・3枚目は1994年に発売されたFutera Sports Card です #F1-1987年
S.JOHANSSON 2 1/43 30PFW12C
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1986 5TH IXO FERRARI F186 S.JOHANSSON
フェラーリ2年目ステファン・ヨハンソン キャリアベストの年間順位5位 1986年 ヨハンソンのフェラーリ2年目 予選では相変わらずM.アルボレートに苦戦 R7アメリカWESTの5位が最高 決勝では後半戦はコンスタントに入賞 年間で3位表彰台を4回獲得 ポイント23P 年間順位5位はヨハンソンのベストリザルト TMのアルボレート(14P 年間9位)にも勝った フェラーリとしては1980年以来の年間無勝利 エンツォ.フェラーリとの確執もあり ヨハンソンはありこの年でフェラーリを離脱 モデルはHACHETTE(IXO)を改造して ドライバ―フィギアとMarlboroデカール MINICHAMPSの台紙にのせかえ オーストリアGP仕様(予選14位→決勝3位) #F1-1986年
S.JOHANSSON 28 1/43 MarlboroFW12C
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1984 17TH PMA TYRRELL FORD 012 S.JOHANSSON
#F1-1984年
S.JOHANSSON 1.008 3 1/43FW12C
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1983 (25TH) REVE COLLECTION SPIRIT HONDA 201C S.JOHANSSON
スピリット201はホンダの資金を得て マクラーレンM23の生みの親 ゴードン・コパックが監修 前年度のF2参戦時の車体に ホンダ製の1.5リッターターボエンジン RA163Eを登載させてR9イギリスより出走 ドライバーは前年度F2に所属の2人の内 ステファン・ヨハンソンが選ばれた (もう一人はティエリー・ブーツェン) R9イギリスGPは予選14位と健闘 決勝はエンジンに問題が起きて 旧型の201で出走もトラブルでリタイヤ 1960年代のホンダ参戦時を彷彿とする 白ベースのカラーリングは3戦のみ 後半はトリコロールカラーに変更 ホンダとスピリットの関係はこの年のみで 翌年1984年はウイリアムズにエンジン供給 ヨハンソンはシートを失うも 1984年はティレルとトールマンで参戦します #F1-1983年 #HONDA #2021ありがとうHONDA
S.JOHANSSON 40 1/43 SPIRITFW12C
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1985 7TH HOT WHEELS FERRARI 156-85 S.JOHANSSON
ステファン・ヨハンソン ティレルより フェラーリに移籍 FERRARI 156-85 1985年ティレルで開幕戦で7位の ヨハンソンであったが R・アルヌーの解雇により空いた フェラーリのシートを獲得 フェラーリ2戦目のR3イモラGPでは 終盤リードラップを記録したが 燃料切れで惜しくも勝利を逃した 結果は2周遅れの6位入賞 フェラーリでの初入賞 R5カナダGPで自身初の2位表彰台を チームメイトのM・アルボレートと 1・2フィニッシュで飾る 続くR6デトロイトでも連続2位 年間で8度の入賞 26ポイントで7位 アルボレートとは倍以上(53P)の ポイント差がついいたが翌1986年も残留 モデルはMATELのELITEシリーズ 元々はアルボレート車をデカール張替えで ヨハンソン車にMarlboro仕様に変更 #F1-1985年
S.JOHANSSON 28 1/43 MarlboroFW12C