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1972 (30TH) CP MODEL EIFFELAND 21 R.STOMMELEN
流体力学的独創デザインマシン アイフェラント21 R・シュトルメン アイフェラント・ボーゲンバウは ドイツのキャンピングメーカー F2時代にロルフ・シュトルメをサポート 1972年にはF1にプライベートチームを設立 マーチ721の4号車を買取独自の施しを実施 スイス人デザイナーのルイジ・コラ―ニの 流体力学を重視した独走デザイン コクピット前方にエアインテークを設置 ドライバ―の目の前にバックミラーがあり 支柱も空気抵抗を配慮した断面形状 ドライバ―頭部の後方も流線形のような 気流を乱さぬようなデザインであった シュトルメンの予選最高は14位 決勝最高は10位が2回とポイント獲得は 無かったものの完走は8戦中6回 R4モナコGPでは元々の車体のマーチ721で 出場した他の5台よりも先着の決勝10位 モデルのCar No6はR5ベルギーGP仕様 予選20位→決勝11位完走 しかし資金が底をつきR9オーストリアで アイフェラントはF1から撤退した F1デザインの独創的な名車(迷車)特集では よく登場する唯一無二のアイフェラント21 CP MODEL (国際貿易)が量販モデル化
230503 R.STOMMELEN 6 1/43FW12C
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1975 (22ND) SPARK HILL GH1 R.STOMMELEN
チーム ヒル 念願の自製シャーシ導入 初戦R・シュトルメン 観客巻き込む事故 ワールドチャンピオン G・ヒルが立ち上げた チーム ヒルは1975年ローラ製のシャーシから 念願の自製シャーシをR4スペインGPより導入 ロルフ・シュトルメンは予選9位と奮闘 しかし決勝は走行中にリアウイングが ウイングステーの破損により突如脱落 コントロールを失い観客席に飛び込み 観客を巻き込む死亡事故が発生 シュトルメンも重傷で戦線離脱した エマーソン・フィッテパルディ(マクラーレン) このスペインGP コースの安全不備を理由に ドライバ―の中で唯一レースを ボイコットしておりそんな中での事故であった シュトルメンは終盤2戦に復帰も成績は低迷 モデルはR13イタリア予選23位→決勝リタイア シーズン終了後 G・ヒルの事故死により チーム ヒルは残念ながら消滅した #F1-1975年
220927 R.STOMMELEN 1975 22FW12C
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1976 20TH SPARK HESKETH 308D R.STOMMELEN
ロルフ・シュトルメン ドイツ出身 オランダGP ヘスケスより参戦 1976年チームヘスケスは オーナーのヘスケス卿の資金が尽き ドライバ―のJ・ハントとデザイナーの ポスルスウェイトが移籍 マシンは前年度後半戦の308Cから 308Dとマイナーチェンジしたのみ スポンサー無しのマシンが一転して 男性向けの月刊誌ペントハウスと フランスのタバコ巻紙のリズラが付き マシンにアダルトモデルが大きく描かれた シュトルメンはヘスケスのマシンで R12オランダGPのみスポット参戦 予選25位→決勝12位完走 ブラバムでも2戦のみ参戦 R10ドイツGPでは決勝6位入賞 1ポイント獲得して年間順位20位 ◆R16日本(富士SW)は未出走◆ マイナーマシン得意のRACELAND GOLD EDITION別注シリーズの1台 #1976 #F1-1976年
R.STOMMELEN 1976 300 25FW12C