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1999 【WORLD CHAMPION】 PMA McLAREN MERCEDES MP4-13 M.HAKKINEN〖🏆8〗
🔲🔲🔲1999🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 McLAREN MERCEDES MP4-13 ⬛⬛M.HAKKINEN⬛⬛ 🔲🔲🔲全16戦🔲🔲🔲 【出走】16回【PP】9回 【優勝】 8回【FL】6回 画像1-5 WORLD CHAMPION BOX WEST仕様 画像6-8 PMA通常版
230531 M.HAKKINEN 6回 8FW12C
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1997 6TH PMA McLAREN MERCEDES MP4-12 M.HAKKINEN〖🏆1〗
マクラーレン5年目 ミカ・ハッキネン 99戦目の初優勝McLAREN MERCEDES MP4-12 1997年マクラーレンは 永年続いたマールボロからWESTへスポンサーが 変更 シルバーアロー メルセデスをイメージ させるシルバーを基調とするカラーに変更 ハッキネンは開幕から4戦連続の入賞 中盤戦は苦戦したが後半いよいよ能力が開花 R13イタリアGP 初のファステストラップ R15ルクセンブルクGP 初のポール・ポジション そして最終戦R17ヨーロッパGP 最終ラップでJ・ビルヌーブ(ウイリアムズ)を 抜き去り悲願の初優勝 これは参戦99戦目(出走95戦目)で T・ブーツェンの参戦96戦目を上回る 当時としては最遅の初優勝記録であった この勝利をきっかけにハッキネンは 翌1998・1999年の自身の黄金期を迎える #F1-1997年
M.HAKKINEN 9 1/43 McLARENFW12C
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1999 WORLD CHAMPION PMA McLAREN MERCEDES MP4-14 M.HAKKINEN〖🏆5〗
1999年 👑WORLD CHAMPION👑 16戦 WIN 5回 PP 11回 FL 6回 PIT STOP DIORAMA
221006 M.HAKKINEN 6回 1FW12C
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1996 5TH PMA McLAREN MERCEDES MP4/11 M.HAKKINEN
アクシデントからの復活 M・ハッキネン 最後のMarlboro McLAREN MP4/11 1995年最終戦で1か月半におよぶ入院の アクシデントを起こしたミカ・ハッキネン 1996年シーズンは出場さえ危ぶまれ チームは4度のワールドチャンピオン A・プロストをテストドライバーで起用 ハッキネンは2月テストで復帰して M・シューマッハを凌ぐタイム出し 開幕戦も予選5位→決勝5位入賞 その後TMのD・クルーザードにポイントで 先行をゆるすも後半4戦で 3度の3位獲得で最終は年間5位 クルザード(年間7位)を逆転 完走13回はこの年のトップタイ しかしマクラーレンチームは 1996年末で49戦未勝利のワースト更新 23年間に渡ってパートナーシップを 結んできたマールボロとの関係を終了 翌1997年からはドイツのWESTタバコが 新たなスポンサーとなった マクラーレン最後のMarlboro モデルはタバコデカール加工 1970年~1990年のF1の象徴でもあった カラーリングはこの年で終焉を迎えた #F1-1996年 #最後のMarlboro
M.HAKKINEN 7 1/43 MarlboroFW12C
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1995 7TH PMA McLAREN MP4/10 MERCEDES M.HAKKINEN
マクラーレン フル参戦2年目M・ハッキネン メルセデスエンジン 選手生命危機の事故 1992年HONDA撤退後 マクラーレンは FORD→プジョー→メルセデスと 4年で4種のエンジンメーカー 1995年に導入されたマシンMP4/10は エンジンカウルを水平方向に延長して その上の小型のセンターウィングが特徴 しかしながら他チームの追随も無く センターウイングの効果は懐疑的 不格好なハイノーズと共に空力面で 遅れを取り 結果2年連続 計33戦未勝利 ハッキネンはR12イタリアで2位 R15パシフィックは虫垂炎で欠場 (代役はJ・マグネッセン(デンマーク) 復帰のR16鈴鹿では再び2位も 年間の入賞は4回で順位は7位 最終戦のオーストラリア 予選 タイヤのパンク起因でウォールに激突 衝撃で舌を噛み切ってしまう等 選手生命の危機ともなる事故を起こす モデルの台紙はMERCEDES別注の初期 グレーのカラーをベースに スリーポインテッドスターが印刷されている #1995 #F1 #MERCEDES別注 #McLAREN #ハッキネン
M.HAKKINEN MERCEDES 7 1/43FW12C
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1994 4TH PMA McLAREN MP4/9 PEUGEOT M.HAKKINEN
マクラーレンのエースとして フルシーズンのシートを確保した 1994年のミカ・ハッキネン 初参戦のプジョーエンジンを獲得も トラブルが多発して完走もままならぬ状況 TMのM・ブランドルと合わせて10回もの オーバーヒート起因によるリタイヤが発生 ハッキネンもR9ドイツGPでは多重クラッシュの 原因とされ次戦のハンガリーは出場停止 (代役はフィリップ・アリオー) それでもR11ベルギーGPで自己最高の2位から 4戦連続表彰台で後半持ち直し 年間では2位1回 3位5回の総合4位 マクラーレンは1980年以来の年間未勝利 これはMP4シリーズが始まって以来の屈辱 モデルは元々ドイツGP仕様のものを Marlboroデカールで自己最高の2位獲得の R11ベルギーGP仕様に変更しています #F1-1994年
M.HAKKINEN 1.000 7 1/43FW12C
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1993 15TH PMA McLAREN MP4/8 FORD M.HAKKINEN
1993年 M.ハッキネンはロータス残留発表後 ウィリアムズの移籍がまとまっていたが ウィリアムズのエントリー承認問題が絡み 移籍をピーター・コリンズによって阻止されるも 今度はマクラーレンへの移籍が決まる複雑な経緯 マクラーレンではセナの契約問題で 大半をテストドライバーで過ごすが マイケル・アンドレッティの成績不振もあり離脱 R14ポルトガルGPで初出走 セナを上回る予選3位で周囲を驚かせた R15日本GPでは自身初の3位表彰台を獲得 これ以後2001年まで8年間マクラーレンの エースドライバ―としてキャリアが進む 台紙はMcLaren COLLECTIONの初期仕様で この年のみの3台に採用されたデザイン こちらのモデルはMuuseoではおなじみの 【アダムスキー(当時はサイケデリア)】で購入 2010年1月27日 4800円 #F1-1993年 #アダムスキー(サイケデリア)
M.HAKKINEN 8 1/43 McLARENFW12C
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1992 8TH SPARK LOTUS 102D M.HAKKINEN
ONYXモデルはMuuseoではおなじみの 【アダムスキー(当時はサイケデリア)】で購入 2010年1月27日 1980円 なかなか手に入らなかった記憶があります #アダムスキー(サイケデリア) #F1-1992年 #F1
M.HAKKINEN 11 1/43 LOTUSFW12C
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1991 16TH SPARK LOTUS 102B M.HAKKINEN
M・ハッキネンのデビューマシン TMはJ・ベイリー J・ハーバート キャメルのスポンサーが離れ マシンも昨年の改良型102B 開幕戦のアメリカGP予選13位以外は 20位以下の苦しい戦いも R3サンマリノGPで予選25位 決勝5位の初入賞(モデル仕様) TAMIYA KOMATSUなど 日本企業のスポンサーも多くサポート 当時私が気になったスポンサーは コックピット横のTOMMY HILFIGER (アメリカのファッションブランド) 今でこそ至る所にお店がありますが 当時はあまり日本には入っておらず 情報も少ない中 どうしてもバックが欲しくて 色々なデパートを巡った記憶があります やっと買えたショルダーバッグは まだ実家に残ってるはずです #F1-1991年
M.HAKKINEN 11 1/43 LOTUSFW12C