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1980 4TH SPARK LIGIER JS11-15 J.LAFFITE〖🏆1〗
ジャック・ラフィー通算4勝目 リジェ最高成績コンストラクター2位 1980年リジェは前年度3勝 リジェ史上最高マシンとも呼ばれるJS11の 改良版JS11/15を開幕戦より投入 エンジンは前年よりフォード コスワース ドライバーはリジェ5年目のラフィー チームメイトは新規加入のD・ピロー二 ピロー二がR5スペインGPで優勝 ラフィーもR9ドイツで勝利 両ドライバ―とも1勝含む5回の表彰台 年間順位では ラフィーが4位34P ピロー二が5位32P チームトータル66Pは年間2位で リジェ史上のコンストラクター最高成績 リジェの通算勝利は9勝 JS11~JS11/15のマシンで半数以上の5勝 モデルはラフィーが勝利したR9ドイツGP仕様 タバコ広告の規制の為リジェの代名詞の GITANESのロゴが無く 小さなフラメンコダンサーのみが マシンに貼られている
230714 J.LAFFITE 1980 1回FW12C
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1978 8TH SPARK LIGIER JS9 J.LAFFITE
リジェ3年目 ジャック・ラフィー 最後の1台体制 LIGIER JS9 前年度1977年に初優勝したマシンJS5を 1978年シーズンも前半戦は使用 R5モナコGPでニューマシンJS9を投入 大型のリアウイングが特徴 投入のモナコはリタイアだったものの R7スペインとR11ドイツで3位表彰台 最終的には16戦中8度の入賞 リタイアもわずか2回と安定した成績 3年か継続したリジェ・ラフィーの1台体制は 1978年で終了して翌1979年からは2台体制 マトラのエンジンも一旦終了 #1978年
221224 J.LAFFITE 1978 26FW12C
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1981 4TH LIGIER JS17 MATRA J.LAFFITE 〖🏆2〗
ジャック・ラフィー最後の勝利 年間キャリアベスト LIGIER JS17 1981年リジェはエンジンを フォードから再びマトラV12に変更 リジェ6シーズン目のラフィー 序盤戦は苦戦もR7スペインでPP→決勝2位 R11オーストリア予選4位→FLで優勝 モデルはオーストラリアGP仕様 R14カナダ 予選10位ながら2勝目を上げる この勝利はラフィー最後の通算6勝目 リジェもこの勝利後 長きにわたり低迷 次の勝利は1996年のO.パニスまでかかった この勝利でタイトルの可能性を残し 最終R15ラスベガスに挑むも6位に終わる ラフィーは2勝を含む表彰台7回 44ポイントで年間4位はベストタイ チャンピオンのピケとは僅差の6P ラフィーがチャンピオン争いに絡んだ 最後のシーズンでもあった TMはジャリエ/ジャブイユ/タンベイと 次々と変わったが3人で完走は僅か1回 3人ともノーポイントに終わった #F1-1981年 #SPARK-F1 #F1
J.LAFFITE 1回 26 1/43FW12C
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1976 8TH+α SPARK LIGIER JS5 J.LAFFITE
F1参戦初年度リジェ ジャック・ラフィー 予選 PP 決勝表彰台 3回 FL 獲得 1976年R4スペインGPから規定で 高いインダクションポッドが禁止された為 所謂〖ティーポット〗は姿を消し オーソドックスなマシンに変化 マシンの見た目は変わったものの JS5は十分な速さを備えており R5ベルギーGP予選6位→決勝3位 参戦5戦目で早くも表彰台を獲得 R11オーストリアGP予選5位→決勝2位 R13イタリアGPでは予選PPを獲得 決勝も3位に入り3度目表彰台を獲得 R16富士SWではファステストラップも記録 ◆R16日本(富士SW)予選11位→決勝7位◆ リジェは初年度 1台のエントリーながら コンストラクタ―6位(当時の解釈では5位タイ) ラフィーも20ポイント獲得して年間8位 この後ラフィーはトータル9シーズンを リジェで過ごし生涯6勝のすべてをあげる SPARKのF1としては2台目に購入したモデルで 不良があって交換した思い出のある1台 インパクトはティーポットJS5が断然上↓↓ #F1-1976年 #1976 https://muuseo.com/FW12C/items/881?theme_id=35914
J.LAFFITE 1976 1回 26FW12C
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1976 8TH SPARK LIGIER JS5 J.LAFFITE
フランスチーム リジェ デビューマシン LIGIER JS5 1976年新興のフランスチームリジェが参戦 当初ドライバーはJ・P・ベルトワーズの予定 しかしテストでJ・ラフィーが好タイムを出し ラフィーの1台体制で初年度向かえた エンジンはマトラ製 そしてなにより フランス国営のタバコGITANESがスポンサー 以降20年間潤沢な資金でリジェを支えた デビューマシンのJS5は 巨大なインダクションポッドと GITANESのフランメンコダンサーが目を引き その形状から〈ティーポット〉と揶揄された 形状とは裏腹にいきなりの好走を見せる 開幕戦予選11位 R2予選8位と好位置獲得 R3アメリカWEST LONG BEACHでは 予選12位からトップと同一周回での4位入賞 リジェにチーム初入賞をもたらした レギュレーション変更に伴い 〈ティーポット〉は開幕3戦で終了 2009年のSPARK F1の初期に発売のモデルで ドライバ―のヘルメットが若干大きい 人気のモデルで大阪のモデルガレージロムが 独占で再生産販売もしている #1976 #LIGIER #F1-1976年
J.LAFFITE 1976 1回 26FW12C
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1985 9TH SPARK LIGIER JS25 J.LAFFITE
ジャック・ラフィー 2年ぶりのリジェに復帰 2年間ウイリアムズで苦戦したラフィーは 1985年フランスのリジェに復帰 TMはA・DE・チェザリス P・ストレイフ チームは前年同様のルノーエンジン タイヤはミシュラン→ピレリに変更 復帰初戦の開幕ブラジルで6位入賞 その後予選は15位前後と苦戦も R8イギリスで3位 表彰台は41戦ぶり R9ドイツで連続3位を獲得 R14ヨーロッパGPでは約4年ぶり 自身キャリア最後の7度目の ファステストラップを記録 最終戦は初開催のオーストラリアGP 予選20位ながら上位に浮上 最後はあわや同士討ちになりかけたが ラフィーは2位でフィニッシュ TMのストレイフも3位でW表彰台 ラフィーはこの時41歳 166戦目 翌1986年もリジェに残留となり G・ヒルの持つ決勝175スタートの F1最多出走回数の更新が期待された #1985
J.LAFFITE 1回 26 1/43FW12C
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1979 4TH PMA LIGIER FORD JS11 J.LAFFITE〖🏆2〗
リジェ初の2台体制 ラフィー開幕連勝 1976年の参戦以来リジェはJ・ラフィーの 1台体制であったが1979年から2台体制 エンジンもマトラV12→コスワースV8に変更 TMはP・ドゥパイエ 後半はJ・イクス ニューマシンJS11はグランドエフェクトカー カウルの後端をリアタイヤの前で跳ね上げた スパッツと呼ばれる空力処理が特徴 ラフィーは開幕戦・2戦目を PP→FL→優勝と完ぺきな形で連勝 (モデルはR2ブラジルGP仕様) 信頼性の不足と開発能力の高い P・ドゥパイエの離脱もありその後は失速 表彰台は6回獲得も結局リタイヤ8回で チャンピオン争いからは脱落 チームはコンストラクター3位に躍進 ラフィーも年間順位は4位はベストタイ この後1981年まで年間4位が続きます このモデルは2012年頃に発売 オールドカーは段々と生産限定台数が減り このモデルも限定は1512台と少なめ 同年のドゥパイエとイクス車より ラフィー車の生産が若干少ない
J.LAFFITE 2回 1.512 26FW12C
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1975 12TH SPARK WILLIAMS FW04 J.LAFFITE
1975年に初めてウイリアムズの名を冠した 車体WILLIAMS FW04が登場 ドライバ―はJ・ラフィー FW04はR5モナコより登場 思うような結果が出ない中 R11ドイツGP ニュルブルリンク 1週22.8㎞のロングコースで ラフィーが2位表彰台獲得 ウイリアムズの長い歴史の中の 記念すべき初ポイントは2位表彰台 ラフィーも初のポイント獲得 ラフィーは13年のF1生活の中 所属したチームはリジェと ウイリアムズの2チームのみ 画像8枚目はイギリス ヒースロー空港 近くにあった当時のファクトリー #1975 #F1
J.LAFFITE 1975 21 1/43FW12C
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1982 18TH SPARK LIGIER JS19 J.LAFFITE
#1982
J.LAFFITE 26 1/43 GITANESFW12C
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1984 14TH PMA WILLIAMS HONDA FW09 J.LAFFITE
#1984 #HONDA #WILLIAMS
J.LAFFITE 2.592 5 1/43FW12C
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1983 11TH PMA WILLIAMS FORD FW08C J.LAFFITE
ジャック・ラフィー ウイリアムズ移籍 フル参戦後初の表彰台無し ジャック・ラフィーは設立から 7年間所属したリジェを離れ 1983年ウイリアムズに移籍 チームメイトはケケ・ロズベルク 前半7戦では5度の入賞したものの ターボエンジンが主流となりつつあった シーズンでコスワースDFV(後DFY)では パワーもが足りず後半の入賞は1回 R13イタリア・R14ヨーロッパでは ラフィー自身の気力のムラもあり 自身初の予選落ちを連続でしている ラフィーはスポット参戦の1974年を除き 1975年から8年続いた表彰台も この年で途切れ年間順位は11位 ロズベルグは1勝含む年間5位 チームは最終戦R15南アフリカGPでは 前倒しで次年度投入予定だった HONDA V6ターボエンジンを投入している
J.LAFFITE 1983 1/43 WILLIAMSFW12C
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1986 8TH SPARK LIGIER JS27 J.LAFFITE
当時のF1最多出走タイ記録で引退 ジャック・ラフィー JS27 J.LAFFITE 1986年リジェ復帰2年目のラフィー チームメイトはルネ・アルヌー ギ・リジェの望むオールフレンチ体制 開幕戦のブラジルGPで予選5位→決勝3位 前年度最終戦から2戦連続となる表彰台 R7アメリカEAST GPで予選6位→2位 42歳で迎えたシーズンも好調を維持 R9イギリスGPは出走176戦目で 当時の最多出走記録(グラハム・ヒル)に並んだ しかし決勝レースで多重クラッシュに 巻き込まれ両足の複雑骨折を負い 以後リハビリを続けたものF1復帰ならなかった ラフィーのキャリア決勝周回数は丁度8000周 1974年のF1デビュー時は30歳 30歳以降にデビューしたドライバーの中では 現在も176戦出走は最多記録となる モデルはスパーク ラフィー最後の32回目の表彰台 R7アメリカEAST 予選6位→決勝2位 お馴染みリジェのGITANESタバコ仕様 🏁ジャック・ラフィー(フランス) 【決勝出走数】176回 (入賞59回-表彰台32回) 【予選最高位】PP (7回) 1976年 LIGIER R13 イタリア 1979年 LIGIER R01 アルゼンチン 1979年 LIGIER R02 ブラジル 1979年 LIGIER R05 スペイン 1979年 LIGIER R06 ベルギー 1980年 LIGIER R07 フランス 1981年 LIGIER R07 スペイン 【決勝最高位】WIN(6回) 1977年 LIGIER R08 スウェーデン 1979年 LIGIER R01 アルゼンチン 1979年 LIGIER R02 ブラジル 1980年 LIGIER R09 ドイツ 1981年 LIGIER R11 オーストリア 1981年 LIGIER R14 カナダ 【ファステストLAP】7回 1976年 LIGIER R17 日本 1977年 LIGIER R05 スペイン 1979年 LIGIER R01 アルゼンチン 1979年 LIGIER R02 ブラジル 1980年 LIGIER R05 ベルギー 1981年 LIGIER R11 オーストリア 1985年 LIGIER R14 ヨーロッパ
J.LAFFITE 1986 26 1/43FW12C