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1971 6TH SPARK (WORLD WIDE RACING) LOTUS 56B E.FITTIPALDI
ガスタービンエンジン 四輪駆動車 試験的出場エマーソン LOTUS 56B 1971年 R9イタリアGP ロータスのワークスが欠場したこのGP エマーソン・フィッティパルディは ワールド・ワイドレーシイング名で ガスタービンエンジン (プラット&ホィットニー) 四輪駆動車で試験的にエントリーした インディ500とF1の両方を走る 単一のデザインの計画の一環として開発 マシンはワールド・ワイド レーシングの ゴールドカラーが施された しかし燃料補給無しで完走するための 大型燃料タンクは重量過多で競争力なく 予選18位→決勝は周回遅れの8位完走 このマシンはレイネ・ウィセルや デイブ・ウォーカーが他のレースで またエマーソン自身もノンタイトル戦で 出場したが56Bのマシン合計6回の出走で 完走したのはイタリアGP時のわずか1回であった モデルはスパーク エマーソンのF1本戦での四輪駆動車 LOTUS 56Bの唯一の出場となった イタリアGP仕様 予選18位→決勝8位 スパーク初期のシルバースリーブ 2010年に日暮里にあった ミニカーショップIKEDAで購入
240320 E.FITTIPALDI 1971 5FW12C
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1974【WORLD CHAMPION】 McLAREN FORD M23 E.FITTIPALDI〖🏆3〗
🔲🔲🔲1974🔲🔲🔲 👑WORLD CHAMPION👑 McLAREN FORD M23 🟥⬜E.FITTIPALDI⬜🟥 🔲🔲🔲全15戦🔲🔲🔲 【出走】15回【PP】2回 【優勝】 3回【FL】0回 エマーソン 2度目のチャンピオン
231120 E.FITTIPALDI 5 1/43FW12C
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1973 2ND SPARK LOTUS 72E E.FITTIPALDI〖🏆3〗
エマーソン・フィティバルディ 連覇ならず LOTUS 72E 1973年エマーソン ロータス4年目 ワールドチャンピオン連覇がかかった チームメイトはロニー・ピーターソン 前半6戦で3勝 2位1回 3位2回と好調 しかし安全性向上のためルールが改善され 新ルールが施行にあわせたLOTUS 72Eが エマーソンに合わずその後4戦ノーポイント 予選でもピーターソンがPP9回に対し エマーソンは僅か1回に終わる R13イタリアGPではエマーソンに チャンピオンの可能性があったものの 先行するピーターソンにチームオーダーを 出さずピーターソンが優勝 チームに不信感を抱いたエマーソンは 翌1974年にマクラーレンに移籍 チームは2人のドライバ―で7勝 2年連続コンストラクターは死守した モデルはSPARK PLANEX COLLECTION別注 この年唯一のPPのR12オーストリアGP仕様 決勝はトラブルで11位完走 John Player Specialが添付済み このGPの優勝はピータソン
230903 E.FITTIPALDI PLANEX COLLECTION 1973FW12C
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1980 15TH SPARK FITTIPALDI F8 E.FITTIPALDI
エマーソン・フィティバルディF1ラスト 最後の表彰台獲得 FITTIPALDI F8 スポンサーの変更により チーム名をフィティバルディとして 新たにブラジルの大手飲料メーカー アンベブのビールブランドの SKOLのロゴで参戦 R4アメリカWESTでは予選24位から 混戦を生き残り3位表彰台獲得 エマーソン最後の表彰台は通算34回目 その後R6モナコでの6位が最後の入賞 通算入賞回数は57回 この年限りでF1ドライバ―からは引退 1982年までチーム運営に携わった 1984年はスピリットでテストには参加したが F1には復帰せずアメリカの CARTシリーズに参戦した 🏁エマーソン・フィッテパルディ(ブラジル) 決勝出走回数 144回 予選最高位 PP(6回) 決勝最高位 優勝(14回) ファステストLAP(6回) 👑ワールドチャンピオン 2回 1972年 ロータス 12戦5勝 1974年 マクラーレン 15戦3勝 #F1-ラスト #F-1980年 https://muuseo.com/FW12C/items/988
221030 E.FITTIPALDI 20 1/43FW12C
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1984 TEST SPARK SPIRIT 101 E.FITTIPALDI
エマーソン・フィッテパルディ 幻のF1 TEST CAR SPIRIT 101 1984年スピリットレーシングは HONDAエンジンを失いハートV4ターボと ピレリタイヤの供給を受けて参戦 当初イタリア人ドライバ―の フルビオ・マリア・バッラ―ビオと契約も スパーライセンスが発給されず断念 開幕直前のブラジルのTESTで スピリットのマシンを走らせたのは 何と2度のワールドチャンピオンの エマーソン・フィッテパルディ F1復帰を目論んでTESTに臨んだが SPIRITのマシンのレベルは高くないと判断 アメリカでのレース復帰を選択した マシンにはバッラ―ビオの持ち込みの イタリアにおける最も有名なコミック雑誌 Topolino(トッポリーノ)がスポンサーで ディズニーキャラクターのコミック作品の ミッキーマウスとグーフィーが マシンに描かれている これはTEST車のみでドライバ―離脱に伴い STP / PanasonicとともにTopolinoは スポンサーから撤退してしまった 本来は購入する予定が無かったのですが ショップの店長さんと よくDisneyの版権おりたねー なんて話している内に ショップにあった 最後の1台という事もあった思わず購入・・ #F1-1984年 #SPIRIT #Disney #F1-TESTCAR
E.FITTIPALDI TEST CAR 1/43 MarlboroFW12C
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1976 17TH SPARK COPERSUCAR FD04 E.FITTIPALDI
F1史上唯一のブラジル国籍のコンストラクター エマーソン・フィッテパルディ加入 1972年・1974年ワールドチャンピオン 1973年・1975年もランキング2位 エマーソン・フィッテパルディは 兄が立ち上げ自身もコンサルタントしていた コンストラクター コパーシュカーに移籍 1976年チームは2年目で早くも4代目となる COPERSUCAR FD04を開幕戦で投入 初戦の予選は5位と周囲を驚かせた(決勝R) 当初チームはブラジルを拠点に活動していたが ヨーロッパ中心のF1サーカスでは 輸送する金銭・時間的コストの弊害が多く シーズン途中でイギリスに移転 F1でのキャリアのピークであった エマーソンの力を持っても優勝争いに 絡むまでには至らず 1976年は 決勝6位が3回 3ポイント 年間順位は17位 ◆R16日本(富士SW)予選23位→決勝リタイア◆ この後エマーソンは1980年までの5年間 同チームに所属 チームは1982年まで活動 #F1-1976年 #1976年
E.FITTIPALDI 1976 30 1/43FW12C
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1972 WORLD CHAMPION QUARTZO LOTUS 72D E.FITTIPALDI〖🏆5〗
50年前の WORLD CHAMPION 初めてQuartzoブランドの購入した1台 1970年代やWORLD CHAMPIONの車体を 収集するきっかけとなった1台 #WORLDCHAMPION #F1-1972年 #F1 #はじまりの1台
E.FITTIPALDI 8 1/43 John Player SpecialFW12C
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1979 21ST SPARK COPERSUCAR F6A E.FITTIPALDI
1970年台ブラジルのプライベーター チーム・コスパシュカー 1972・1974年ワールドチャンピオン エマーソン・フィッティパルティの兄 ウイルソンが立ち上げたチーム ブラジルの砂糖・アルコールなどの スポンサー コパシュカーが コンストラクターの名称 1979年は前年度の成功した車体F5Aで 開幕戦を予選11位→6位入賞 R3南アフリカよりニューマシン F6を導入も失敗に終わり モデル仕様 予選18位→決勝13位 F6はこの1戦のみのモデル 後半R10ドイツより改良型のF6Aを 投入したが成績は上昇せず 開幕戦の1Pのみで年間21位 コパシュカーのスポンサーはこの年で終了 次年度からはフィッティパルティの コンストラクター名でエントリー #F1-1979年
E.FITTIPALDI 14 1/43 FITTIPALDIFW12C
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1975 2ND SPARK McLAREN FORD M23 E.FITTIPALDI 〖🏆2〗
Car No1 昨年ワールドチャンピオン エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン2年目 昨年同様車体M23 開幕戦アルゼンチンGP優勝も R5~R7 N.ラウダ3連勝中 2位が1回のみ 中盤戦苦しみ連覇はならず R10イギリスGP(モデル仕様) 予選7位→シーズン2勝目 結果これがフィッティパルディ 通算14勝目 最後の勝利 フィッティパルディは R4スペインGPはコースの安全面に 抗議して決勝はボイコット (実際に観客巻き込む死亡事故発生) この後は兄が設立の フィッティパルディに移籍 1980年まで参戦します #F1-1975年 #F1
E.FITTIPALDI 1975 1回 1FW12C