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1996 TEST ONYX BRIGESTONE TEST CAR (JS41) D.HILL
ワールドチャンピオン獲得翌日 D・ヒル ブリヂストンタイヤテスト 1996年鈴鹿でチャンピオンを決めた デーモン・ヒルはその翌日に同コースで 翌1997年~の参戦開始する ブリヂストンタイヤテスト ヒルはブリヂストンユーザーとなる TWRのアロウズへの移籍が決まっていた 元々の車体は1995年シーズンに リジェ無限HONDAが使用したJS41 これを赤・白ベースのカラーに変更 このマシンでのテストは鈴木亜久里や ヨス・フェルスタッペンも実施している https://muuseo.com/FW12C/items/780?theme_id=34911
221007 D.HILL TEST CAR 1/43FW12C
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1995 8TH PMA LIGIER MUGEN HONNDA JS41 O.PANIS
オリビエ・パニス F1 2年目 ベストリザルト LIGIER JS41 1995年リジェは前年度ベネトンの トム・ウォーキンショーが共同オーナー LIGIER JS41はチャンピオンマシンの ベネトンB195が形状が酷似していた ルノーエンジンをベネトンに譲渡して ミナルディとの争奪戦で無限HONDAを獲得 このJS41は後にブリヂストンタイヤ参入時 テストマシンとしても使用され J・フェルスタッペンや鈴木亜久里 そしてD・ヒルなどがドライブした 近年JS41はSPARKでもモデル化 された事もありよく見かけるマシンの1台 O・パニスは予選最高位6位で入賞6回 最終戦オーストラリアではトップから 2週半以上遅れたが2位表彰台獲得 年間順位8位はベストシーズン 何かのおまけでもらったと思われる 1995年シーズンのパニス含めた リジェ3人(M・ブランドル 鈴木亜久里)の ポストカードを所持しています #1995 #MUGEN #F1-1995年
O.PANIS 26 1/43 LIGIERFW12C
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1995 17TH PMA LIGIER MUGEN HONDA JS41 A.SUZUKI
日本人2人目のフルタイムF1ドライバ― 鈴木亜久里の最後のマシン 1994年ジョーダンのスポット参戦のみ 1年間浪人生活の亜久里であったが 1995年は無限エンジンと共に フランスチームのリジェで参戦 しかしながら開幕前突如 M・ブランドルとのシェアという形になり 開幕3戦は出場したもののその後は 予定のR7フランスがブランドルになるなど 亜久里本人もいつ出場するのか 分からない不安定な状況 しかし5戦ぶりに出場した R9ドイツで予選18位→6位入賞を果たす これは1991年の開幕戦以来 52戦ぶりの入賞(予選落ち含む) その後R15・16の日本連戦に出場も R16鈴鹿の予選でクラッシュ 肋骨の骨折で決勝は走ることなく 結果的にF1キャリアを終える事となった 日本人初の表彰台ドライバーは 2005年スーパーアグリとして チーム監督としてF1に復帰する 鈴木亜久里(日本) 決勝出走回数 64回 予選最高位 6位 1993年 フットワーク R12ベルギー 決勝最高位 3位 1990年 ラルース R15鈴鹿 #F1最後のマシン #1995
A.SUZUKI 25 1/43 LIGIERFW12C
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1995 13TH PMA LIGIER MUGEN HONDA JS41 M.BRUNDLE
M.ブランドル 1年ぶりリジェ 最後の9回目の表彰台 1995年はリジェに鈴木亜久里と 併用という形での参戦 実際は17戦中11戦でブランドルが出走 エンジンは無限HONDA 予選はTMのO.パニスに8-3で勝り R11ベルギーで3位獲得 自身最後の9回目の表彰台 年間は7Pで13位(パニスは16P 8位) 2枚目のONYXはGITANESが 標準仕様モデル 台座の上部 通常はONYXのところが フラメンコダンサーの ロゴが印字されてます #1995
M.BRUNDLE 25 1/43 LIGIERFW12C